ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)

日本コンピュータクラブ連盟・日本霊能者連盟・日本占い師連盟各理事長・メイドリラク萌とカードカルト経営者 山本隆雄の日記帳

朝積雪5センチ。恵光院の朝のお勤めに参加。奥の院で大吉。お助け地蔵に。報恩市で普門院の庭園見学。

2014-03-21 20:36:00 | 高野山おまいり

 

3月21日、朝6時に起きて驚き、あたりは真っ白に。昨夜の雨が雪に変わっていて、5センチほど積もっていました。
先月、2月20日のお逮夜ナイトウォークは、雪のため中止になった、同室の人が言っていたので、昨夜は、雨で正解。本日は、季節外れの大雪。
お大師さまが、雪景色の高野山をみせてくれたのだなぁと感謝しました。
大阪で戻って調べると、標高がここより150メートル下にある高野山のアメダス観測点、では、雪を観測していないことになっていたので、まさしく、弘法大師様からの私へのプレゼントだと思われました。

 

 

朝、7時より、本堂で、阿弥陀如来様のお勤め。
フランス人の団体も含めて、100名近くが参加。
フランス人たちも、焼香。中には、日本人よりも、しっかり作法を知っている者も。
真言宗では、焼香は、ひとつまみをおでこに当ててから、入れます。それを3回繰り返します。
私は、ひとつかみではなく、おおつまみで入れて入れています。

私は、知っているお経の時は、坊さんと一緒になって唱えます。
他の人は、興味本身で見ているだけでした。
朝のお勤めを観光客に見世物にしているなぁと思われました。

 

そして、7時半から、門を出てすぐ隣の護摩堂へ。御本尊が不動明王様ではなく、毘沙門天様になっているのに驚きました。
護摩焚きです。私は、300円を支払って、添え護摩をもらい、商売繁盛と書いて渡しました。
フランス人の団体や観光客には、護摩焚きは受けるだろうなあと思われました。
護摩焚き中は、般若心経や、毘沙門天の御真言 おんべいしらまんだやそわか が繰り返し唱えられます。

護摩木をくべるお坊さんと、太鼓をたたき、お経を唱えるお坊さんの2名だけです。
護摩焚き中は、私も大きな声を出して、繰り返し、繰り返し、般若心経と毘沙門天様の御真言を唱えていました。
お経を唱えるお坊さんが息継ぎや声が出なくなっているときは、私のお経だけが、堂内に響いていました。

↓護摩堂前で。

そして、朝食。
おかわりできるのは、ご飯とお茶だけ。おひつのなかが、すぐに空っぽ。何回も、もらいに行きました。

2日間、私の専属カメラマンとなっていた櫛田俊さん。
櫛田さんとも別れを告げました。

そして、チェックアウト。といっても、支払いが終わっているので勝手に出ていくと言う感じ。恵光院の入口。

最寄りバス停は、かるかや堂堂前。バスを待つ3分の間に、お参りしました。

そして、バスで奥の院前へ。いつもと同じコースです。

奥の院前のバス停から中の橋に向かいます。
汗かき地蔵様にごあいさつ。
その横にある姿見の井戸で、生命エネルギーをもらいます。

そして、参道を歩いていきます。御廟橋へ。
突き当りに見えるのが、前夜いた燈籠堂。

いつものとおり、御供所に行き、水卒塔婆8枚を書いてもらいます。
山本家先祖代々・父・母・出産時に亡くなった兄・母の水子・山本家水子。母方の佐々木家先祖代々・佐々木家水子。
8枚で1600円。
水向け地蔵さんの左から6体目、大日如来風お地蔵様の前に備え、水をかけます。

そして、御廟橋を渡り、燈籠堂へ。この日は、弘法大師様の入定の日で、燈籠堂では、正御影供(しょうみえく)の法会が盛大に行われていました。テレビカメラも来ていました。
燈籠堂はすごい人でした。いつものように、1本500円の添え護摩に商売繁盛と書いて、窓口に出しました。
そして、御廟で、弘法大師様にごあいさつ、地下法場へ。そして、地上に上がると、法会が終わり、多くのお坊さんが列をなし、出ていくところでした。

 

そして、みろく石にチャレンジ。まず右手で、重たくて、断念しようとしたけれど、なんとか上の段まで、もちあげられました。
そして、左手で。いつも、左手では、なぜか、楽勝で持ち上げられます。

そして、厄除け不動明王様と、厄除け不動明王様にごあいさつ。あじみ地蔵様にごあいさつ。
そして、昨夜は、しまわれていたおみくじの自販機へ。
100円玉を入れます。出てきたおみくじは、43番大吉でした。

↓向こう側の建物の角っこにある赤い機械がおみくじ自販機。

そして、奥の院前からバスで。大門へ。

私が乗っていたバスは折り返し、高野山駅前行のバスになります。
バスを降りると、櫛田さんが、バス停で、待っていました。
折り返しのバスに乗るためです。
これから、九度山の弘法大師のお母さんを祀る慈尊院に行くとか。
そして、櫛田さんに、大門をバックにして写真をとってもらいました。

大門のすぐ横の道には、現在の気温が表示されます。-2.2度。今日は、3月21日ですよ。寒い・寒い。
櫛田俊さんのフェイスブックにここの気温が表示されていた画像が貼ってあったので、無断で借用させていただきました。

そして、私は、願い事をひとつだけ聞いてくれると言うお助け地蔵に。
お地蔵さまにお願い。赤い帽子がかぶせられた石が堂内にあります。
その石が軽々しくもてたら、願い事がかなうという事でした。
私が、石を持ったところ、軽々しく感じました。

そして、大門からバスで霊宝館前へ。
久々に、霊宝館に。
参与会会員なので、ただで入れます。
この日は寒かったので、カイロをくれました。また、3月21日は、弘法大師様のご入定日なので、記念に、絵葉書をくれました。

そして、金剛峯寺に歩いて行きました。
参与会の粗品、線香1箱をもらい、茶菓子の接待を受けました。
茶菓子の接待を受ける大広間では、適当に、法話があります。
この日は、中門再建の話があり、山門や本堂、大師堂があって、本山になれる。本堂と大師堂があるのが寺で、ないのが院とか言っていました。
高野山の宿坊には、たいてい、本堂があっても、大師堂がないので、寺ではなく、院と称しているのだなぁと理解できました。
そういえば、いつもお世話になっている泉涌寺派大本山法楽寺(大阪市東住吉区)や東寺派別格本山大龍寺(神戸市中央区)は、いずれも、山門と本堂、大師堂があるなぁと気づきました。

 

そして、3か月に1回ぐらい、21日に、報恩高野市をやっているので、この日は、絶対にやっていると思え、千手院橋バス停近くにある会場に行きました。
やっぱり、やっていました。第7回報恩高野市。小豆粥の振る舞いがあり、いただきました。

小豆粥を食べるのは初めてです。そして、厚揚げの試食コーナーがあり、厚揚げをいただきました。
そして、お大師様からのおさがり米(先着108名)進呈 とあり、まだ、あったのでいただきました。
会場の水木商店のブースで、弘法大師さまから伝わる金山寺味噌をひとつ買いました。

そして、報恩特別企画
小堀遠州の名庭園一般公開(無料)ほっこり茶会 ~普門院の巻~

とあり、整理券(先着100名様)とあり、まだあったので、1枚もらっていきました。

一角に案内され、抹茶とお菓子をいただきました。無料です。
他の人も数名いました。
中に、恵光院の部屋で同じ人がいました。こちらの人は、みやじさんといい、愛知県から来ていました。
この部屋は、戦後の日本将棋の発祥の部屋とか。大きな名人戦が行われた部屋のようでした。
見事な庭園でした。
みやじさんは、この日、この宿坊に泊まる予定ということで、ふたりで、本尊さまを見せてもらいました。
そして、護摩焚きコーナーも。ここでも、護摩焚き時の御本尊が、不動明王様ではなく、毘沙門天様。
どうして、高野山では、不動明王ではなく毘沙門天の前で護摩を焚くのか?案内してくれたお坊さんに聞きましたが、わからないということ。


ひそして、普門院をあとに、千手院橋からバスで、高野山駅前で。
そこからケーブルカーで。

そして、極楽橋駅で、槇10本を2500円で購入して、橋本行の4両編成の各停に。
そして、橋本駅から、6両編成のなんば行き急行に。
そして、天下茶屋駅で下車。いつもの20分手もみマッサージ、健康保険適用で自己負担180円の整骨院へ。この日は、祝日のため、15分自己負担90円のマッサージを受けました。
そして、天下茶屋えきから、堺筋線で恵美須町駅まで。そして、事務所に戻りました。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

檀上伽藍で大吉。高野山に初宿泊恵光院へ。お逮夜ウォークに参加。弘法大師時代の魂が一瞬私に。

2014-03-21 20:28:33 | 高野山おまいり

3月20日、ひょんなことから高野山へ。
2月末で、じゃらんポイント2600ポイントが無効となり、2月28日に、前回同様、高野山の宿坊で昼食でも行こうかと思い、じゃらんネットを見ていると、1泊2食付5000円というものを発見。
それは、恵光院という宿坊が、毎月20日宿泊に限り行っている企画でした。20日の夜、奥の院のナイトウォークをおこなうというもの。相部屋で見知らぬもの同士がお大師さんについて語るというもの。
5000円-2600円。わずか、2400円支払っただけで、1泊できるので、それを予約。
本当は、3月21日は、東住吉区の法楽寺で、彼岸法要のある日。毎年、参加しているものの、今回は、パスすることに。
19日まで、伊勢志摩に行っていたので、20日は、昼過ぎ出発。
高野山世界遺産切符 2860円で。なんばから高野山までの南海電車(ケーブル含む)往復(2日間有効)と、山内の南海りんかんバス2日間乗り放題がセットになったもの。
この時期、いつもは、スルッとKANSAI3DAYチケットを使って高野山に行っていましたが、今年は、スルッとKANSAI3DAYは、4月1日から。南海の窓口で聞いたら、4月1日から消費税が上がるから、今年に限り、4月1日から発売となり、
価格も、5200円になるとのこと。
ただ、スルッとKANSAI3DAYは、1日で1回分いるので、高野山で1泊するなら、どうしても、高野山世界遺産切符でとなります。
事務所から出発なので、堺筋線恵美須町駅から天下茶屋駅まで。天下茶屋駅で南海に乗り換え、高野山極楽橋行快速急行に乗車しました。
そして、極楽橋駅で下車。ケーブルカーに乗り換えます。その5分の間に、高野槇1本250円を10束予約します。内訳は、神戸の家用2束、大阪の家用2束。お墓参り用6束。
ケーブルカーで高野山に到着。高野山は雨です。

奥の院前行バスと大門行バスが並んでいます。
奥の院は、今夜行くので、大門行に乗車。
ケーブルカーから下車してきたお客さんの大半は、奥の院前行のバスに乗ります。
大門行は、数名しかいませんでした。私の近くに着席していた男性は、何回か立ち上がり、下車しようか迷っている素振りでした。
ひょっとしたら、同じ宿に泊まる人?と運命的な出会いを感じるものの、黙って見ていました。
そして、金堂前で下車。その人も金堂前で下車しました。
金堂で薬師如来様などにご挨拶しました。
さっきのバスで、私のそばにいた例の方も、拝観。

ほかに、観光客がいなかったので、その人に、私の撮影をお願いしました。

そして、根本大塔の前でも、写真を撮ってもらいました。
お礼として、根本大塔に、タダで入れてあげました。
私は、参与会の会員なので、袈裟をかけていると有料箇所に無料に入れます。と同時に同伴者4名まで、無料で入れるからです。

根本大塔で大日如来様にごあいさつしました。
ひょうたん良先生から、メイドの商売をしているので、高野山に行くと、私のご先祖様や私の指導霊が怒られる。高野山にはいかない方が良いと言われまていました。
売春婦の人でも、高野山に行く人はいるが、高野山に行って清掃などして、許しを請っている。
そして、私は、大日如来様に、涙ながらに、高野山に来て、掃除などはできませんが、ブログなどで、高野山のことを世間に広め、来年4月・5月の開創1200年祭に向けて、ネット上で盛り上がりを作ります。
と、高野山へ行くことの許しを請いました。
そして、社務所で、おみくじを。
当然、大吉が出ると、許しを請ったことになります。
おみくじをひくと 26番大吉でした。

 


 

そいて、金剛峯寺へ。
参与会の会員なので、受付で、線香1箱をもらいます。
そして、茶菓の接待を受けます。

雨は降り続いています。

私は、雨でも晴れさせることができると、周りに、豪語していますが、唯一の例外が高野山なのです。
以前、高野山に行ったとき、雨が降っていたので、雨をあがらせようと念じたら、逆に、雨が強くなって、それ以来、高野山では、雨をあがらせようということは考えなくなりました。

そして、午後4時過ぎ、本日の宿坊。恵光院へ。
受付で、宿代 じゃらんポイントとの差額2400円を支払いました。
そして、写経をするかと聞かれ、するというと、写経用紙と筆ペンと写経下敷き(厚紙)を渡されました。
部屋に案内され、驚きました。6畳2間に6名収容ですが、
中に、さっき、檀上伽藍で一緒になった男性がいるではありません。
以後、彼が、私の専属カメラマンのように。
茨城県から来た櫛田俊さんという彼は、エンジリアで、会社の休暇を利用して、関西に旅行に来て、高野山に初めて来たといいます。
同室者と話すると、他の人もたいてい、高野山が初めてと言っていました。

午後4時半から、阿字観が無料体験できると、阿字観道場へ行きました。
100名くらいいましたが、フランス人のグルーブ30名ほどは、開始前に、ガイドの人により、外に出されていました。

金剛峯寺での有料の阿字観では、アーという声を発生しながら瞑想にはいりますが、こちらは、無言で瞑想に入ります。
アーと発生しながらの瞑想では、時間があっという間に立ちますが、無言での瞑想では、時間が長く感じ、全く、瞑想できませんでした。
終了後、お坊さんに、なぜ、あーと発生しないのかと聞いてみたところ、周りに騒音をだすからという回答でした。

そして夕食。1泊2食5000円コースの人27名が同じ部屋での食事となりました。男女別相部屋コースにも、フランス人の人がいました。

一汁一菜。ご飯とお茶だけがおかわりできます。

食事から戻ると布団が敷かれていました。

そして、午後7時から、雨の中、お逮夜ウォークです。

午後6時50分にお寺の玄関に集合。一の橋まで。
そこにある観光協会で、氏名を書いて、提灯を借ります。提灯と言ってもも、本物のろうそくではなく、電池式のろうそくです。
厳密には、ここからは、恵光院のイベントではなく、高野山観光協会のイベント

「心の癒し・お逮夜ナイトウォーク」(心のエクササイズ)となります。毎月、20日に開催されているとのことです。

チラシでは、~身も心もひきしまる厳寒のなか奥之院の参道を歩き、大師御廟にご参拝 燈籠堂・夜間特別開扉・ご法楽・法話)~
★毎月20日゜午後7時00分~ ◎集合 一の橋表参道入口(高野山宿坊協会一の橋案内書前) ◎無料(予約不要です) ※雨天決行

150名くらいの参加者がいました。

櫛田さんと一緒に話しなから、参道を歩いていました。
彼の宗派は、真言宗だと言っていました。要するに、呼ばれて高野山にきているのだなぁと思いました。

そして、御廟橋のところにつきました。
水向け地蔵さんの前です。

そして、御廟橋を渡り、燈籠堂へです。
先導している観光協会の人に聞くと、奥の院は、夜間でもお参りはできるそうですが、燈籠堂は普段は閉まっていて、今夜だけ、特別にあけているとか。

内陣に上がり、お逮夜法会に参加しました。
3月20日、多くの弟子に見舞われて、最後の晩餐をしている弘法大師様の魂が少しだけ入りました。
赤々とともっているわけではなく、燈籠堂ぐらいの明るさのところ、薄暗いところで、これが最後の食事か。弟子のことも気になるが、多くの民を救わねばならぬ。
入定するのは、悲しい半面、うれしい反面もある。という感じでした。

お坊さんによる法会が始まりました。私は、般若心経や光明真言など知っているお経については、大きな声で唱えました。
150名ぐらいいる参列者の中で、フランス人が30名ほど。フランス人は仕方ないとして、他の参列者から、
弘法大師様のご宝号 「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)の声が聞かれなかったことが残念に思えました。
せっかく、弘法大師様の3月21日御入定の前夜のお逮夜の法会に参加しているに、ご宝号「南無大師遍照金剛」をお唱えしないなんて、
何を考えているのかと、真言宗信徒の私から見たら思えますが、参列者の大半が、観光客だから仕方ないとも思えました。

各自、宿へ。
いつもの御供所にあるおみくじの自販機。おみくじを引こうとしたら、建物内にしまわれていてありませんでした。
おみくじは、明日引くことに。

翌朝のお勤め参加に備えて、我々の泊まる部屋は、夜は、10時40分に消灯しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする