土曜日は、子どもを連れて、市ヶ谷の日本棋院に通っている。1年生の時から「子ども囲碁教室」に通っているので、もう3年になる。しかし、なかなか進歩しない。
時々私と囲碁を打ったりしているが、ほとんどは日本棋院にいって打つ。だから、週にせいぜい3・4局くらい打つだけになってしまう。近くに囲碁仲間がいないということもあるが、どちらかというと、「集中力」と「勝つということへの執着」がないように思われる。
今、アテネオリンピックが始まったばかりだが、かつて日本は水泳王国といわれていた。しかし、国が支援し、小中学校にプールを作り始めてから、日本はオリンピックで勝てなくなった。そう、一億総中流家庭という言葉が使われるようになってから、日本は水泳で勝てなくなった。それは、水泳だけではない。全てのスポーツにおいて、勝てなくなっていったような気がする。
とにかく、スポーツは、ハングリーな国か、超豊かな国がいつでも圧倒的に強いような気がする。結局、囲碁も似たような軌跡をたどっているような気がする。
囲碁は、中国で生まれ、日本で磨かれ、その後、また中国や韓国で見直され普及していった。戦後しばらくは、日本は、中国や韓国より強かったような気がする。しかし、その後、少しずつ、中国や韓国が強くなり、今では、国際棋戦ではたいてい韓国選手が優勝している。日本の囲碁界には、すでにハングリー精神がなくなっている。そうかといって、日本の囲碁界は、ゴルフのタイガー・ウッズが稼いだような高収入の世界でもない。
しばらく前に、『ヒカルの碁』というコミックが小学生の間で読まれ、そのおかげでかなりの小学生たちが囲碁に惹かれて囲碁を始めた。私の息子は彼らを見ながら、我が道を行くかのごとくカタツムリのような歩みで、囲碁に取り組んでいる。現在七級で私に井目でやっと勝てるかどうかだが、いつか彼の中で、勝ことへの意欲と、集中力が目覚めることを祈っているのだが…。
三年生くらいになると、サッカーをやったり、ピアノをやったりという習い事はだんだん限られてきて、塾とか英語教室、習字など学力向上に結びついたいわゆる学習塾へ力が入り始める。これでは、集中力などなかなか育ちそうにない。つまり、やることがありすぎるし、やれることもありすぎるのだ。
その上、最近は、インターネットからゲームをダウンロードしてきて、自分でインストールするようになってしまった。そう、ゲームに目覚めてしまったようなのだ…。
時々私と囲碁を打ったりしているが、ほとんどは日本棋院にいって打つ。だから、週にせいぜい3・4局くらい打つだけになってしまう。近くに囲碁仲間がいないということもあるが、どちらかというと、「集中力」と「勝つということへの執着」がないように思われる。
今、アテネオリンピックが始まったばかりだが、かつて日本は水泳王国といわれていた。しかし、国が支援し、小中学校にプールを作り始めてから、日本はオリンピックで勝てなくなった。そう、一億総中流家庭という言葉が使われるようになってから、日本は水泳で勝てなくなった。それは、水泳だけではない。全てのスポーツにおいて、勝てなくなっていったような気がする。
とにかく、スポーツは、ハングリーな国か、超豊かな国がいつでも圧倒的に強いような気がする。結局、囲碁も似たような軌跡をたどっているような気がする。
囲碁は、中国で生まれ、日本で磨かれ、その後、また中国や韓国で見直され普及していった。戦後しばらくは、日本は、中国や韓国より強かったような気がする。しかし、その後、少しずつ、中国や韓国が強くなり、今では、国際棋戦ではたいてい韓国選手が優勝している。日本の囲碁界には、すでにハングリー精神がなくなっている。そうかといって、日本の囲碁界は、ゴルフのタイガー・ウッズが稼いだような高収入の世界でもない。
しばらく前に、『ヒカルの碁』というコミックが小学生の間で読まれ、そのおかげでかなりの小学生たちが囲碁に惹かれて囲碁を始めた。私の息子は彼らを見ながら、我が道を行くかのごとくカタツムリのような歩みで、囲碁に取り組んでいる。現在七級で私に井目でやっと勝てるかどうかだが、いつか彼の中で、勝ことへの意欲と、集中力が目覚めることを祈っているのだが…。
三年生くらいになると、サッカーをやったり、ピアノをやったりという習い事はだんだん限られてきて、塾とか英語教室、習字など学力向上に結びついたいわゆる学習塾へ力が入り始める。これでは、集中力などなかなか育ちそうにない。つまり、やることがありすぎるし、やれることもありすぎるのだ。
その上、最近は、インターネットからゲームをダウンロードしてきて、自分でインストールするようになってしまった。そう、ゲームに目覚めてしまったようなのだ…。