金メダルに一番近い男と言われた井上康生が、メダルを取れなかった。彼の呆然とした姿が、とても印象的だった。オリンピックは参加することに意義があると言われてきたが、誰もそんな話は信じていない。朝日新聞の記事を読んでみると、井上康生は負けるべくして負けたような気がする。
もちろんこれは、負けた後で書かれた記事だ。もし勝っていれば、新しい伝説が生まれたかもしれない。
私の一番のお気に入りは、卓球の福原愛だ。彼女は、もちろんオリンピックでもっと勝ちたかったに違いない。その悔しさでまた次に立ち向かっていくだろう。しかし、私が、福原愛をたとえ負けても、すがすがしい気持ちで見ていられたのは、おそらく彼女の若さのせいだとおもう。
オリンピックを見ていると分かるが、スポーツ競技のピークというのは、20台後半だ。そして、10台の後半から、30前後までが大体金メダルと取ることになる。そして、それは、自分の年齢との戦いにもなる。そのことが、若い選手を明るくさせ、もうこれで最後だと思われる選手を暗くしているように思われる。そういう意味では、アーチェリーの山本博が41歳で銀メダルを取ったというのは、快挙だと思う。彼は、20年前のロサンゼルスオリンピックに参加しており、そのときは銅メダルだった。埼玉県の大宮開成高校の山本先生は、必ずメダルを取って帰ってくると生徒たちに言ったそうだ。でも、この先生なら、メダルを取れなかったとしても、きっと明るい顔で帰ってきそうな感じだ。
最近は、オリンピックに参加して勝負を楽しんできますと、平気で言うようになってきた。それは、多分良いことだ。日本民族の悲願だとか、国の名誉だとか言う前に、素直にお世話になった人たちにお礼をいう精神は、すがすがしい。オリンピックを楽しむという言葉が言えるようになったのは、おそらく、オリンピックがアマだけのものでなくなったことによることが大きいと思う。プロの選手が参加することにより、観客を楽しませるようになったからだ。観客を楽しませることが自分が楽しむことにつながるようになったとき、きっと、スポーツがハングリーなものでなくなったときだと思う。
シドニーの時に、高橋尚子が見せた走りあたりから、日本人も、スポーツをハングリーな戦いから、新しい地平へと進めてきたように思われる。そして、個人の超人的な努力を個人の努力として認めるようになったのだと思う。また、柔道の谷亮子を支えるトヨタ自動車、平泳ぎの北島康介を支える「チーム北島」と呼ばれる人たち。個人の才能を早くから認め、強化チームが作られるようになった。そして、彼らはスターへと変身していく。
残念なのは、まだ、全ての競技を詳しくテレビで見られないことだ。日本人が決勝に進むか、よほど話題のある場合を除いて、私たちがほとんどテレビで見られないスポーツもあるというのは、とても残念だ。そのスポーツの戦いを見て、明日の日本人がそれに挑戦するかもしれないというのに。もっとも全てを見られるほど暇でないのも事実だが。
……6月中旬、師匠でもある父、明さん(57)は出げいこ先の福岡大学に、日本のエースである息子を訪ね、目を疑った。
「疲労もピークで、点滴を打ってやっていた。絶句しました」。右腕がけいれんし、畳の上をはっていたという。
「心配せんでくれ。よくあることだから」と息子は笑った。「頂点に立ち続けるのはこれほど過酷なのか」と父は感じた。そして、まるで大学生のように自分の体をいじめ抜く息子に言った。「26歳なんだから、無理をするな。年齢に合わせた柔道をやれ」
それでも井上は、若いころの自分を追い求めた。練習では周囲が止めに入るほど息をあげ、シドニー五輪のビデオを見て「無心に戻りたい」とつぶやいた。一方で、日本選手団主将の大役を二つ返事で引き受けた。「心の刺激にしたかったのだろう」と恩師の佐藤宣践・東海大師範は見る。
もちろんこれは、負けた後で書かれた記事だ。もし勝っていれば、新しい伝説が生まれたかもしれない。
私の一番のお気に入りは、卓球の福原愛だ。彼女は、もちろんオリンピックでもっと勝ちたかったに違いない。その悔しさでまた次に立ち向かっていくだろう。しかし、私が、福原愛をたとえ負けても、すがすがしい気持ちで見ていられたのは、おそらく彼女の若さのせいだとおもう。
オリンピックを見ていると分かるが、スポーツ競技のピークというのは、20台後半だ。そして、10台の後半から、30前後までが大体金メダルと取ることになる。そして、それは、自分の年齢との戦いにもなる。そのことが、若い選手を明るくさせ、もうこれで最後だと思われる選手を暗くしているように思われる。そういう意味では、アーチェリーの山本博が41歳で銀メダルを取ったというのは、快挙だと思う。彼は、20年前のロサンゼルスオリンピックに参加しており、そのときは銅メダルだった。埼玉県の大宮開成高校の山本先生は、必ずメダルを取って帰ってくると生徒たちに言ったそうだ。でも、この先生なら、メダルを取れなかったとしても、きっと明るい顔で帰ってきそうな感じだ。
最近は、オリンピックに参加して勝負を楽しんできますと、平気で言うようになってきた。それは、多分良いことだ。日本民族の悲願だとか、国の名誉だとか言う前に、素直にお世話になった人たちにお礼をいう精神は、すがすがしい。オリンピックを楽しむという言葉が言えるようになったのは、おそらく、オリンピックがアマだけのものでなくなったことによることが大きいと思う。プロの選手が参加することにより、観客を楽しませるようになったからだ。観客を楽しませることが自分が楽しむことにつながるようになったとき、きっと、スポーツがハングリーなものでなくなったときだと思う。
シドニーの時に、高橋尚子が見せた走りあたりから、日本人も、スポーツをハングリーな戦いから、新しい地平へと進めてきたように思われる。そして、個人の超人的な努力を個人の努力として認めるようになったのだと思う。また、柔道の谷亮子を支えるトヨタ自動車、平泳ぎの北島康介を支える「チーム北島」と呼ばれる人たち。個人の才能を早くから認め、強化チームが作られるようになった。そして、彼らはスターへと変身していく。
残念なのは、まだ、全ての競技を詳しくテレビで見られないことだ。日本人が決勝に進むか、よほど話題のある場合を除いて、私たちがほとんどテレビで見られないスポーツもあるというのは、とても残念だ。そのスポーツの戦いを見て、明日の日本人がそれに挑戦するかもしれないというのに。もっとも全てを見られるほど暇でないのも事実だが。