私は、普通のサラリーマン(出版社ではあるが)であり、プログラマーではない。また、会社の情報部門でいろいろなシステムに携わるようなエンジニアでもない。ただ、パソコンというものが作られ、個人でもコンピュータが持てるようになったとき、不思議な感動を覚え、自分もその最先端に触れてみたいという一心で、パソコンを買った。最初のパソコンは、1980年頃のシャープのMZ80という機種だった。NECのPC8001の次に発売されたものだと思う。
MZ80は、クリーンコンピュータといわれ、BASICをROMとして内蔵するのではなく、使用のつど内臓カセットからロードして使うようになっていた。要するに、カセットテープからとろとろと言語をロードしてから、やっとBASICが使えるわけだが、それでも自分が本を見ながら打ち込んだプログラムが動くのを見るのは、驚きだった。
その後、IBMのDOS/Vパソコンを買ったが、そのころは、アセンブラやC言語の本を買ってきて、同じようにプルグラムを打ち込んでみたりした。もちろん、仕事の方は、ビジネスソフトにお世話になっていた。私は、ビジネスソフトは以前は、一太郎、ロータス123、Paradoxであり、現在は、Word、Excel、Accessを使っている。
それはとにかく、その後、C++に挑戦して挫折した。もう、プログラムには関わらないと思った。しかし、インターネットが普及し、CGIなどが必要になったとき、Perlを知った。なんてすごい言語だと思った。やっとPCも性能が上がり、スクリプト言語が普通に使えるようになった。要するに実用的な処理ができる言語となった。
それと同時に、大枚をはたいて、VB6.0を買った。あまりに簡単にWindowsプログラミングができるのに驚いた。しかし、所詮、入門書をまねて、小さなソフトを作ってみるだけだった。この言語も、次第に忘れていった。仕事が忙しくなり、ビジネスソフトを使い回すだけで手一杯だった。
インターネットが当たり前になり、メールでの情報のやりとりが当たり前になった頃、Linuxを知った。MacやWindowsの外に、PCで使えるフリーのOSがあることを初めって知った。そして、それは、PC上でほぼUNIXと同じことができることに驚いた。
Linux上では、フリーなソフトがたくさんあり、当然プログラミング環境も整っていた。ここで、LispやJavaやRubyを知った。Webにも手を出し、JavaScriptやPHPまで手を出したりした。入門書を買い集め、その通りに入力しては動かして遊んだ。それで、何か新しいことに自分も参加しているような気がしていた。しかし、憶えては忘れ、一体私は何を望んでいたのだろうか。
50を過ぎてからは、特に記憶力が減退し、新しいプログラミング言語を覚えても片端から忘れていった。同じ人が、いろいろなプログラミング言語の解説書を書いているのをみて、自分もそれができると思っていたが、それがとんでもないことだと知らされた。私ができたことは、入門書を見て、言語環境を構築し、本に書いてあるプログラミングを自分で打って、実行させることだけだったのだ。だから、全部忘れてしまってもおかしくない。何となく、絶望的なきもちになった。
しかし、やっと最近になって分かった。一つは、自分のやりたいことから、プログラミングを考えてみるようになったことがある。例えば、携帯電話に会社の社歌を入れたいから、Javaをつかいiアプリを作って、動かしてみるというように。この方が、勉強になりそうだ。やってみると、ほぼ一日で、それが実現できた。するとそれが、まだできるかもしれないという自信になった。このことは、現在では、プログラマーでなくても、自分でプログラムを使う場面が身近になってきていることも原因になっている。そうすると、こつこつとやってきたプログラミングの勉強が、とても役に立つ。アセンブラからJavaやC#、そしてRubyやJavaScriptなどオブジェクト指向言語まで、詳しくはないが、流れが分かるになってきた。そして、「コンピュータのきもち」(山形浩生)が多少は分かるようになって来た。そうだ、私は、「コンピュータのきもち」を分かるようになるためにプログラミングの勉強をしてきたようなのだ。
MZ80は、クリーンコンピュータといわれ、BASICをROMとして内蔵するのではなく、使用のつど内臓カセットからロードして使うようになっていた。要するに、カセットテープからとろとろと言語をロードしてから、やっとBASICが使えるわけだが、それでも自分が本を見ながら打ち込んだプログラムが動くのを見るのは、驚きだった。
その後、IBMのDOS/Vパソコンを買ったが、そのころは、アセンブラやC言語の本を買ってきて、同じようにプルグラムを打ち込んでみたりした。もちろん、仕事の方は、ビジネスソフトにお世話になっていた。私は、ビジネスソフトは以前は、一太郎、ロータス123、Paradoxであり、現在は、Word、Excel、Accessを使っている。
それはとにかく、その後、C++に挑戦して挫折した。もう、プログラムには関わらないと思った。しかし、インターネットが普及し、CGIなどが必要になったとき、Perlを知った。なんてすごい言語だと思った。やっとPCも性能が上がり、スクリプト言語が普通に使えるようになった。要するに実用的な処理ができる言語となった。
それと同時に、大枚をはたいて、VB6.0を買った。あまりに簡単にWindowsプログラミングができるのに驚いた。しかし、所詮、入門書をまねて、小さなソフトを作ってみるだけだった。この言語も、次第に忘れていった。仕事が忙しくなり、ビジネスソフトを使い回すだけで手一杯だった。
インターネットが当たり前になり、メールでの情報のやりとりが当たり前になった頃、Linuxを知った。MacやWindowsの外に、PCで使えるフリーのOSがあることを初めって知った。そして、それは、PC上でほぼUNIXと同じことができることに驚いた。
Linux上では、フリーなソフトがたくさんあり、当然プログラミング環境も整っていた。ここで、LispやJavaやRubyを知った。Webにも手を出し、JavaScriptやPHPまで手を出したりした。入門書を買い集め、その通りに入力しては動かして遊んだ。それで、何か新しいことに自分も参加しているような気がしていた。しかし、憶えては忘れ、一体私は何を望んでいたのだろうか。
50を過ぎてからは、特に記憶力が減退し、新しいプログラミング言語を覚えても片端から忘れていった。同じ人が、いろいろなプログラミング言語の解説書を書いているのをみて、自分もそれができると思っていたが、それがとんでもないことだと知らされた。私ができたことは、入門書を見て、言語環境を構築し、本に書いてあるプログラミングを自分で打って、実行させることだけだったのだ。だから、全部忘れてしまってもおかしくない。何となく、絶望的なきもちになった。
しかし、やっと最近になって分かった。一つは、自分のやりたいことから、プログラミングを考えてみるようになったことがある。例えば、携帯電話に会社の社歌を入れたいから、Javaをつかいiアプリを作って、動かしてみるというように。この方が、勉強になりそうだ。やってみると、ほぼ一日で、それが実現できた。するとそれが、まだできるかもしれないという自信になった。このことは、現在では、プログラマーでなくても、自分でプログラムを使う場面が身近になってきていることも原因になっている。そうすると、こつこつとやってきたプログラミングの勉強が、とても役に立つ。アセンブラからJavaやC#、そしてRubyやJavaScriptなどオブジェクト指向言語まで、詳しくはないが、流れが分かるになってきた。そして、「コンピュータのきもち」(山形浩生)が多少は分かるようになって来た。そうだ、私は、「コンピュータのきもち」を分かるようになるためにプログラミングの勉強をしてきたようなのだ。