昔は、野球の投手は肩と肘を冷やしてはならないとされていた。しかし現在の投手は登板後にアイシングをする。アイシングには肩や肘の炎症を予防する効果があると言われている。
アイシングには痛みを抑える効果もある。但しこれは痛みそのものの軽減ではなく、痛覚を鈍化させることによって痛みを感知しにくくしているだけだ。丁度、大量に砂糖が含まれる飲料水でも冷たければ甘ったるく感じないように、低温が痛覚を麻痺させているだけだ。
アイシングが炎症を予防することは事実だろう。スポーツ医なら無数の事例を挙げて証明するだろう。しかし炎症を起こさないことによって肩や肘の故障が防止できることは証明されていない。ここに論理の短絡がある。
酷使すれば炎症を起こして痛む。ここで重要なことはどこが患部であるかだ。患部は関節や筋肉だ。ではなぜその周縁部が炎症を起こして痛むのか、代謝機能を活性化させて患部を治癒するためだろう。患部を治癒するために起こる生体反応が炎症でありそれを抑制することは治癒を妨害することになる。
因果を取り違えている。関節や筋肉に損傷が生じた場合に周縁部に発生する炎症を障害と考えているが、これこそ自然治癒力の発現そのものだ。炎症が起これば血流が増えて代謝機能が向上する。炎症を抑えてしまえば自然治癒力が働きにくくなる。
火事が起これば消防隊が来る。火事と消防隊には因果関係がある。火事を無くせば消防隊は来ないが、消防隊が来ないようにしても火事は無くならない。道路を狭くして消防車が来れないようにすれば火事が無くなると考える人はいないが、それと同様の錯覚に基づいてアイシングをしているのではないだろうか。炎症を抑えれば損傷は治らない。それは消防隊の活動を妨害するような愚行だ。結果に対する対策は原因に対する対策にはならないし、対策に対する妨害であれば有害なだけだ。影を真っ直ぐに直しても本体が真っ直ぐに直る訳ではない。
ダルビッシュ有選手の「中6日」発言がアメリカで波紋を広げているようだがそれは投手の肘の故障が社会問題化するほどに増えているからだろう。アイシングによって腫れず痛まない状態のままで損傷が温存されている。これはコレラの患者の症状だけを薬で抑えて退院させるような暴挙にも等しい。損傷が放置されるから肘の手術が増えているのだと私は考える。
対症療法に対する過信こそ人間の思い上がりだ。現代の医療に可能なことは自然治癒力を支援することだけだ。現代医学だけでは治療など不可能だ。自然治癒力に対する妨害は絶対にしてはならない。専門家による反論に期待したい。
アイシングには痛みを抑える効果もある。但しこれは痛みそのものの軽減ではなく、痛覚を鈍化させることによって痛みを感知しにくくしているだけだ。丁度、大量に砂糖が含まれる飲料水でも冷たければ甘ったるく感じないように、低温が痛覚を麻痺させているだけだ。
アイシングが炎症を予防することは事実だろう。スポーツ医なら無数の事例を挙げて証明するだろう。しかし炎症を起こさないことによって肩や肘の故障が防止できることは証明されていない。ここに論理の短絡がある。
酷使すれば炎症を起こして痛む。ここで重要なことはどこが患部であるかだ。患部は関節や筋肉だ。ではなぜその周縁部が炎症を起こして痛むのか、代謝機能を活性化させて患部を治癒するためだろう。患部を治癒するために起こる生体反応が炎症でありそれを抑制することは治癒を妨害することになる。
因果を取り違えている。関節や筋肉に損傷が生じた場合に周縁部に発生する炎症を障害と考えているが、これこそ自然治癒力の発現そのものだ。炎症が起これば血流が増えて代謝機能が向上する。炎症を抑えてしまえば自然治癒力が働きにくくなる。
火事が起これば消防隊が来る。火事と消防隊には因果関係がある。火事を無くせば消防隊は来ないが、消防隊が来ないようにしても火事は無くならない。道路を狭くして消防車が来れないようにすれば火事が無くなると考える人はいないが、それと同様の錯覚に基づいてアイシングをしているのではないだろうか。炎症を抑えれば損傷は治らない。それは消防隊の活動を妨害するような愚行だ。結果に対する対策は原因に対する対策にはならないし、対策に対する妨害であれば有害なだけだ。影を真っ直ぐに直しても本体が真っ直ぐに直る訳ではない。
ダルビッシュ有選手の「中6日」発言がアメリカで波紋を広げているようだがそれは投手の肘の故障が社会問題化するほどに増えているからだろう。アイシングによって腫れず痛まない状態のままで損傷が温存されている。これはコレラの患者の症状だけを薬で抑えて退院させるような暴挙にも等しい。損傷が放置されるから肘の手術が増えているのだと私は考える。
対症療法に対する過信こそ人間の思い上がりだ。現代の医療に可能なことは自然治癒力を支援することだけだ。現代医学だけでは治療など不可能だ。自然治癒力に対する妨害は絶対にしてはならない。専門家による反論に期待したい。