俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

鬱病

2015-08-12 10:22:00 | Weblog
 8日付けの「薬物療法」の記事について、鬱病と欝状態を混同していると思った人がいたかも知れない。混同しているのは私ではなく精神科医だ。安易に鬱病と診断し過ぎるから医原病が後を絶たない。
 サラリーマン時代、鬱病に罹った係長を預かったことが2度ある。勿論、私が鬱病に罹らせた訳ではない。他の部署で持て余していたから私の所で預かったという次第だ。二人共鬱病と診断されていたが所謂「新型鬱病」であり「真性鬱病」ではない。真性鬱病であれば精神エネルギーが枯渇した状態であり到底出勤できない。普通に生活できるが突然出勤できなくなるという割とお馴染みの症状だ。
 ただの上司であり医者ではない私にできることは限られていた。余りプレッシャーを掛けないことと、学生時代に学んだ心理療法の知識に基づいたアドバイスをすることぐらいだった。どちらのケースも私が人事異動で他の部署に移ってしまったために最後まで面倒を見られなかったが、二人共その後、中途退職をした。
 こんな新型鬱病とは違って真性鬱病は恐ろしい病気だ。最も印象に残っているのは読売ジャイアンツ在籍のまま急死した湯口敏彦投手だ。岐阜短大付属校出身で甲子園でも活躍した湯口投手は「高校三羽烏」と呼ばれたほどの逸材で1970年のドラフト1位で入団した。しかし思わしい成果を残せないまま72年の11月に鬱病で入院し翌年3月に急死した。当時大学で哲学と心理学とを二股掛けて勉強していた私が大学で入手できた情報は「自殺もできないほど精神が崩壊していた」とのことだった。
 鬱病が統合失調症と並ぶ代表的な精神病であるのは精神崩壊に至る重病だからだ。安易に鬱病と診断することは瘤やイボを腫瘍と呼ぶようなものだ。私が最も主張したいことは、軽度の欝状態に対して安易に鬱病と診断して危険な抗鬱剤を処方すべきではないということだ。抗鬱剤は危険な抗精神病薬であり、真性鬱病以外に安易に使うべきではない。新型鬱病に使うことは、蚊の刺し傷の周囲の肉まで抉り取るような過剰医療だ。将来、単に性格が悪い人や空想癖のある人を「新型統合失調症」と名付けて薬漬けにするようにならないかと危惧する。血圧が基準値よりもほんの少し高いだけで高血圧症と診断されている現状を見れば、そんな恐ろしいことが起こりかねないほどに医療は堕落している。「未病」という概念を悪用して病気でない人まで病人に仕立て上げて医療の市場規模を拡大しようとしているのではないかと勘繰りたくなるほど、グレーを黒扱いした有害な医療が巷には溢れている。

相対性

2015-08-12 09:40:28 | Weblog
 何度も書いたことだが、合成保存料はデメリットよりもメリットのほうが遥かに多い。殆んどの加工食品に合成保存料が使われているのは当然のことだ。ところがかつての「買ってはいけない」と同じような論法で、つまり合成保存料を基準値の数百倍から数万倍使って有害性を証明するという馬鹿げた内容の本が今でも飽きずに出版されている。基準値は閾値から算出されており、閾値を超えたら有害になるのであれば、その基準値も閾値も正当であることの証明になる。彼らは危険性が相対的であることを理解していない。
 絶対的に見れば総ての食材が危険物だ。米も野菜も肉も有害物を含んでいる。酸素は元々猛毒であり起爆性もある危険物だ。水でさえ飲みすぎれば水中毒を招く。有害な部分にだけ注目すれば何でも有害物になる。
 飛行機を怖がる人は少なくないが、距離当たりの死亡率は二番目に低い。一番低いのは日本の新幹線だが、その新幹線で事故があれば大騒ぎして荷物チェックをせよなどと言い出す始末だ。
 血圧が141㎜Hgであれば高血圧症と診断される。しかしこの程度の血圧が原因で病気になる人よりも降圧剤の副作用で医原病に罹る人のほうが遥かに多いだろう。
 エスカレータでの事故は奇妙なほど騒がれる。しかしもし移動距離当りでの事故率の統計があれば、エスカレータが階段より数十倍安全であることが証明されるだろう。
 誰が言い触らしたことが原因なのかよくわからないが、エアコンが体に悪いと信じている人がいる。この迷信のせいで板橋区の老姉妹3人が熱中症で亡くなった。エアコンのせいで死んだ人など一人もいない。私が子供の頃は、扇風機の風を1時間以上受けると死ぬ、という嘘が蔓延していた。
 皮膚癌が怖いと言って紫外線が毛嫌いされている。紫外線を避けることによるビタミンD欠乏症や日焼け止めクリームの副作用のほうがずっと危険だ。
 何にでも危険性はあるのだから、何と比べて危険であるかの比較対象を明確にする必要がある。
 秦の始皇帝は不老不死を求めて様々な薬を常飲していた。その中には水銀や砒素まで含まれていたらしい。彼は健康オタクであったために49歳で病死した。もしかしたら世界で初めて医原病で死んだ人なのかも知れない。

テレビの罪

2015-08-10 10:24:19 | Weblog
 私の母はしばしばトンチンカンなことを言う。何を根拠にしているのかと尋ねれば「テレビで言っていた」と答える。聞き齧りでの話だからどんな番組でどんな状況での発言なのか全く分からない。多分コメンテーター役の芸能人の不真面目な発言を真に受けたものだろう。こうしてデマが広がる。
 テレビには多くのルールがある。被害者を徹頭徹尾善人として扱うこと、スポンサー様の機嫌を損なわないこと、通説を尊重すること、など無数にある。これらのルールがあるからテレビから得られる情報は偏る。
 7月に静岡県西伊豆町の川で家族7人が死傷した感電事故に関して、電気柵を設置した老人がこの7日に自殺に追い込まれた。これはマスコミによる殺人だ。被害者の家族の誰かが電線を切ったからこそ起こった事故だと思えるのだが、マスコミは被害者無謬の立場を貫くからこの老人が一方的に悪人にされていた。もし裁判になっていればある程度の過失相殺が認められると思える事件だけに、これはマスコミによるリンチ事件だ。
 かつてダイオキシン猛毒説が疑いを許さなかったように、日本のマスコミはCO2による地球温暖化仮説に対する批判を許さない。余り詳述しないが、欧米では2009年のクライメートゲート事件でIPCCによるデータ捏造が暴かれて以来、すっかり俗説扱いになっている。これはSTAP細胞事件など足元にも及ばないほどの科学スキャンダルだったと思うのだが、日本では殆んど報じられなかった。朝日新聞ではたった1段のベタ記事だった。間違った報道が悪いのは勿論だが、重要な情報を主義主張に合わないという理由から過小扱いすべきではなかろう。
 テレビでは理性ではなく情緒に訴えようとする。そのほうが印象に残るからだ。人間は事実をそのまま記憶することが苦手だ。例えば「電車、睡眠、猫」という3つの単語を覚えようとすれば、それぞれを記憶するよりも「電車の中で眠っている猫」をイメージしたほうが覚え易い。関係の無いことでも関係付けて覚えることが少なくない。
 マスコミ、特にテレビは事件の本質を正しく伝えることよりもドラマに仕立てて印象を強めようとする。現実は必ずしもドラマチックではないからマスコミによって脚色され勝ちだ。視聴者もつまらない事実よりも面白おかしい半事実を好む。情報の価値は有意義かどうかではなく面白いかどうかによって決められる。
 子供による犯罪は格好のネタだ。未成年者の犯罪において警察は詳細を発表しない。事実が分からないから勝手な憶測が罷り通る。「心の闇」とか勝手なテーマを作ってまことしやかな物語が作られる。勿論「かも知れない」という類いの言い方をするが殆んどがフィクションを通り越したファンタジーの世界だ。それを聞き齧った人が更に尾びれを付けて言い触らす。事実が分からない時に憶測に基づいた無責任な発言をマスコミがバラ撒くべきではなかろう。

不感

2015-08-10 09:37:56 | Weblog
 放射線も紫外線も病原体も知覚できないが存在する。人類の知覚は不充分な機能しか持っておらず、危険なものでも知覚できないことが少なくない。しかし多くの場合、危険が知覚されなければ安全と判断される。更に誤った判断は、不快感が無くなった時点で安全になったと思い込むことだ。
 もし暑さを感じなくなる薬を飲めばどうなるだろうか。暑く感じなければ快適だろうが、これはまやかしの快適さだ。体にとって良くない状態のままでありながら暑さを感じないから汗も出ない。体温はどんどん上がって熱中症になるだろう。
 これが対症療法の正体だ。危険な状態を放置したまま不快感だけを取り除くから却って病気や傷害を悪化させる。足を挫けば患部を保護せねばならないのに痛みを感じなければ不用心に扱う。虫垂炎の痛みを薬で散らしていれば腹膜炎を起こす。鬱病に罹る人は過酷な境遇に耐えられず発病するのに抗鬱剤で気分だけを操作するから狂人になる。
 足を挫いた時に鎮痛剤が効くと考えるのは100%錯誤だ。痛みを誤魔化している内に自然治癒力が働くから治るだけだ。正しい対処は傷みを自覚して患部を庇うことだ。そうすれば鎮痛剤を使うよりもずっと早く完治する。誤魔化しの技術が医療の名を騙っている。
 痛みや苦痛は単なる不快感ではない。危険に対する警鐘だ。痛みや疲れなどは危険信号のようなものでありシグナルに基づいて行動を改めるべきだ。不快を感じなくなることは疾病が消滅したという意味ではない。根本的な誤解だ。疾病は隠蔽されただけであって何ら改善されていない。臭いものに蓋をしても蓋を外せば籠っていた悪臭が拡散する。この悪癖は身体の不快感以外でも現れる。醜い現実から目を逸らして現実から逃避する。
 あるいは女性や子供は危険な目に遭った時に、逃げも闘いもせずにキャーッと叫んで目を覆うことがある。見えなくなっても危険が去る訳ではないのにこんな愚かな対応をするから、自然災害において女性の死亡率は男性の14倍も高いと言われている。目を覆っても見えなくなるだけであって現実は全く変わらない。
 不快や苦痛を誤魔化すべきではない。鎮痛剤や麻酔薬は治療不可能な時の苦痛緩和としてのみ使われるべきであって、危険や不快感は直視されるべきだ。

ハイブリッド(2)

2015-08-08 10:23:56 | Weblog
 生物にとってハイブリッド(雑種)化が好ましいことは明白だが、日本人にとってそれが良いことなのかとなると疑問が生じる。人間は本能だけではなく文化に基づいて生きているからだ。本能はどの民族にも共通だが、異文化、特にイスラム文化は日本人には受け入れ難い。自由であることにすっかり馴染んでしまった日本人が戒律だらけのイスラム文化に耐えられるだろうか。
 酒は飲めないし豚肉も食べられない。断食や1日5回の礼拝を強制されるわ、美女のグラビアを見ることも禁じられるし、キリスト教的文化は本も映画も楽しめない。多分、仏教も神道も否定される。これだけの不愉快に耐えてまでムスリム(イスラム教徒)を伴侶にする人はかなりの変人だろう。多くの場合、相手に信仰を放棄させているのではないだろうか。
 それだけにイスラム系民族との混血の著名人は少ない。ダルビッシュ有投手以外には思い当たらない。キリスト教についてなら日本は明治維新以来かなり受け入れているからさほど違和感が無いがイスラム教とのギャップは埋め難い。しかし文化の壁を乗り越えて生まれたハイブリッドは素晴らしいアスリートや美男美女揃いだ。
 野球では世界のホームラン王の王貞治氏や連続試合出場記録保持者の鉄人・衣笠祥雄氏、あるいは元祖・甲子園のアイドルの太田幸司氏などヒーローが綺羅星の如く並ぶ。大横綱の大鵬関やハンマー投げの室伏広治選手もいる。身長によるハンディが大きいバスケットボールやバレーボールの選手のことを私はよく知らないが多分、大勢の混血選手が活躍しているだろう。
 芸能界はもっと凄い。最近は混血であることを「売り」にしてローラさんなどのように片仮名の芸名を付ける人が多いが、漢字・平仮名の芸名を持つ混血の芸能人は昔から少なくない。松坂慶子、鰐淵晴子、前田美波里、南沙織、安室奈美恵、宮沢りえetc.etc.。
 こうして見ると妙にアスリートと芸能人に偏っていることに気付く。文化人は一人も思い浮かばない。両親から異なった文化を教えられてその葛藤を通じて真にグローバルな思想を説く人など全く思い当たらない。生物としてはハイブリッド化が好ましいことであっても、人類には文化という第二の天性がありその壁は高く険しい。動物と同一視すべきではなかろう。猿でさえ他の群との協調は難しいのだから、先駆者は大変な苦労を強いられるだろう。

薬物療法

2015-08-08 09:42:06 | Weblog
 医療の名の元でデタラメが行われている。対症療法は殆んどが駄目だが特に酷いのが精神医療だ。精神病の中では最も身近な鬱病と認知症を例にする。
 なぜ鬱病を発症するのか。先天的な原因もあるだろうが後天的な要因も少なくなかろう。大きな原因は、仕事と家庭での問題だろう。ブラック企業で毎日過酷な労働を強いられている人や、鬼嫁や家庭内暴力の息子に耐えられない人が欝状態になることは誰にでも理解できる。これは異常な反応ではなく正常な反応と言えるだろう。その患者に対して精神科医は何をするか?抗鬱剤を処方するだけだ。不幸であることを感じなくなるハッピードラッグを投与する。不幸と感じなくなれば現状がそのまま肯定され、患者はどんな酷い状態であってもエヘラエヘラと笑っている無気力人間に作り変えられる。これが治療だろうか。これは正常な人を狂人に変える蛮行だ!過酷な状態を放置してそれに不満を感じる主体を狂わせることが治療なのだろうか。
 認知症患者の中には暴力的になる人がいる。看護や介護をする人にとってこれは最も迷惑なことだ。自活できない認知症患者のためには患者本人だけではなく世話をする人のことも配慮する必要がある。そこで精神科医は鎮静剤を処方する。鎮静剤によって患者は大人しくなりメデタシメデタシ・・・・?鎮静剤とは何だろうか。これは意欲を削ぐ薬だ。考える意欲も行動する意欲も失った患者は寝たきりになる。これが治療と言えるのだろうか。これでは禁止されているロボトミーを薬物によって行うのと同じだ。ロープや手錠などで拘束するよりもずっと酷い処遇ではないだろうか。廃人にされるよりは囚人のように鉄格子の中に閉じ込められるほうが遥かにマシだろう。暴力を振るう認知症患者は殺人犯よりも酷い処遇を受けている。
 これらに誤診と医原病が絡むからとんでもないことになっている。高血圧症と診断されて降圧剤を処方された患者が軽い欝状態に陥ることがある。これは必要以上に血圧が下げられたために脳に充分な血が巡らなくなるために起こる。ところがこれを鬱病と誤診して興奮剤が処方される。元々鬱病ではないのだから興奮状態になって暴力を振るうということも起こり得る。そうなると今度は鬱病ではなく認知症や統合失調症と診断され強力な抗精神病薬が投与される。デタラメだ、全く馬鹿げている。発端になった降圧剤をやめるだけで治る筈なのに、誤診に基づく薬物療法によって脳が壊されてしまう。誤診スパイラルによる廃人化だ。
 こんな蛮行が精神科医によって行われている。これが医療だろうか。これらは治療ではなく犯罪だ。これが精神科医による薬物療法の正体だ。統合失調症患者に対する仕打ちはこれらよりも更に惨い。

ハイブリッド

2015-08-06 10:24:04 | Weblog
 ヒトラーはアーリア人を最高の民族と信じユダヤ人がその高貴さを穢すと考えたが、雑種(ハイブリッド)こそあるべき姿ではないだろうか。
 近親交配された家畜や動物園の動物が劣化するように、動植物に必要なのは多様性だ。そしてその多様性が最も豊富なのは、人類発祥の地アフリカの黒人だろう。白人も黄色人種も「出アフリカ」を果たした一部の黒人の末裔に過ぎず、修復されないY染色体の劣化がかなり進んでいるものと考えられる。
 日本人は雑種民族だ。縄文系と弥生系があるだけではなく、縄文人そのものが既に多様な民族の雑種だ。雑種だからこそ様々な長所があるのだろう。
 モンゴルの人口が僅か300万人と聞いて耳を疑った。正直な話、そんな馬鹿な、と思った。地図で見れば日本の4倍ほどの面積があり、何よりも大勢の力士を日本に送り込んでいる。そんな国の人口が広島県や茨城県と同程度とは俄かに信じられない話だ。大体、チンギスハンの子孫は男性だけで世界中に1,600万人いると言われている。その1/5以下だ。クイズの好きな人ならモンゴルが世界一人口密度の低い国であることを知っているだろう。たった1.9人/㎢だ。世界一人口密度の高いシンガポールの7,848人/㎢と比べるまでもなく、日本の336人/㎢と比べても2桁違う。こんな過疎地のような地域が国家として存立している。それもロシアと中国といった2大強国に挟まれながら独立している。これはとんでもないことだ。
 日本の人口の1/40に過ぎないモンゴルからなぜ大勢の力士が輩出されるのだろうか。かつて世界最大の帝国を築いたモンゴル人には世界中の民族の遺伝子が受け継がれているのではないだろうか。モンゴル人は周囲の民族以上に強靭であると認めて良いのではないだろうか。
 モンゴル人のパワー以外にエチオピア人やケニア人の長距離走力も突出している。短所を蔑視することだけが差別ではなく、長所を認めないことも差別だろう。ユダヤ人の知的優秀性を無視することもやはり差別だろう。
 人種の優劣に触れることはタブーとされているが、知力は黄色人種・白人・黒人の順であり、運動能力はその逆だろう。勿論これはあくまで平均値での話であり個々を見れば例外だらけだ。しかしアジア人がハーバード大学に合格するためには、白人より140ポイント、黒人やヒスパニックよりは450ポイント高い点が要求されているらしい。そうしないと日・中・韓・印などのアジア人のシェアが高くなり過ぎるからとのことだ。この情報源はNewsweekだから多分事実だろう。
 最近、黒人との混血の日本人アスリートの活躍が目立つ。芸能人には白人との混血が多い。大和民族の過剰重視こそ悪しき民族主義ではないだろうか。それぞれの民族の長所を正当に評価すべきではないだろうか。
 昔ほどではないが日本人はチビで胴長短足だ。これは見た目が悪いだけではなく身体能力としても大きなハンディになる。日本人の弱点を自覚して新たなハイブリッド化を目指すことが日本人の質的向上にも繋がるのではないだろうか。

2015-08-06 09:35:35 | Weblog
 DDTという殺虫剤は様々な有害性があるとして、日本では1972年に製造販売が禁止された。危険な物を禁止することは良いことだろうが、メリットを考慮しないことは片手落ちだ。スリランカでは、それまで年間約250万人だったマラリア患者がDDT散布中は31人まで激減していたのに、禁止後僅か5年で年間250万人の状態に戻ってしまった。この事態にWHO(世界保健機関)は2006年にDDTの使用を再承認した。
 DDTの禁止が招いたのは更に危険な殺虫剤の使用とマラリア患者の激増だった。DDTに代わる安全な殺虫剤が開発されるまでDDTの使用はやむを得ないということだ。
 何であれメリットとデメリットがある。合成保存料は有害物だろうが、それによって食中毒が予防されている。手術は危険な治療方法だろうが、それによって助かる命がある。たとえ危険であろうともそれによって得られるメリットのほうが大きければそれに頼らざるを得ない。
 マスコミが紫外線の危険性を煽れば何も考えずに日焼け止めを塗りたくる。実証データがある訳ではないが、紫外線よりも日焼け止めクリームのほうが発癌性が高いのではないだろうか。少なくとも日照不足によるビタミンD欠乏症を招いていることは確実だ。
 化粧品に対する女性の無警戒ぶりには呆れる。多分、周囲の人も皆、長年使っているから不安を感じないのだろうが、薬品を塗りたくっていれば害があって当然だろう。カネボウの美白化粧品で多くの女性が白斑肌になったと報じられた時、私は全く驚かなかった。起こるべくして起こったと思ったからだ。多分氷山の一角だろう。
 検査数値が基準値を1ポイント上回るだけで薬を飲まされる。こんな治療は不要だろう。自覚症状があるか更に悪化する迄は、生活習慣病の危険性よりも薬の副作用のほうが怖い。
 巷ではメリットとデメリットを秤に掛けない議論が多い。危険性がすぐに禁止へと短絡的に飛躍する。公園の遊具は次々に撤去され、エスカレート上の歩行さえ咎められる。デメリットがあればすぐに禁止されるのが最近の風潮だ。メリットにも目を向ける必要がある。私は薬の有害性を散々指摘しているが緊急時の使用までは否定しない。試験などにおいて解熱剤や下痢止めを使うことは必要だろう。
 危険という警告に過剰反応すべきではない。何等かの必要性があるからそれは使われている。そもそも長所は短所でもあり得る。優しさは優柔不断であり勇敢さは無謀に通じる。善と悪でさえ多分DNAのように螺旋構造になっているのだろう。

文化

2015-08-04 10:08:40 | Weblog
 私は大学で英・独・仏語と古典語のギリシャ語とラテン語を学んだ。大学に残らなかったから古典ギリシャ語は全く役に立たなかった。役に立ったのはフランス語だ。フランス語の知識があれば同じラテン系のイタリア語・スペイン語・ポルトガル語などがある程度分かる。今更行くことは無いが、南米を旅行する時にはフランス語の知識が少しは役に立つ。スペイン語が公用語のブラジル以外ではポルトガル語が使われているからだ。南米で公用語がスペイン語とポルトガル語なのはこの2国が南米文明を滅ぼしたからだ。しかし土着言語を失わせるほどの植民地支配とは一体どんなものだったのだろうか。アジアではこんな酷いことは起こらなかった。インドやフィリピンやベトナムなどではちゃんと現地語が残っている。
 フランス語とイタリア語・スペイン語・ポルトガル語は非常によく似ている。文法はかなり共通だし同じ単語も多い。関西弁と標準語の差よりは大きいが琉球語やアイヌ語よりはずっと近い。英語の次の第2外国語を学ぶならラテン系のどれかか中国語をお勧めしたい。
 英語を母国語とする人の数は英国人よりも外国人のほうが圧倒的に多い。これも英国による植民地支配が原因だ。しかし国ごとに少しずつ違った言葉になってしまうのは問題だろう。例えばelevatorは米語で、英国語ではliftだ。あるいは`A rolling stone gathers no moss.'という諺はイギリスでは「腰を据えねばならない」という意味だがアメリカでは「変化し続ければ陳腐化しない」という意味で使われることが多い。英語を公用語とする国がそれぞれ勝手な方向に変化することは決して好ましいことではなかろう。
 このことは漢字を使う日中台の問題でもある。日本と中国はそれぞれが勝手に簡体字を使っており台湾だけが昔ながらの繁体字だ。書くためには簡体字のほうが便利だがパソコンが普及している現在、繁体字に統一すべきではないだろうか。
 せっかく共通の文化を持ちながらそれぞれが勝手に変化してしまえば相互理解の障害になる。歴史認識を共有することも必要だろうが、それ以前に文字の共通化があっても良かろう。アルファベットが共通であることがヨーロッパ人の相互理解を促していることは確実だ。

平和

2015-08-04 09:31:19 | Weblog
 警察という組織があるから庶民は平和に暮らせる。警察は暴力装置ではあるが必要不可欠だ。国家権力を背景にして公然たる暴力が許されているから法に背いた暴力が排除される。どんな反権力主義者でも警察権だけは容認する。
 国際社会に国際警察は無い。国内で他人の土地に侵入すれば警察力によって排除されるが、中国がスプラトリー(南沙)諸島を勝手に占領しても国際警察によって排除できる訳ではない。国際裁判所は呆れるほど無力だ。
 では他国による不法な占領をどうやって防ぐか。外交・軍事・経済制裁などを総動員して自力で防ぐしか無い。だから国連憲章は第7章で個別的・集団的自衛権を認めている。要するに自分の国は自分達で守れということだ。
 国内での問題が国際紛争になることもある。ウクライナ問題は第3国の旅客機に対する攻撃にまでなってしまった。IS(イスラミックステート)は国内問題か国際問題か、はたまた宗教問題か民族問題か訳が分からない。いずれにせよ国の武力が不充分であれば武装勢力による蛮行が横行する。
 警察を考えれば分かるように、武器は戦うためではなく威嚇するためにある。警察官が拳銃を使うことは滅多に無く、大半の警官は生涯一度も使わないだろう。それでも必携であるのは抑止力として有効だからだ。拳銃を持たない警官は権威も失う。
 軍隊は戦うためにではなく他国の横暴を抑止するためにこそ必要だ。戦闘をしない軍隊こそ理想の軍隊だろう。軍隊は張子の虎であっても構わない。虎に見えれば99%有効だ。
 社民党でさえ恥ずかしくて非武装中立などとは言わなくなった。武装は平和のために欠かせない。国内で庶民が武装をしなくても安全であるのは武装警官という暴力装置が健在だからだ。国際秩序を守る国際警察が存在しない以上、平和を守るために必要なのは軍事力だ。自国の軍事力以外に頼れる防衛力は無い。