NHKの大河ドラマの『新撰組』は欠かさず観ている。これがどのくらいの視聴率で、どういった層に人気があるのかよくわからない。しかし、久々に、面白い展開だと思って観ている。もちろん、自分なりの新撰組像があり、それと微妙にずれたところで、ドラマは進行していく。だから、そのずれ具合を確かめ、自分の新撰組像をほんの微調整したりもする。
昨夜の内容は、第34回「寺田屋大騒動」で、近藤勇が深雪太夫を身請けするころだ。こういうところは、とても安心して観ていられる。前回の第33回「友の死」で山南敬助が切腹をするところなどは、とても観ていられないような気持ちだった。どうも、私は、この新撰組が歴史の歯車の中でやろうとしていることが、とてもあぶなかしっくってあまり観ていられないようなのだ。
私たちは、明治維新の担い手である、若い勤王の獅子たちのうち、多くの人たちが、特に坂本龍馬を初めとして、暗殺されたり、戦いの中で死んでいったことを知っており、その人たちを無惨だったと思っているからだ。新しい日本のために努力したのに、新しい日本を見ずに死んでいった人たち。そうしたことに荷担していた新撰組。そして、残って明治維新を実現したのは、何となくダメな人間ばかりだったような気がしたりもする。そういう意味では、彼らは明治の世界を見なくて死んだ方が良かったのかもしれない。
高田祟史著『QED 龍馬暗殺』(講談社NOVELS)は、龍馬暗殺の面白い仮説を提起している。実際に手を下したのは、今井信郎たち見回組だが、裏で手引きしたのは西郷隆盛であること。龍馬が簡単にやられてしまったのは、寺田屋での襲撃で手を切られていて、ピストルを使えなかったからだし、そのために刀も十分に使えなかったからだということ。そのことは、西郷は十分に知っていたらしい、という仮説だ。それが本当かどうかよくわからない。しかし、十分あり得る仮説ではある。
そういう目で見ていけば、新撰組も違って見えてくる。彼らもまた、高杉晋作の騎兵隊ではないが、近藤勇にしても、土方歳三にしても多摩の百姓出身であり、「士道」を大事にしているが、志さえ同じくすればみんな「武士」になれるということであり、時代の動きに参加できると言うことを主張していたのではないだろうか。高田祟史さんの言葉を借りれば、「明治維新というのは、関ヶ原負け組の、徳川幕府に対する復讐戦だったんだ」ということもいえる。「士農工商」という身分制度が崩壊していく大きなうねりの中で、「薩摩藩」と「長州藩」は、徳川幕府をあくまでも武力で崩壊させたかったのかもしれない。そのためには、徳川慶喜をかっていた坂本龍馬を必要としなくなったのかもしれない。
私は、新撰組の展開がちょっとつらくなってくると、『新撰組!』with ほぼ日テレビガイドを見て、息抜きをしたりする。これは、どう考えても『新撰組』の応援団なのだが、こういうのを読んでいると、何となくほっとするのはなぜなのだろうか。前回の第33回「友の死」について、糸井重里さんは次ようなことを言っていた。
昨夜の内容は、第34回「寺田屋大騒動」で、近藤勇が深雪太夫を身請けするころだ。こういうところは、とても安心して観ていられる。前回の第33回「友の死」で山南敬助が切腹をするところなどは、とても観ていられないような気持ちだった。どうも、私は、この新撰組が歴史の歯車の中でやろうとしていることが、とてもあぶなかしっくってあまり観ていられないようなのだ。
私たちは、明治維新の担い手である、若い勤王の獅子たちのうち、多くの人たちが、特に坂本龍馬を初めとして、暗殺されたり、戦いの中で死んでいったことを知っており、その人たちを無惨だったと思っているからだ。新しい日本のために努力したのに、新しい日本を見ずに死んでいった人たち。そうしたことに荷担していた新撰組。そして、残って明治維新を実現したのは、何となくダメな人間ばかりだったような気がしたりもする。そういう意味では、彼らは明治の世界を見なくて死んだ方が良かったのかもしれない。
高田祟史著『QED 龍馬暗殺』(講談社NOVELS)は、龍馬暗殺の面白い仮説を提起している。実際に手を下したのは、今井信郎たち見回組だが、裏で手引きしたのは西郷隆盛であること。龍馬が簡単にやられてしまったのは、寺田屋での襲撃で手を切られていて、ピストルを使えなかったからだし、そのために刀も十分に使えなかったからだということ。そのことは、西郷は十分に知っていたらしい、という仮説だ。それが本当かどうかよくわからない。しかし、十分あり得る仮説ではある。
……いや。確かに彼らはみんな純粋であったと思うよ。それは否定しない。しかし、純粋でありさえすればそれでいいのか、というとまた話が違ってくる。純粋無垢な思想が、美や正義と結びつくことは、歴史上を見渡しても意外なほどに少ないんじゃないかね。だからあの維新戦争も、果たして官軍側全員に、本当に国に殉ずるような大義や主張、そして高邁な思想があったのか、と問えば──どうだったんだろうか?としか答えようがないだろう(P325)
そういう目で見ていけば、新撰組も違って見えてくる。彼らもまた、高杉晋作の騎兵隊ではないが、近藤勇にしても、土方歳三にしても多摩の百姓出身であり、「士道」を大事にしているが、志さえ同じくすればみんな「武士」になれるということであり、時代の動きに参加できると言うことを主張していたのではないだろうか。高田祟史さんの言葉を借りれば、「明治維新というのは、関ヶ原負け組の、徳川幕府に対する復讐戦だったんだ」ということもいえる。「士農工商」という身分制度が崩壊していく大きなうねりの中で、「薩摩藩」と「長州藩」は、徳川幕府をあくまでも武力で崩壊させたかったのかもしれない。そのためには、徳川慶喜をかっていた坂本龍馬を必要としなくなったのかもしれない。
私は、新撰組の展開がちょっとつらくなってくると、『新撰組!』with ほぼ日テレビガイドを見て、息抜きをしたりする。これは、どう考えても『新撰組』の応援団なのだが、こういうのを読んでいると、何となくほっとするのはなぜなのだろうか。前回の第33回「友の死」について、糸井重里さんは次ようなことを言っていた。
……ようするに、ほんとうに連合赤軍だし、ドストエフスキーの『悪霊』の世界ですよね。平和のためにだの、革命のためにだので、武器を振り回したり、建物を破壊したときに、爆破したビルの中に勤めているふつうの人がいるわけでさぁ。その人たちが死んじゃうのはしょうがない、というくらいの大事なことをやってるつもりなんですよね。それで、あとで泣くようなことじゃ申しわけがたたないですよね、ほんとうは。ぼくは今回はそのまわりにある柔らかいものに対して泣けましたけど。最後のぐずぐずの場面はね、あれ、もう、甲子園の高校生みたいですよね。だからよく演じてるよね。とくに山本くんはねえ。実は、つられて泣いちゃったりはしてるんだオレも。