23日から27日まで、子ども会のラジオ体操が始まった。ラジオ体操は、毎朝、6時半からで、小学校の通学班ごとにまとまり、小学校の校庭に集まることになっている。妻は、子ども会の役員になっていて、テープレコーダを持って、出かける。最近は、CDが多くなっていてテープを使えるラジカセを持っているところが少ないそうで、我が家のラジカセを持参している。カセットは、学校が貸してくれるそうだ。
隣の市の小学校へ通っている義理の妹の子どもたちは、夏休みにはいるとすぐラジオ体操があったそうだ。私の家の近くでは、夏休みの終わり頃だ。私としては、子どもの夏休みの生活習慣を見直すという意味でも、この時期にラジオ体操をやるのはいいことだと思う。ただ、残念なことに、私は勤務先が遠く、子どものラジオ体操につきあっている暇がない。
ベネッセ未来教育センターの「子育て生活基本調査」(幼児版)によれば、「母親は子供の出世や社会的自己実現、個性の発揮よりも、心身や人間関係の健康などの伝統的で素朴なことを望んでいる」として、次のような分析結果を載せている。
このほかにのいろいろ興味深い結果が掲載されているが、こういう資料のデータの解釈はとても難しい。なぜ、親は、子どもの生き方についてどうでもよくなってしまったのだろうか。バブルが崩壊し、学歴社会の崩壊や、大企業の倒産やリストラなど、個人の力ではどうしようもできない社会不安がそうさせるのかも知れない。
しかし、私には、子供の将来のことまで、とても考えていられないというか、考えても仕方がないという気持ちがそこにはあるような気がする。あるいは、普段、親のコントロールから外れて、とんでもないことを始める子どもたちへの絶望感のようなものがあるのかも知れない。子供の将来に対して「他人に迷惑をかけない人」になって欲しいなどということを希望するというのは、なんだかとても気の滅入る希望だ。
「自分がしたいことや夢を持ち続けて生きている人」というのが、46%から36%に減少したというのは、確かに減少したのだが、36%という数字は大きいのか小さいのか。私には、「自分がしたいことや夢を持ち続けて生きている人」が絶対に「他人に迷惑をかけない人」であるかどうか保証はできないが、「他人に迷惑をかけてもいい」と思っているわけではないことは保証できるように思われるのだが。
隣の市の小学校へ通っている義理の妹の子どもたちは、夏休みにはいるとすぐラジオ体操があったそうだ。私の家の近くでは、夏休みの終わり頃だ。私としては、子どもの夏休みの生活習慣を見直すという意味でも、この時期にラジオ体操をやるのはいいことだと思う。ただ、残念なことに、私は勤務先が遠く、子どものラジオ体操につきあっている暇がない。
ベネッセ未来教育センターの「子育て生活基本調査」(幼児版)によれば、「母親は子供の出世や社会的自己実現、個性の発揮よりも、心身や人間関係の健康などの伝統的で素朴なことを望んでいる」として、次のような分析結果を載せている。
……保護者が子どもに期待する将来像は、「まわりの人に思いやりがある、心やさしい人」「体も心も健康な人」が多く、「一流大学を出て、望みどおりの職業につける人」「人の上に立つリーダーシップがある人」は少ない。1997年調査との比較では、「善悪をわきまえ、他人に迷惑をかけない人」が大きく増加し、「自分の意志を主張できて、粘り強く物事に取り組める人」「自分がしたいことや夢を持ち続けて生きる人」が減少した。
このほかにのいろいろ興味深い結果が掲載されているが、こういう資料のデータの解釈はとても難しい。なぜ、親は、子どもの生き方についてどうでもよくなってしまったのだろうか。バブルが崩壊し、学歴社会の崩壊や、大企業の倒産やリストラなど、個人の力ではどうしようもできない社会不安がそうさせるのかも知れない。
しかし、私には、子供の将来のことまで、とても考えていられないというか、考えても仕方がないという気持ちがそこにはあるような気がする。あるいは、普段、親のコントロールから外れて、とんでもないことを始める子どもたちへの絶望感のようなものがあるのかも知れない。子供の将来に対して「他人に迷惑をかけない人」になって欲しいなどということを希望するというのは、なんだかとても気の滅入る希望だ。
「自分がしたいことや夢を持ち続けて生きている人」というのが、46%から36%に減少したというのは、確かに減少したのだが、36%という数字は大きいのか小さいのか。私には、「自分がしたいことや夢を持ち続けて生きている人」が絶対に「他人に迷惑をかけない人」であるかどうか保証はできないが、「他人に迷惑をかけてもいい」と思っているわけではないことは保証できるように思われるのだが。