俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

痛覚

2016-08-18 09:59:20 | Weblog
 人間の五感はすぐに慣れて刺激を感じなくなる。最も分かり易いのは嗅覚だ。臭い匂いの元を捜そうとして犬のように鼻をクンクン鳴らしていてもだんだん知覚できなくなる。麻痺してしまうまでに悪臭の元を見付けなければ嗅覚による探索は徒労に終わる。
 明るければ明順応、暗ければ暗順応が起こるし、近視になるのは近距離を見易くするために目が適応するからだろう。
 道路や線路沿いに住む人は自動車や電車の騒音を余り気にしないし空港の傍に住んでいれば飛行機の騒音でさえ苦にならないとまで言われている。保育園が隣にできても、子供嫌いでなければその騒々しさにも慣れるだろう。
 甘い食べ物にも辛い食べ物にも人は慣れる。日常的に甘い食べ物を食べている人は甘い味付けでなければ物足りなく感じるだろう。
 長時間、手を繋いでいれば繋いでいるという感覚が無くなるし着ている服の重さも意識されない。包帯で関節を固定しても曲げようとする時までそのことは知覚されない。熱い湯や冷水にも、多少の暑さ・寒さにも人は慣れる。
 このように人の五感は悉く刺激に慣れて感じなくなる。痛覚だけが例外であり、何らかの処置がなされるか治癒されるまで痛み続けて決して慣れない。歯痛が治まるのは痛まない状態になったから感じなくなるのであり決して歯痛に慣れる訳ではない。腹痛も腰痛も一時的に楽になることはあるが痛みに慣れることは無い。だから多くの人が慢性痛に悩まされる。
 痛覚がこのような特殊な知覚であって決して慣れることが無いのはそれが重大な警鐘だからだろう。先天性異常によって痛覚が極めて弱い無痛症の人の平均寿命はかなり短いそうだ。
 治る、あるいは治せる病や傷に痛みが伴うことは良いことだ。痛みがあるからこそ患部が保護されて、保護されている間に自然治癒力が働いて治る。ところが人工物が装着された場合、自然治癒力は働かない。自然治癒力は人工物を排除しようとする。決して取り除かれない人工物に対する痛みは無意味なのだが、こんな痛みこそ一生継続して和らぐことは無い。
 人工関節などの痛みは生涯続く。傷んだ箇所が復元されることは無いのだから痛み続ける。この類いの特殊な痛みはその特殊性を理解した上で鎮痛剤などによって抑え込むことが最も賢明な対応策だろう。自然治癒力が働き得る傷みに対する痛みであればそのことによって治癒が促されるが、治癒されない痛みであれば耐える必要など無い。痛みは本能と結び付いて恐怖心まで人に惹き起こしてしまうのだから、鎮痛剤などによって抑え込むことが正しい対応策だろう。