俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

認知症

2014-08-23 09:48:29 | Weblog
 最近では馬鹿やアホは差別語だから使えないようだが昔は「♪馬鹿は死ななきゃ治らない♪」とか「♪アホは治るよ、こうすりゃ治る♪(アホの坂田)」といった歌があった。アホ・馬鹿はともかくとして認知症は治せるのだろうか。
 基本的には治らない。認知症は脳の老化だからだ。肉体の老化が治せないように脳の老化も治せない。治せるのは譫妄などの認知症紛いだけであり、その正体は医原病だ。
 血圧や血糖値を下げる薬によって認知症紛いの患者が大量に作られている。脳は血液によって運ばれる糖質を使って活動する。動脈が硬化して血管が細くなった老人なら、血圧を上げるか血糖値を高めることによって脳に十分な糖質を補給する。それを薬によって妨害すれば脳の活動は低下する。これは2+3=5と同じくらい明白だ。こんな馬鹿なことが医療の名の元で行われている。本当は内科医が作った脳の低血糖状態に過ぎないのに、それを知らない心療内科医は初期の認知症と誤診して誤った治療をするから本当の認知症になってしまう。こんなバラバラで支離滅裂な医療ではなく全体を診る総合医療であるべきだ。
 鬱病などの「治療薬」も認知症の原因になる。鬱病の原因は千差万別なのだがその原因を無視してSSRIなどの抗鬱剤が投与される。これは脳の機能の一部を麻痺させる薬物に過ぎない。危険ドラッグと同じような精神攪乱物質が治療薬として使われている。麻薬や危険ドラッグと同じように抗鬱剤が精神を破壊する。認知症の薬もまた認知症を悪化させることが多い。脳に異常反応を起こさせることを目的とした薬だからだ。 もしアルコールが社会に蔓延していなかったらこれは鬱病の特効薬として称賛されていただろう。抗鬱剤はアルコールよりも副作用が遥かに大きい。
 要するに、治療可能な認知症とは大半が医原病だ。藪医者が作り出す人工的認知症だ。本当の認知症であれば治らない。しかし現代日本の認知症患者の半分以上が医師によって作られた医原病患者と思われるから諦める必要は無かろう。誤った医療を改めるだけで大勢の人が救われる。 


薬のリスク(7)

2014-08-21 10:09:54 | Weblog
 薬は危険だ。薬は元々、人体に異常反応を起こさせる劇物だ。毒を以って毒を制すことが薬効であり、有害性が現れないギリギリの量が処方される。
 食品に添加される保存料も多くは有害物だ。しかし使われる量が薬とは全く違う。安全な量の1/100以下しか使用が許されない。綱渡りのような薬とは違ってかなり安全だ。
 なぜかマスコミは食品添加物を目の敵にしたがる。添加物の安全性は充分に管理されており、元々毒性を持つタマネギやジャガイモやトマトなどと比べて遥かに安全だ。タマネギは食材だから普通に流通しているが、これをもし食品添加物として使用しようとすれば多分数㎎しか許容されないだろう。それほど食品添加物は厳しく規制されている。
 薬は絶対安全な量であれば全然効かない。人体に異常反応を起こす量でなければ効果は無い。投薬と手術が有害と分かっていても許容されるのはそれによる治療が期待できるからだ。リスクに見合うベネフィットの可能性があるからだ。
 食品添加物のターゲットは様々な腐敗菌などだ。腐敗菌を抑えれば良いのだから絶対に安全な量で充分だ。人体に異常反応を起こすことが目的である薬とは全然違う。
 最も薬らしい薬とは抗癌剤だろう。抗癌剤の副作用の酷さはよく知られており、癌ではなく抗癌剤の副作用で死ぬ人も少なくない。命に係わる癌だからこそこんな猛毒が許容されている。それほど有害でありながら治療効果は殆んど無いらしい。運が良ければ進行を少し遅らせることがあり得るという程度だ。
 抗癌剤ほどではないがどんな薬も人体に異常反応を起こすために使われる。薬を常用すればその効果によって人体は異常になる。これは副作用ではなく「本作用」だ。

食傷

2014-08-21 09:43:18 | Weblog
 こんなジョークがある。
 ビル&ヒラリーのクリントン夫妻が動物園を視察した。動物の好みが異なる二人は別々に歩き、先にヒラリーがチンパンジーの檻の前に来た。チンパンジーが老いも若きも1日に何度も交尾をすると聞いて彼女は「必ずビルに伝えてね」と言った。少し遅れてビルが来た。案内係員はヒラリーからの伝言を伝えた。するとビルは、パートナーが毎回同じかを尋ね、チンパンジーが乱婚であることを確認してから「必ずヒラリーに伝えてくれ」と言った。
 人間のオスにも似た性質がある。同じ人と何度も性行為をすることは難しいが、相手が代われば何度でも勃起するらしい。男の困った性(サガ)だが遠いご先祖様から受け継いだ性質なのだから本能として諦めるしか無かろう。
 カブト虫のオスはもっと酷い。交尾を終えるとメスを角で遠くまで投げ飛ばしてしまうそうだ。これは別のメスと交尾することにより繁殖機会を増やすための行動だと言われている。
 動物のオスには繁殖のチャンスは無数回ある。だからできるだけ多くのメスと交尾しようとする。ところがその一方で、メスは交尾回数を増やしても殆んどが繁殖に役立たない。だからメスは多くと交尾することよりも良いオスを得ようとして選り好みをする。一夫一妻制は人類のメスの好みに迎合した、オスにとっては不合理な制度だ。
 食物も同じ物ばかりでは飽きるが「別腹」という言葉があるように全然違った物であれば食欲が刺激される。この性質があるからこそ食物が偏らず、様々な食材をバランス良く食べることに繋がるのだろう。
 単品食ダイエットが可能なのは、同じ物ばかりを食べることに飽きて食欲が湧かなくなるからだろう。栄養が偏り食べる量も減るのだから必ず(不健康に)痩せる。
 野生動物に肥満が見当たらないのは、餌が足りないのではなく餌の種類が少ないので食べ飽きるからではないだろうか。動物園では様々な食材が供給されるので食べ飽きない。だからパンダやコアラのような極端な偏食の動物以外には肥満が見られる。

自白

2014-08-19 10:07:06 | Weblog
 「木曽路」が3店でメニューを偽装した。しかし朝日新聞にこれを咎める資格があるのだろうか。木曽路は2012年以降の一部の従業員による犯罪らしいが、朝日新聞の捏造記事は1982年以来の会社ぐるみでの犯罪だ。これではオウム真理教の麻原彰晃がコソ泥を非難しているようなものだ。
 朝日新聞は福島第一原発が放射能漏れを起こせば大喜びで記事にするが、自らが32年間に亘って垂れ流した贋情報についての反省は見られない。
 あるいは昨年の5月には橋下大阪市長による慰安婦発言に対して総力で非難をしたがその非難が正当だったかどうかを検証していない。朝日新聞による橋下攻撃の論拠は8月に取り消した吉田証言に基づいており、今やその非難は根拠を失った。橋下市長は名誉毀損で朝日新聞社を訴えるべきではないだろうか。朝日新聞は誤報を認めることによってこれまでの主張の根拠を失っている筈なのだが、奇妙なことに結論を改めようとはしない。これでは最早、空中庭園であり砂上の楼閣だ。
 戦時中の大本営発表以来の、つまり戦後最大の虚偽報道事件だと思う。大本営発表記事は軍部による圧力があったので同情の余地があるが、朝日新聞は会社の意思として嘘に嘘を重ねたのだから同情の余地は無い。
 解せないのはなぜ突然自白をしたのか、だ。咄嗟にある事件を思い出した。パソコン遠隔操作事件の片山被告だ。被告は一貫して無実を訴えていたが、捜査攪乱のために使ったスマホを埋めたところを目撃されるとあっさりそれまでの犯行を総て認めた。
 朝日新聞は何か動かぬ証拠を見つけたのだろうか。他社に発表されて追い詰められてから自白するよりはマシということで「自首」を選んだのだろうか。あるいはこれまでの捏造に加担しなかった良心的な記者による追及に耐えられなくなって白状したのだろうか。内部情報についても自白して貰いたいものだ。
 偽装事件においては総ての企業が何等かの責任を取っている。朝日新聞社は言論機関らしく、言論によって徹底的に責任を果たすべきだ。

情報と情動

2014-08-19 09:30:10 | Weblog
 動物にとって最も重要な情動は恐怖だ。危険を回避することが最優先されねばならない。危険を回避し切れない時に現れる情動が怒りだ。窮鼠猫を噛む、が怒りの本質だ。強敵から逃げたいのに逃げられない時、怒りが現れる。怒りは恐怖と表裏一体の感情だから、怒りの表情と恐怖の表情はよく似ている。
 人間は感情的動物であることをマスコミはよく知っている。だから理性に訴えず感情に訴える。
 今月、どういう訳か、中国製割り箸の危険性を指摘する記事を2つ見掛けた。1つは上海のレストランで割り箸を水槽に入れたら金魚が死んだ、という記事で6日に報じられた。
 もう1つは広西チワン族自治区の、カビが生えた割り箸を二酸化硫黄などで漂白していた工場が摘発された、という記事で17日に報じられた。
 もしかしたらこの2つの記事は同じ事件を扱っているのかも知れないが、この2つのどちらが印象に残るだろうか?圧倒的に「金魚が死んだ」のほうだ。カビの有害性も二酸化硫黄の有害性もどの程度なのか分からないが、金魚が死んだということであれば具体的だ。映像で見ればその差はもっと大きくなるだろう。
 テレビ局も新聞もとにかく「絵」を求める。言葉ではなく画像によって伝達しようとする。それは視聴者も読者も視覚によって判断するからだ。言語は論理の世界に属し絵は感性の世界に属する。かつて湾岸戦争の際、油塗れの海鳥の写真を見て世界中の人々がショックを受けたように視覚刺激は感情に訴える。マスコミは情報ではなく情動によって人を思いのままに操ろうとする。情動で操られた人を論理によって説得することは極めて難しい。

不安と痒み

2014-08-17 10:15:48 | Weblog
 不安を解消するためには論理的な対応と心理的な対応がある。論理的な対応は具体的に危険なものに対応することだが、これが更に合理的なものと不合理なものに分けられる。
 9.11のアメリカの同時多発テロの後、飛行機は怖いと思うようになった。ここで多くのアメリカ人は選択を誤った。自動車事故が多発するようになったからだ。距離当たりの死亡率は自動車のほうが25倍も高い。遠距離を自動車で移動することは危険が増すだけではなく時間も浪費される。全く不合理な選択だった。
 論理的かつ合理的な対応は機内持ち込み品の規制だ。一昔前であれば金属探知機があれば充分だったが、液体爆弾やプラスチック爆弾などが開発されたために厳重な検査が必要になった。更に体内にプラスチック爆弾を埋め込んだ人間爆弾ともなれば持ち込み品規制では解決できない。体内持ち込み阻止の技術は爆弾だけではなく不法薬物の密輸を防ぐためにも使えるので今後急速に進歩するだろう。
 しかし圧倒的に重要なのは心理的対応だ。感情を論理的・科学的根拠によって覆すことは難しい。感情に訴えるしか無い。不安を捻じ曲げて怒りに変えたブッシュ大統領のやり方は政治的・倫理的には問題があるが、心理的には有効な対策だった。
 不安は決して激しい感情ではない。PTSDのような恐怖とは違って弱い感情だ。マスコミが騒ぎ立てさえすれば根拠が乏しくても信じる類いの迷信にも近いものだ。遺伝子組み換え農作物やダイオキシンやオスプレイのように何となく危ないものと感じていることが少なくない。
 痒みとは実は軽度の痛みらしい。「痒点」は存在せず痛点に対する弱い刺激が痒みになる。不快な痒みから逃れるための最も簡単な方法は掻いて痛みに変えることだ。痒みよりは痛みのほうが耐え易い。不安についても同じ手が使える。もっと強い感情に摩り替えれば不安が解消される。多分ブッシュ大統領は心理学者のアドバイスに基づいてこの手を使ったのだろう。
 人にとって最大の不安は、自分がいつ死ぬか分からず、死後どうなるのか誰も知らない、ということだ。必ず訪れる死が人にぼんやりとした不安を感じさせる。痒みを痛みに変えるように、不安を絶望に変えようとする人がいる。彼らの自暴自棄的な姿勢は曖昧なものを明確なものに変えようとするからだ。痒みに耐えるように不安に耐えてそれを直視する必要がある。

日本の農業

2014-08-17 09:41:09 | Weblog
 マスコミの報道姿勢の影響もあり、日本では遺伝子組み換え農作物は不評だ。何となく危険だと思っている。昔、バイオ技術が持て囃されたのとは全く逆の状況だ。これが日本の農業の危機を招くのではないかと私は秘かに心配している。
 遺伝子組み換え技術によって病虫害に強い品種も作られている。これを栽培することによる最大のメリットは、農薬の使用を減らせることだ。これは単にコストの削減になるだけではない。土壌の汚染を防ぐことになる。更には川や湖の環境を守ることにも繋がる。環境汚染を心配する人々がなぜこの点を高く評価しないのか不思議でならない。フードマイレージとかバーチャルウォーターのようなまやかしの指標よりも農薬使用の削減のほうが確実に有効だろう。
 世界が遺伝子組み換え農作物によって収穫量を増やしているのに、頑固に昔ながらの作物に拘れば国際競争で敗れるということにもなりかねない。機械化が進んでいる時に手作業を改めようとしないようなものだ。
 安全性に疑問を持つ人は少なくない。しかし遺伝子組み換え農作物は既に大量に生産され大量に消費されている。この実績を考えれば危険性は殆んど無いように思える。
 新薬は危険だ。販売が承認された後で副作用が見つかって大規模な薬害を招いたサリドマイド事件のような例は沢山ある。しかし遺伝子組み換え農作物の場合、実験数が新薬とは2桁も3桁も違う。例えば遺伝子組み換えトウモロコシは牛や豚の飼料として日本でも大量に消費されている。あるいは既に遺伝子組み換え農作物が大量に流通しているアメリカで、これによる健康被害は発生していない。
 逆説的な言い方だが、遺伝子組み換え農作物のほうが却って安全なのではないだろうか。遺伝子組み換え技術を使った新品種は厳重に安全テストが行われる。その一方で既存種は現状のままで流通している。一部の人がアレルギー反応を起こす小麦やソバであれ、犬や猫などには有害なタマネギであれ、既存の危険な食材は放置されている。遺伝子組み換え技術を使えば、アレルギーを起こさない小麦や犬・猫にも安全なタマネギを開発することも可能だろう。
 新しい商品であれば欠陥があるかも知れない。画期的な新商品が思わぬトラブルを招くこともある。しかし高品質な新商品が安全と分かれば積極的に導入すべきだろう。いつまでも遺伝子組み換え農作物に偏見を持っていれば、そのことによって日本の農業がガラパゴス化して世界の農業の進歩から取り残されるかも知れないと私は危惧する。

原因と結果

2014-08-15 10:10:20 | Weblog
 東京医科大学などのグループが「運動やボランティアなどの社会活動に参加している老人ほど要介護になるリスクが低くなる」と発表した。社会活動に参加しない人と比べて、運動する人は34%、趣味を持つ人は25%、町内会活動をする人は15%、それぞれ要介護になる確率が下がるとのことだ。詳しく説明するのが馬鹿馬鹿しくなるほど酷い研究だと思う。相関性と因果性を混同しており、原因と結果の関係は無茶苦茶だ。
 運動と要介護に負の相関性があることは確かだ。しかしどちらが原因だろうか?介護が必要になる人の多くはそれ以前から運動に参加できないほど体力が乏しい人だろう。元気な人だけが積極的に運動をするのだからこの相関性から、運動すれば要介護になりにくいという結論を導くことはできない。もし週2回の長距離走を欠かさないという老人がいれば多分5年後も元気だろう。このことで長距離走が有効だったと結論付けることはできない。
 趣味を持つ人にしても町内会活動をする人にしても、元気で時間を持て余しているから積極的である可能性が高い。元々元気な人はその後も元気だということにしかならない。
 研究者でさえ因果と相関を区別できないぐらいだから医療はデタラメが横行する。なぜだか分からないが医療関係者は因果と相関を区別できない人が多く、有害な医療が蔓延る。薬を飲んで風邪が治る訳ではない。風邪なんか充分な栄養を摂って安静にしていれば勝手に治る。主役は自然治癒力だ。対症療法薬はむしろ治癒の妨害をしている。その場凌ぎでしかないことが現代医療の重大な欠陥だ。
 現在アフリカで猛威を振るっているエボラ出血熱に対して医師はどんな治療をしているだろうか?実は点滴をするだけだ。点滴で栄養補給をすることによって免疫力を高めることが現在可能な唯一の治療だ。
 医療は患者を害してはならない。有害な薬の使用を慎むだけで人は随分健康になれるだろう。

進化

2014-08-15 09:40:09 | Weblog
 進化論は面白い。それは静的な生物学ではなく動的な生物学だ。単に今を叙述するのではなく、どんな経緯で今があるのかを解明するダイナミックな理論だ。その中から少し特殊で興味深い事例を紹介しよう。
 ①分断淘汰・・・中間ではなく両極が生き残ることがある。典型例は卵子と精子の役割分担だ。受精において1個の動かない卵子に向かって無数の精子が働き掛ける。原初においてはこれほど極端な役割分担ではなかったらしい。卵子も精子も相手に向かって動いていたようだ。しかし両者が動くことは無駄が多い。一方が動けば充分だ。だから豊富に栄養を持って動かない卵子と、身軽で動き回るがすぐに死ぬ精子という両極が適者となったようだ。中途半端な性質のものは淘汰された。
 ②相関変異・・・ある特性が他の特性と相関することがある。クチバシの短い鳩を作ろうとしてそんな鳩を選んで掛け合わせれば徐々にクチバシの短い亜種ができる。ところがそれと併行して足まで短くなるそうだ。鳩においてはクチバシを短くする遺伝子と足を短くする遺伝子は何らかの相関性を持っている。両者が同じ遺伝子の働きによるのか、それとも違った遺伝子が決定因だがそれを発動させる遺伝子が同一なのかは解明されていないが、生物において複数の特性が相関することはしばしば起こるらしい。
 これらは生物学的事実に過ぎない。しかし人間社会にも応用できそうな気がする。なぜなら生物の進化とは極めて合理的なものだからだ。最適でないものは淘汰される。目のような複雑なものまで進化は生み出した。人間は未だ科学技術によって目を作ることはできない。科学技術によって代行可能なのはごくごく一部に過ぎず、今のところ目の機能回復のための最善策は移植だ。移植を超えられないことこそ科学の無力さの証しだ。科学は人間の部品さえ作ることはできない。
 自然界に潜む叡智は人智よりも高いレベルだ。飛行機は鳥の模倣から生まれ、高速水着は鮫の肌を模倣し、痛みの少ない注射器は蚊の吸い口の模倣によって生まれた。自然界は自然淘汰によって生まれた合理的機能の宝庫だ。現代文明は未だ大自然が持つ叡智の足元にも及ばない。人類はまだまだ自然界から学ぶべきだろう。

免罪符

2014-08-13 10:21:20 | Weblog
 9日から10日にかけて三重県全域に大雨などの特別警報が出されそれを受けて市町村が57万人に避難指示を出したが、実際に避難したのはたった4,671人で負傷者数は僅か6人だったそうだ。結果的には一部の地域で床上浸水があった程度であり50年に1度レベルの災害とは言い難かった。特別警報を出して注意を喚起したから災害を未然に防げたと弁解することは可能だが空騒ぎだった。大体なぜ三重県全域が特別警報の対象になって周辺県が対象外になるのかさっぱり理解できない。自然災害は人工的な県境とは無関係だ。三重県は南北に長いから北部と南部とでは気候が全然違う。今回の大雨は北部に偏っていたのだから全県ではなく三重県北部で充分だっただろう。
 特別警報が出されたのはこれで3度目だが、昨年9月の京都府等も今年7月の沖縄も大災害には至っていない。逆に、土石流災害のあった昨年10月の伊豆大島では特別警報が出されず避難勧告も無かったということで散々批判された。
 こんな風潮では騒いだほうが得だ。危険かどうか分からなければとりあえず特別警報を出して市町村は避難勧告をする。空騒ぎに終わっても構わないのだから免罪符のようなものだ。こんなことが続けばイソップ寓話の「狼少年」の話のようになってしまう。
 他の動物と同様に人類も恐怖に敏感だ。恐怖という感情に最も敏感に反応する。しかし電気ショックを受け続けた犬がそのうち無反応になってしまうように、空騒ぎが続くと人も無反応になってしまう。このことこそ恐ろしい。
 マスコミは危険を煽りたがる特性を持っている。人類が臆病な動物であり危険情報に敏感だから、その弱点を突くことによる商業的メリットが大きいからだ。
 我々に必要なのは適切に怖がることだ。飛行機を怖がる人は少なくないが、航空機事故による死亡確率は25億㎞当り1人であり自動車よりも25倍も安全だ。こんなことをマスコミは報じない。基準値の2倍の食品添加物が検出されれば危険と騒ぐが、基準値が安全値の1/100以下に設定されていることは報じない。その一方で、東北地方での基準値を超えた放射線量は極力報じないようにする。こんなダブルスタンダードを使われたら我々は混乱する。自力で補正できなくなるからだ。
 朝日新聞と赤旗が最も読みやすい新聞と言われている。偏りが一定であれば自分で補正をすることによってかなり中立的な情報を得られるが、ダブルスタンダードやトリプルスタンダードを使われたら素人は訳が分からなくなる。正しく怖がるための情報が望ましい。