俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

Dスコア

2016-08-14 17:12:17 | Weblog
 体操やフィギュアスケートのような美を競うスポーツでの採点は公正かつ客観的であるべきで、そのために難易度に基づくDスコア(difficulty)と出来栄えに基づくEスコア(execution)の2面から評価される。Dスコアは加点法であり難しい技を積み重ねれば高くなり、Eスコアは10点満点からの減点法であり細かいミスも総て減点対象にされる。
 2010年のバンクーバー・オリンピックの女子フィギュアスケートで一部の日本人が不満を訴えた。「なぜトリプルアクセルを跳べない金ヨナが優勝でトリプルアクセルを見事に成功させた浅田真央が2位なのか」と。答えは簡単だ。フィギュアスケートはジャンプだけを競う競技ではなく、評価はDスコアとEスコアの合計に基づくからだ。Dスコアは評価の半分に過ぎず、個々の技などその一部を占めるに過ぎない。
 これとよく似た話が今回のリオデジャネイロ・オリンピックの体操の個人総合で持ち出された。大逆転となった最終種目の鉄棒の採点だ。ウクライナのベルニャエフ選手の採点が不当に低いのではないかという疑惑だ。オリンピックの度にこんな話が持ち出されるのは普段は余りスポーツ観戦をしない人が俄かファンになって自らの無知を省みずに文句を言うからだろう。
 二人の得点を比べれば一目瞭然だ。内村選手はD7.1+E8.7=15.8でありベルニャエフ選手はD6.5+E8.3=14.8だ。ベルニャエフ選手のDスコアは内村選手よりも0.6点も低い。これは演技を始める以前での基礎点の差でもある。つまり両者が同程度に完璧な演技をしてもDスコアだけで0.6点の差が付くという意味だ。
 Dスコアにおいては個々の技が難易度に基づいて点数化されており素人にも理解できる客観的なものだ。それと比べればEスコアは分かりにくい。素人目には完璧であっても専門家にとっては難点だらけの演技もある。それに、易し過ぎる技を満点と評価する審判はいない。あくまで極論だが小学生でもできる「前回り降り」をフィニッシュに使った場合にEスコアで満点を付ける審判は絶対にいない。
 要するにベルニャエフ選手は安全策を取ったためにDスコアだけではなくEスコアまで落としたものと思える。ダンスとは違ってスポーツ競技である限り難しい技に挑むことは義務でもあろう。その意味でトリプルアクセルや4回転ジャンプの評価が低過ぎるのかも知れない。もっとDスコアで厳しく差別したほうが技のレベルは高くなるだろう。
 企業での俄か仕込みでの成果主義でも同等の失敗が見受けられる。自己評価を高くするために目標設定のレベルを下げる人が多い。これもあくまで極論だが「無断欠勤をしない」という目標を設定して成果を10点とすることは全く不当だ。こんな目標はDスコアとしては評価レベル外であり当然Eスコアも最低点とすべきだろう。こんなことを理解せずに導入した俄か仕込みの成果主義など成功する筈が無い。目標に対する評価は成果に対する評価以上に重要だ。