オリンピックは、冬季オリンピックの対象種目以外のあらゆるスポーツの祭典だが、その核となっているのは陸上競技だ。陸上競技という核の周囲に競泳・球技・格闘技・体操・その他が配置されて総合的なスポーツの祭典になっている。オリンピックの核は陸上競技でその核はトラック競技だ。しかしその核の中の核であるトラック競技で日本は情けないほど非力だ。前回のロンドン・オリンピックまでに獲得したメダル数はたったの2個だ。1928年のアムステルダム大会の女子800m走での人見絹枝選手の銀メダルと、2008年の北京大会の800mリレーでの銅メダルのたった2個だけだ。
フィールド競技であればアムステルダム大会の三段跳びでの織田幹雄選手以来2004年のアテネ大会のハンマー投げでの室伏広治選手まで、トラック外では女子マラソンで2000年のシドニー大会での高橋尚子選手やアテネ大会での野口みずき選手などの金メダリストがいるがトラック競技の金メダリストは皆無だ。特に近年は長距離走ではケニヤとエチオピアの東北アフリカの選手、短距離走では西北アフリカ出身の黒人選手が圧倒的に強い。それだけに昨日の男子400mリレーには大きな期待をしていた。その競技を見るために予めチャンネルを合わせて待機したのは今回のオリンピックではこの種目だけだった。
正直な話、射撃やテコンドーなどのようなマイナーな種目の結果には殆んどの人が関心を示さない。メジャー中のメジャーである400mリレーは世界的に見ても最も注目される種目の1つだ。この種目での銀メダルは今回日本人選手が獲得したどの金メダルよりも価値が高いと私は考える。男子体操の団体総合や個人総合の金メダルよりも世界的には高く評価されていることだろう。
私は6月に開かれた陸上選手権兼アテネ五輪代表選考会から男子100m走に注目していた。当時の下馬評は「4強の激突」だった。その後リオデジャネイロ・オリンピックの100m走の代表に選ばれたケンブリッジ・桐生・山縣の3選手に、やはり後には200m走の代表に選ばれた飯塚翔太選手の4人だ。飯塚選手が出場種目を200m走に絞ったためにすんなりと3選手が選ばれたが4人の力量は伯仲していた。この4人が400mリレーのメンバーになることを期待していたらその通りになったから私は大いに期待した。
しかし日本史上最高レベルの選手が4人揃っても世界的に見れば大きく見劣りする。ファイナリストは一人もいないし9秒台の実績を持つ選手もいない。こんなメンバーでは9秒台の実績を持つスプリンターを揃えたジャマイカやアメリカに勝てる筈が無い。アンダーハンドパスのご利益と火事場の馬鹿力としか言いようが無い。まるで3割打者も30本塁打のスラッガーもいないチームが打ち勝つような奇跡の準優勝だった。
日本が独特のアンダーハンドパスを使うことは事前に知っていたが、どのチームもバトンの持ち替えをしないことに驚かされてしまった。持ち替えたのはジャマイカチームのアンカーのボルト選手だけだった。
小学校で私は、左手でバトンを受けてから右手に持ち替えて次の走者の左手にパスをすると教わっていたが、リオデジャネイロ・オリンピックの400mリレーの選手は持ち替えていなかった。第一走者は第二走者の左手にパスをして、第二走者は左手で受けたバトンを持ち替えずに第三走者の右手にパスをする。第三走者はそれを第四走者の左手にパスをする。バトンを持ち替えるという動作の途中で落とすことを避けるために持ち替えるという動作を廃止したのだろうが、バトンパスの方法が変わっていたことに昨日まで全く気付かずにいた。無知とは恥ずかしいものだ。
リオデジャネイロ・オリンピックのサッカーでは個人技で優るブラジルが組織力のドイツを倒して優勝したが、個人の能力を生かした組織作りは難しく、組織を上手く機能させる人員配置のほうがずっと易しい。短期間であれば組織を優先したほうが有利で徐々に個人の力を活かす戦略が有効だろう。しかし日本の組織が個人の能力を活かせるようになるまでには余りにも長期間掛かり、しかも随分歪んだ形でしか実現されない嫌いがある。
フィールド競技であればアムステルダム大会の三段跳びでの織田幹雄選手以来2004年のアテネ大会のハンマー投げでの室伏広治選手まで、トラック外では女子マラソンで2000年のシドニー大会での高橋尚子選手やアテネ大会での野口みずき選手などの金メダリストがいるがトラック競技の金メダリストは皆無だ。特に近年は長距離走ではケニヤとエチオピアの東北アフリカの選手、短距離走では西北アフリカ出身の黒人選手が圧倒的に強い。それだけに昨日の男子400mリレーには大きな期待をしていた。その競技を見るために予めチャンネルを合わせて待機したのは今回のオリンピックではこの種目だけだった。
正直な話、射撃やテコンドーなどのようなマイナーな種目の結果には殆んどの人が関心を示さない。メジャー中のメジャーである400mリレーは世界的に見ても最も注目される種目の1つだ。この種目での銀メダルは今回日本人選手が獲得したどの金メダルよりも価値が高いと私は考える。男子体操の団体総合や個人総合の金メダルよりも世界的には高く評価されていることだろう。
私は6月に開かれた陸上選手権兼アテネ五輪代表選考会から男子100m走に注目していた。当時の下馬評は「4強の激突」だった。その後リオデジャネイロ・オリンピックの100m走の代表に選ばれたケンブリッジ・桐生・山縣の3選手に、やはり後には200m走の代表に選ばれた飯塚翔太選手の4人だ。飯塚選手が出場種目を200m走に絞ったためにすんなりと3選手が選ばれたが4人の力量は伯仲していた。この4人が400mリレーのメンバーになることを期待していたらその通りになったから私は大いに期待した。
しかし日本史上最高レベルの選手が4人揃っても世界的に見れば大きく見劣りする。ファイナリストは一人もいないし9秒台の実績を持つ選手もいない。こんなメンバーでは9秒台の実績を持つスプリンターを揃えたジャマイカやアメリカに勝てる筈が無い。アンダーハンドパスのご利益と火事場の馬鹿力としか言いようが無い。まるで3割打者も30本塁打のスラッガーもいないチームが打ち勝つような奇跡の準優勝だった。
日本が独特のアンダーハンドパスを使うことは事前に知っていたが、どのチームもバトンの持ち替えをしないことに驚かされてしまった。持ち替えたのはジャマイカチームのアンカーのボルト選手だけだった。
小学校で私は、左手でバトンを受けてから右手に持ち替えて次の走者の左手にパスをすると教わっていたが、リオデジャネイロ・オリンピックの400mリレーの選手は持ち替えていなかった。第一走者は第二走者の左手にパスをして、第二走者は左手で受けたバトンを持ち替えずに第三走者の右手にパスをする。第三走者はそれを第四走者の左手にパスをする。バトンを持ち替えるという動作の途中で落とすことを避けるために持ち替えるという動作を廃止したのだろうが、バトンパスの方法が変わっていたことに昨日まで全く気付かずにいた。無知とは恥ずかしいものだ。
リオデジャネイロ・オリンピックのサッカーでは個人技で優るブラジルが組織力のドイツを倒して優勝したが、個人の能力を生かした組織作りは難しく、組織を上手く機能させる人員配置のほうがずっと易しい。短期間であれば組織を優先したほうが有利で徐々に個人の力を活かす戦略が有効だろう。しかし日本の組織が個人の能力を活かせるようになるまでには余りにも長期間掛かり、しかも随分歪んだ形でしか実現されない嫌いがある。