
何も目覚めたから、今起きなくても良いんだ
想えば、生涯初めての自由を得られたのではないだろうかと
この自由は、何にもやらなくても良い自由だ
今まで、誰かの為に、何かの為に、自分の為に、将来の為に、もっと言えば社会の為に、人類の為に、
何かに取り組まなければいけない、努力しなければいけない、お金を稼がなきゃいけない、健康の為に身体を鍛えなきゃいけない、栄養のあるものを食べなきゃいけない、規則正しく生活しなきゃいけない、身綺麗にしなきゃいけない、礼儀正しくしなきゃいけない、数え上げればキリがない。
昨日、収入の一角を占めていた賃仕事の契約から引退した。
今日から経済的収入は僅かな所謂年金だけである。僅かながら蓄えもある
切り詰めれば数年は、そんなに苦労せずとも暮らせるだろうし、私が亡くなったら妻一人暮らせる道も考えてある。
何より、75歳にあと3か月弱という年齢からは、そう多くは生きてはいないだろうと思えることもある
その時まで、痛い思いや辛い思いが、そんなに多くなければ良し、そんなに長く生きていなくても良しと云った程度の希望なのだ
しかも、折よく手作り小屋での一人山暮らしである事も僥倖。
こうなったら、何もしなくても良いのだ ! しても良いのだが、しなくても良いのだ
なんと楽なのだろう。
これを自由と云わずして、何なのだ。
暑くなかったら、大根の種蒔き準備をやるかな・? 明日でもいいかな・?
飯は喰うかな?? 今は要らないかな??
考えました。
でも、そもそもこんなことを考えているのが
自由かなと思っています。
年金暮らしとはいえ、食うには困らず。
身近に病気を患っているものもいない。
親しかった人の訃報に接するのがちょっと
悲しいが、そろそろ自分もかと納得させている。
>自由... への返信
自由というより、気ままかな??
独りだと炊事洗濯掃除、暖房用薪作り、雨漏り修理、煙突掃除、買い出し等々
怠惰は許されませんね・・・
畠の作物は待ってはくれないし・・