俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

同一労働

2016-08-28 10:57:05 | Weblog
 同一労働同一賃金という理念は虚構に基づく雇用制度改革であり到底容認できない。同じ人間などいないように同じ仕事も無く、同一労働という概念は嘘を正当化するための幻想に過ぎない。
 もし同一労働があり得るならそれは完全にマニュアル化された仕事だろう。マクドナルドの接客マニュアルが完璧なものであれば従業員はマニュアル通りに働けば良いということになり同一労働と呼べるかも知れない。しかしそんな完璧なマニュアルなどあり得ないし、同じアルバイト従業員でも勤続1か月と3年とでは同じ労働とは思えない。少なくとも仕事の習熟度の違いぐらいならあるだろう。
 比較的就労し易いとされる販売員の仕事でも同一労働ではあり得ない。アメリカのノードストロームというデパートにはカリスマ販売員がいてその給料は経営者レベルだそうだ。この事実は同一労働同一賃金とは余りにも懸け離れている。どんな仕事においても能力差は存在する。
 職務給という考え方がある。職位だけではなく人事課長や総務課長といったポストに賃金を連動させる給与体系だ。それでも職能給を外すことはできない。それぞれのポストでの成果が賃金に反映されなければ勤労意欲が失われる。たとえ単純労働者であっても熟練度に応じた昇給を望むのは当然だ。職能給が認められる限り同一労働同一賃金はあり得ない。
 昔は、アルバイトの賃金は一律だった。短期間の補助的な仕事しか無かったからそれでも良かった。しかし昨今では長期の習熟したアルバイト従業員が珍しくなく、社会の趨勢としてはたとえアルバイト従業員であっても賃金に差を付けるのが当たり前だ。現状に逆行してまで同一労働同一賃金を推進しようとするのは表向きとは違った意図を隠し持っているからだろう。それは正規雇用労働者からの特権の剥奪だ。
 戦前の家族的経営に戦後の民主的経営が加味されることによって日本の労働者は世界に類を見ない特権を獲得した。それが終身雇用制であり手厚い福利厚生制度だ。これらが特権だからこそ非正規雇用労働者はその対象外とされた。企業は正規雇用労働者での大きな負担を非正規雇用労働者の犠牲によって埋め合わせようとした。それほど日本の正規雇用労働者の労働条件は恵まれたものだった。しかしこの雇用制度は一方では会社のために必死で働く社畜を生みもう一方では企業に寄生する不良従業員の温床としても利用された。
 一旦与えてしまった特権を剥奪することは難しい。正規雇用労働者を簡単には解雇できない会社側は「追い出し部屋」とか「離職コンサルタント」などの様々な奇策を駆使して追い出しを図ったがこれらは違法と見なされつつある。手詰まりに陥った財界は政界と結託して労働慣習を破壊しようとした。それが同一労働同一賃金という制度だ。これが狙っているのは非正規雇用労働者の待遇改善ではなく正規雇用労働者の非正規化、つまり両者の一本化だ。正規と非正規との中間に両者を収容することによって過度に保護されていた正規雇用労働者という地位を日本から消滅させることこそ彼らの狙いだ。
 極端に労働者に有利だった労働条件が適正化されるなら日本の将来のためには良いことなのかも知れない。しかし突然待遇が改悪される当事者にとっては迷惑この上ない。転職の仕組みが未だ未整備な状況で放り出されることを自覚しておかないといざという時になって大慌てをすることにもなりかねない。