俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

複数の原因

2013-03-12 09:06:22 | Weblog
 昔は「氏か育ちか」という議論があった。人の能力を決めるのは遺伝か環境か、ということだ。今ではこんな議論は無い。遺伝も環境も重要であり「どちらか」ではなく「どちらも」であることが明らかになったからだ。
 唯一の真因を探すことを科学だと思っている人がいるがそれは誤りだ。殆んどの事象の原因は複数だ。そもそも原因と結果は一対一対応しない。複数の原因が複数の結果と対応することが多い。
 酒を飲み過ぎた翌日、二日酔いで気分が悪いし肝機能も悪化し、同僚や顧客にも悪い印象を与えるだろう。この場合、1つの原因が複数の結果を招いている。
 18歳の少年が凶悪犯罪を犯したなら、多分遺伝子か家庭環境か社会環境かその他諸々のうち複数のものが原因だろう。どれかを真因だと決め付けるのは幼稚な発想だ。
 花粉症の原因は花粉だけではない。花粉が最も多い山の中では花粉症の患者は少なく、むしろ市街地で多く発症する。従って花粉だけではなく排気ガスなども原因物質だ。今年の場合はもっと複雑だ。花粉と排気ガスだけではなく、中国から飛来するPM2.5や黄砂の影響まで考慮せねばならない。これだけ要因が増えればどんな結果になるか予想できない。
 もっと難しいのは複数の薬の影響だ。一種類でも人体に異常反応を起こさせる薬を複数服用した場合、どんな異常が生じるか全く分からない。組み合わせが無数にあるため実験することさえ不可能だ。何種類もの薬を同時に服用することは危険極まりない。

軍事政権

2013-03-10 09:23:09 | Weblog
 金正恩第一書記は本当に独裁者だろうか。どうも違うように思える。ただの飾り物であり御輿のようなものだ。実権を握っているのは軍部だろう。
 例によってマスコミは誰かの言うことを垂れ流すばかりで実態を伝えない。北朝鮮は共産主義国家ではなく、建国以来ずっと軍事独裁国家だ。朝鮮労働党による一党支配なんてまやかしだ、ただの軍事政権だ。
 金日成が抗日戦の英雄として凱旋帰国したのは1945年10月のことだ。但し帰って来た伝説の英雄は偽者だった。本物の金日成は戦死したのかソ連によって殺されたのかは分からないが、確かなことは金日成に成り済ました男がソ連の支援を得て軍事政権を築いたということだ。
 金日成から権力を受け継いだ金正日体制も軍事政権だ。そして3代目の正恩氏も「大将」として引き継いだ。あくまで将軍から大将へと引き継がれたのであって、総書記から第一書記へと引き継がれた訳ではない。
 軍隊には特殊な価値観がある。武力を内外に誇示できなければ彼らは無用の長物として否定される。だから彼らは軍事的に不安定な状態を求める。もし安定していればわざわざ不安定にすることによって自らの価値を高める。
 こう考えれば昨今の不可解な行動も理解できる。北朝鮮はシビリアンコントロールを失った軍事独裁政権だから軍部の軍部による軍部のための政治が行なわれる。拉致も2010年の延坪(ヨンピョン)島への砲撃もミサイルも核兵器も、軍部の権力拡張のための行動であり、飾り物に過ぎない正恩氏にはどうすることもできない。
 中国が北朝鮮を見限ったのもこういう事情からだろう。中国は今のところ共産党主導だが、最も恐れているのは軍事クーデターと農民反乱だ。軍部独裁と共産党独裁は非常によく似ているだけに隣国のこの状況は許容できないのだろう。

できること

2013-03-10 09:00:39 | Weblog
 カントが「純粋理性批判」で明らかにしたことは、理性には限界があるということだ。つまり経験にしか依存できない理性には、経験のレベルを超える永遠や無限について考えることはできない、ということだ。カントはこれによって理性を否定した訳ではない。逆に、理性が到達可能な範囲を限定することによって、荒唐無稽でない哲学を可能たらしめた。
 我々は僭越にも、できないことをしようとする。永遠の進歩や無限の可能性があると信じたがる悪い癖がある。できることとできないことを区別しなければ無駄な努力を続けることになる。これは諦めではない、事実の承認だ。
 例えば100mを10秒以内で走ることを考えてみよう。99.9%の人には不可能だ。「いや、誰にでも可能性がある」と主張するなら勝手にしろ!できっこない。
 地震の予知も現在の科学では不可能だ。それを「できる」と主張して金を稼ぐのは詐欺師のようなものだ。現在可能なことは、将来に予知が可能になるための基礎研究に過ぎない。
 癌の治療もできないと思っている。早期発見をしてもその時点で既に転移しており手術後に必ず再発する。治療できるのは癌ではなく殆んど無害な良性腫瘍だけだ。
 老化を防ぐこともできない。機械が劣化するように人体も衰える。可能なことは老化を防ぐことではなく、鍛錬や節制などによって老化を遅らせることだけだ。
 できないことをできると信じれば詐欺師のカモにされるだけだ。できることとできないことを識別して、できないことは諦めて、できることに全力を尽くすべきだ。

アンチエイジング

2013-03-08 09:29:55 | Weblog
 始皇帝の時代から人は不老不死を希求した。しかしこれは無理だと分かったので「遅老遅死」を求めるようになった。このニーズに応えるのがアンチエイジングだ。これほど大きな市場は無かろう。様々な病気とは違ってこの対象は全人類だ。老化したくないという願望は全人類共通のものであり例外は無い。
 最も有利な点は効果の検証が不可能であることだ。仮にある人が効果が無かったと訴えても、個人差があるのだから、効果が無かったとは証明できまい。
 提案できる内容の豊富さもこのビジネスの魅力だ。美容・体力・性機能・脳・各種臓器など無数のメニューを提供できる。これなら誰の要望にも応えられる。
 注意すべきことは副作用を起こさせないことだ。アンチエイジングの無効性の証明が不可能であろうとも、その薬品の有毒性なら証明可能だからだ。従ってできるだけ毒にも薬にもならないくだらない代物をまことしやかな理論で飾り立てる必要がある。
 しかし根本的な問題がある。果たして老化は病気なのだろうか。病気でないものを病気にでっち上げて薬を売ることは最近の医学界のトレンドであり、高血圧症・高血糖症・他責型鬱病・発達障害といったかなり疑わしい病気だけではなく、月経時の軽い障害までが病気として薬品市場の拡大に貢献している。この流れに乗ればアンチエイジングも予防医療と位置付けられない訳ではない。
 しかし医療と名乗るからには効果を証明する必要がある。効果のある薬は副作用もある。アンチエイジングを医療とするビジネスは魅力的だが危険も大きい。むしろあくまで民間療法に留めてぼったくることが最も有利なビジネスモデルなのかも知れない。騙すのは悪いことだが騙されるほうも阿呆だ。徐福に騙された始皇帝のようなものだ。

医原病

2013-03-08 09:00:44 | Weblog
 医療の常識はしばしば覆される。特にスポーツ医療で著しい。運動中に水を飲むな、という古い常識は完全に否定された。兎跳びも有害無益らしい。投手は肩を冷やすな、と言われて水泳さえ禁じられていたものだが、その後、筋力強化に採り入れられ、最近では投球後のアイシングが奨励されている。
 一般医療での目立った変化は、傷を消毒しなくなったことぐらいだろうか。これはここ数年のことで、今でもヤブ医者は平気で傷を消毒している。
 乳癌の乳房温存療法は欧米よりも約20年遅れてしまったが、10年ほど前から日本でも定着したようだ。しかしもし近藤誠氏などが医師生命を賭けて主張していなければこの療法は今でも認められていなかっただろう。
 医学は保守的だ。権威主義が跋扈する。古い知識しか持たない大学教授が新しくて正しい療法の邪魔をする。スポーツ医療のほうが見直され易いのは、こんな権威に胡坐をかき医学の進歩を妨げる人がいないからだろう。
 近い将来、見直されるであろうし、絶対に見直されるべき医療がある。ほんの少し基準値から外れただけで薬を使って検査数値だけを正常化させている馬鹿げた医療だ。検査数値だけを増減させても医療効果は殆んど無い。これは大きな切り傷の皮膚だけを治療して切れた血管を放置するようなものであり、対症療法以下の表面療法だ。こうして健康な人が病人扱いをされ、薬という毒物によって本当の病人にされてしまう。これが医原病だ。こんなデタラメが放置されているのは製薬会社による圧力のせいだろうか。
 今では否定されているが一時期、ロボトミーという手術が横行した時期があった。脳の一部を切除することによって危険な性格を匡正しようとしたのだが、これは有害であることが明らかになった。やたら臓器を切り取りたがる外科医はロボトミーと同じ間違いを犯しているように思える。内科であれ外科であれ、誤った医療は病気そのものよりも危険だ。

農業

2013-03-06 09:40:19 | Weblog
 TPPで壊滅的な打撃を受けるのなら日本の農業は一度滅んだほうが良いと思えてならない。ド素人の暴言かも知れないが農業に対する私の率直な疑問を吐き出す。
 ①農業は高齢化が進んで大変だと言うが、それは逆に土地さえあれば誰にでもできる簡単な事業だということではないだろうか。農業に定年は無いから、統計上で専業農家とされている人の大半が実は定年後の元サラリーマンであり優雅な自宅菜園経営者であるという事実は殆んど報じられていない。
 ②日本の食料品の価格が高止まりしていることの被害者は日本国民だ。食品の価格は「逆累進性」があり低所得者ほど負担が重い。日本のエンゲル係数は先進国の中では頭抜けて高い。その一因は関税だ。米は777.7%、落花生は736.8%、バターは360%、砂糖は328%、小麦は251.8%というとんでもない関税が掛かっている。これによって国民は国際価格から懸け離れた食費を負担させられている。先日、小麦の値上げが発表されたが、関税をほんの少し下げるだけで値上げは回避できる。
 ③俗にクロヨン(9・6・4)ともトーゴーサン(10・5・3)とも言われるように農家の所得は殆んど把捉されていない。収入額さえ分からないままで戸別所得補償などできる筈がない。実際の話、補償を受けた麦農家811戸を調査したところ379戸で不正が発覚したそうだ。こんなデタラメなバラ撒き優遇策は即刻廃止すべきだろう。
 ④農家は政府による保護政策によって延命されていると言われている。これは本来、淘汰されるべき中小小売店の延命を図った大規模小売店舗法と同様、政治家による票集めに過ぎず、弱者救済を騙って将来に禍根を残す愚策ではないだろうか。
 ⑤かつてオレンジやグレープフルーツの輸入が自由化される際、農林水産省は「蜜柑が壊滅的な打撃を受ける」と主張していた。この予想と事実のギャップをどう説明できるのだろうか。こんな前科がある以上、TPPの影響に関する農水省の予測は眉唾物と考えざるを得ない。
 これらはド素人の素朴な疑問だ。間違っているなら是非指摘して欲しい。批判的なコメントは大歓迎だ。間違いに気付けばその分、賢くなれる。

報道の自由

2013-03-06 09:05:43 | Weblog
 国境なき記者団が1月30日に報道の自由度ランキングを発表した。日本は一昨年の11位、昨年の22位から更に順位を下げて53位とされた。韓国の50位よりも下ということに疑問はあるがそんなものなのかも知れない。政府などの発表を無批判に垂れ流す姿勢は無責任そのものでありジャーナリストとしての魂を捨てているからだ。
 「○○がこう言った」と報道する限り事実誤認にはならない。「こう言った」ということは事実だからだ。しかし言った内容が嘘であればそれを垂れ流すマスコミが嘘に加担したことになることを見逃してはならない。○○が「地球はもうすぐ滅ぶ」とか「癌は伝染病だ」とか言えばマスコミはそのまま垂れ流して責任を負おうとはしない。本来、自由と責任は表裏一体のものなのだから責任逃れに終始している限り自由は無い。
 更に呆れることはこのニュースが殆んど報じられていないことだ。このことだけでも都合の悪いことを隠蔽するマスコミの体質が現れている。私が調べた限りでは、NHKと産経新聞と日刊スポーツ以外の主要メディアは報じていない。報道の自由に関するニュースはマスコミにとっては最重要だと思うのだが日本のマスコミにとっては無視しても構わない情報らしい。
 最も笑える、あるいは嘆かわしいのは例によって朝日新聞だ。「朝日新聞デジタル」を使って検索してみたところ、朝日新聞は今回のニュースを報じなかっただけではなく、これまで報道の自由度ランキングについては唯一度平成24年11月13日に触れただけでその内容は「報道の自由ランキングで中国より下に位置するのは、エリトリア、北朝鮮、トルクメニスタン、シリア、イランにすぎない」というものだった。日本に対する評価については一度も触れずに中国・北朝鮮を誹謗するためにのみこの情報を使うとは全く驚くしかない。こんな偏向体質の新聞が日本のマスコミを代表するのだから、日本に報道の自由が無いのは当然なのかも知れない。

言論の冒涜

2013-03-04 10:42:23 | Weblog
 84歳の母と話していて時々驚かされる。とんでもない常識外れのことを言い出すからだ。認知症の兆候か、と身構えてしまうが、何のことはない、ただの週刊誌情報の受け売りだ。
 都会に住む人には分からないかも知れないが、田舎の老人は今でも活字信仰を持っている。活字でしか知らない都会の情報をまるで外国での出来事のように真に受けてしまう。週刊誌の記事が嘘だらけであることは都会に住む人にとっては常識でも田舎者は本気にしてしまう。
 私は未だ読んだことが無いが、東京には東京スポーツという物凄い新聞があるそうだ。何でも事実よりも嘘のほうが多いらしい。東京に住む人は多分ジョークとして受け流しているのだろうが、田舎者がこれを読んだら驚嘆するだろう。
 テレビの歴史ドラマも脚色が多過ぎるように思う。明らかに史実と違っていることがしばしばある。史実に基く新解釈なら構わないのだが、史実を歪めて話を面白くするのは歴史に対する冒涜だ。偽史の捏造だ。
 老人や子供は活字と同様テレビを信じ勝ちだ。テレビの歴史ドラマを見たせいで誤った歴史を刷り込まれているのでは教育効果ゼロどころかマイナス効果だ。娯楽のために歴史を改竄すべきではない。日本では言論・出版の自由が保証されている。しかしその自由を悪用してデタラメが横行するのなら困ったことだ。
 プラトンは「国家」で詩人を有害な者として否定した。事実よりも虚構を、思索よりも娯楽を優先するからだ。私はこれを極論として軽く考えていたが、マスコミに騙されっ放しの母を見ていると大真面目に考えざるを得なくなる。

ハトとタカ

2013-03-04 10:08:19 | Weblog
 漫画の「ライアーゲーム」にも使えそうなこんなゲームがある。
 対戦者2人と胴元がいる。対戦者は会話を禁じられてハトのカードかタカのカードのどちらかを選んで同時に提示する。①両者がハトのカードを出せば胴元から両者に1,000円ずつ支払われる。②両者がタカのカードを出せば2,000円ずつを胴元に収めねばならない。③ハトのカードとタカのカードが出た場合、ハトは胴元に1,000円を納め、タカは胴元から2,000円を受け取る。この場合、ハトのカードなら勝てばプラス1,000円で負ければマイナス1,000円、タカは勝てばプラス2,000円で負ければマイナス2,000円なのでランダムの場合の期待値は等しい。
 このゲームでの最善の戦略はお互いにハトのカードを出し続けることだ。そうすれば対戦者は毎回1,000円ずつ得をして、胴元は2,000円ずつ損をする。
 ところが一方がタカのカードを出すと状況は一変する。ハトのカードで損をした人は次のゲームでは必ずタカのカードを使う。そうするとタカ対タカが延々と続き、双方が毎回2,000円ずつ損をするということになる。タカ同士で2,000円ずつ損をするよりもハトを出して1,000円損をしたほうがマシなのだが、タカを出すことによって相手に対する敵意を見せるようになる。これでは損をするばかりでありゲームは続けられない。お互いにハトを出せば互恵関係になれるのに、お互いがタカを出し続けて首を絞め会うような状況に陥る。
 国家間の関係もこれと似ている。お互いがハト派であればwin-winの関係を築けるのに、一方がタカ派になればもう一方もタカ派戦略を選ばざるを得なくなる。
 中国や韓国が反日教育をしていても、つまり「タカ系」であっても日本はハト派であり続けられた。しかし両国が強硬なタカ派になれば日本もタカ派にならざるを得ない。
 これはどの国にとってもメリットは無い。冒頭に挙げたゲームとは違って話し合いが禁じられている訳ではないのだから冷静に協議すべきだろう。それを怠るのは馬鹿げたチキンレースだ。

思考の自由

2013-03-02 08:52:37 | Weblog
 言論の自由は憲法21条で保証されているがもっと大切なことがある。思考の自由だ。こちらは憲法19条で「思想及び良心の自由」として保証されている。しかし人は思考を抑圧しておりそれが精神障害に繋がることがある。フロイトは性欲に対する抑圧を指摘したが怒りも抑圧されている。
 怒りこそ変革を促すパワーだ。だからこそ権力者は怒りを否定しようとする。怒りを下劣な感情と扱おうとする。国民を去勢して従順な羊にすることが彼らの狙いだ。
 もし本当に怒りが単に有害な感情だったらそんな感情を持つ人は淘汰されていただろう。淘汰されなかったのはそれだけ重要な感情であることの証明であるとさえ言えよう。
 怒りを強制的に抑え込むことは難しい。抑圧された怒りは捌け口を求める。権力者にとって重要な仕事は適切な矛先を作ることだ。アメリカは北朝鮮とイランを、中国と韓国は日本を、北朝鮮はアメリカを憎むことで国民に憂さ晴らしをさせている。
 翻って日本ではどうだろうか。どうやらマスコミに叩かせてそれに同調させることによって憂さ晴らしを提供しているように思えてならない。公務員バッシングや生活保護費の不正受給や北朝鮮・中国に対する偏った報道、これらは意図を持っているのではないだろうか。
 例えば生活保護費の不正受給の問題がいつの間にやら生活保護費削減の話に摩り替わる。これは福祉費を削減したい政府の意向に適ったものだ。
 怒るべき対象を見誤るべきではない。正しく怒ること、変革すべき方向を見失わないことが大切だ。
 マスコミの言いなりになって怒るべきではない。思考の自由の第一歩は正しい怒りだろう。権力者による陽動作戦に騙されていれば、怒りという大切な感情までも知らぬ間に彼らによって利用されてしまう。