電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

『エイジ』

2004-08-29 15:49:11 | 文芸・TV・映画
 昨日は、土曜日、久しぶりに子どもを連れて市ヶ谷の日本棋院まで行った。JR市ヶ谷駅前の「宮脇書店」で、本を何冊か買った。その中の一冊に重松清著『エイジ』(新潮文庫)がある。「エイジ」というのは、ageのことだとばかり思っていた。読んでみて、14歳の少年の名前で、「高橋栄司」のことだと初めて知った。

 「エイジ」は、東京郊外の進学中学校の2年生。成長期の子どもがかかる「オスグット・シュラッター病」(膝小僧のすぐ下にある、骨がぷくんと盛り上がった箇所──脛骨結節というところが痛む)で大好きなバスケット部を休部し、「帰宅部」に属している彼は、暇をもてあましながら、何となくテレビのホームドラマのような日常生活に違和感をおぼえていた。そんなとき、町に連続通り魔事件が発生し、逮捕された犯人は、同級生の石川貴史だった。

 この作品は、「朝日新聞」で1998年に連載を開始し、朝日文庫になっており、第12回山本周五郎賞を受賞している。私は、重松清編著の『教育とはなんだ』(筑摩書房)を読んでいたので、この作品の名前だけは、知っていた。今年の夏、新潮文庫になったので、初めて読んだ。

 『エイジ』は、今日の午前中に一気に読み終えた。静かに感動した。しかし、私は、自分の中学生の時代が今すぐ思い出せない。エイジの時代と場所もかなり違うのだが、それでも同じようなことがあったような気もするし、そうでもないような気もする。小学校時代、高校時代、大学時代というのは、いろいろと事件があり、それなりにエピソードが記憶の彼方から蘇ってくる。しかし、中学時代は、ほとんど思い出せない。かろうじて、よく勉強したような気もするし、好きな女のことを考えていたような気もする。

……今年の秋は雨が多かった。急に暑くなったり寒くなったりした。エルニーニョがどうしたとか、地球温暖化がどうしたとか、オゾンホールがどうしたとか、難しいことはよくわからないけど、地球は大変なことになっているらしい。それに比べれば、日本の、桜ヶ丘ニュータウンの、ガシチュウの、2年C組の、ぼくなんて、死ぬほどちっぽけで、だけど、ちっぽけはちっぽけなりに、いろいろ大変なんだ。
 でも、相沢志穂みたいに言おう、何度でも言ってやろう。
 負けてらんねーよ。

 相沢志穂というは、エイジの好きな女の子だ。エイジの相沢志穂への思いは、私にもとても懐かしいような気がした。そんなようなことが、私にもあったような気がするのだ。この小説には、エイジや相沢志穂の外に、「岡野」や「ツカちゃん」、「タモツ」、「タカちゃん」というような個性的な中学生が登場するが、彼らにもどこかであったような、さもなければ自分の中のどこかでであったような気がする。

 ところで、この小説のすばらしいところは、事件を起こした同級生の「タカちゃん」が戻って来たとき、みんなが彼を受け入れるところを描ききったこと。タカちゃんは、おそらく保護観察処分となり戻ってきたのだろう。それを、同級生たちは、しっかりと受け入れた。つい最近も、中学生や小学生の殺人事件が起きている。私たちは、事件の性格ばかりを分析する。しかし、当事者だけでなく、その当事者と関係していた周りの人たちは、きっと複雑で苦しい、言葉では分析できない気持ちがあるに違いない。彼らへの、重松清からのエールのような気がした。

コメント
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