*ありがとうアトム
ずっとアトムのことばっか考えている。
なにがいけなかったのか。
どうにかして救える道はなかったのか。
そして、最後に家に戻ってきたアトムは何を望んでいたのか―。
獣医さんに聞いた話によれば、
ウィルスは家の中にもお外にも普通にいるもので、傷があれば化膿したり、胃に入れば嘔吐や食欲減退、腸に入れば下痢する程度。免疫力が著しく低下している猫でないかぎり、命に関わることはない。よりによって脳にいってしまったため命を落とすことになった。そうなればあっという間なので、側に飼い主がいてもどうにもならない。ひじょうに稀なケースで自分も初めて診た。
絶望的な気持ち。。。
ホント見事なまでにどうすることもできなかった。
アトムの気持ちはどうだったのか。
カフェオレが死んだのが3月26日。その日以来、真夜中にしか戻って来なかったアトムが朝から家にいたのは、ここで最期の瞬間を迎えたいということだったのではないか。
それなら、病院に連れて行って看取ることができなかったわたしを恨んでいるのではないのか。
それがずっと引っかかっていた。
アトムが外から帰って家の中に入るには、玄関脇の窓に作りつけた猫窓までジャンプしなければならない。
先生の話では、病院に連れてきた状態でそんなことは無理だったろうから、家に帰ってきてから悪くなったと。
アトム自身は寂しい思いをしたかもしれないけど、わたしは彼が苦しむ姿は見なくて済んだ。
病院が徒歩0分の場所だったおかげで、まだ体が温かいうちにお迎えに行くこともできた。
先生には「助かる見込みがなければすぐに迎えに行かせてください」ともうずっと前からお願いしてあるので、ホントに急に逝ってしまったのだと思う。
冷静に考えてみると、アトムは自分の死によってわたしが自分を責めることがないように気遣ってくれたとしか思えない。
ことあるごとに「きみがいなくなる生活なんか想像できない」「できる限り長く側にいて」と言っているわたしを彼なりに心配してくれていたのかもしれない。
わたしの溺愛が暴走すると、自然に距離を置くようになり、一緒に寝てくれることもなくなった。
というわけで、もうメソメソ泣くのはやめようと思う。
いやすぐには無理だけど。
アトムの気持ちに応えるためにも、精一杯努力してみる。
だから、もしまた猫に生まれ変わったら絶対にわたしに会いにきてほしい。
きっとひと目でわかるはずだから。