たとえば、公園のベンチで若い男女が、仲良く話をしている。
「何があっても、絶対、おまえを守るから」って男が言う。
二人は抱き合ってキスをする。
仲良くて、よろしゅうございますね、と僕なら思う。
でも、小林秀雄に「そんなの、ただの言葉じゃないか」って怒られそうだ。
確かに、ただの言葉だ。でも、自分の気持は言葉でしか伝えられない。
だから、仕方ないような気もする。
ちょっと、話が逸れるが(きちんと戻ってきますので)、いいドラマや小説には必ず困難があります。
主人公が、これでもか、これでもか、と悲惨な目にあう。
これには、ちゃんと理由があります。別に、困難自体が面白いわけではありません。
見ている人は、主人公の真っ直ぐな強い気持ちに心を打たれるのです。
「強い意志」と言い換えてもいいかもしれません。
その強い意志のもとになるのは、愛です。
僕たちの心の中の内面は見えませんよね。だから、「愛してる」と言葉に出してみる。
でも、ホントか?と疑いたくなります。それが、ただの言葉なら。
だから、困難をぶつけてみるんです。様々な障害、妨害、敵の存在。
それでも自分の意志を曲げすに、行動できるかどうか。
厳しい試練に耐え抜いて、行動を貫徹できたとき、はじめて強い意志を、外から感じることができる。
人の内面を見るということはそういうことです。
彼女が、中国マフィアに捕まって、人身売買された。
そして、中国本土の売春宿に送られた。
彼は、船で中国に密航し、彼女を救いに行く。
中国マフィアに捕まって、拷問にあい、殺されそうになる。
その後も、大変な試練をくぐり抜け、やっと彼女のいる場所を見つける。
彼の身体は傷だらけでボロボロだ。でも、彼はそれをなんとも思っていない。
ただ、彼女を見つけ、安堵の表情を浮かべている。そして、彼は彼女を抱きしめて言う。
「何があっても、絶対おまえを守るから」と。
どうですか? この言葉は、ただの言葉ではありませんよね。
彼の「彼女をなんとしても守ってやる」という強い意志は、困難にぶつかったときにしか見えてこないんです。
だから、その気持ちが本物なのかどうかは、困難にあったときにしか分からない。
もし、何かしている最中に辛い目にあったら、神様が自分を試していると思ったほうがいい。
それでも妥協しないで、続けていこうと思ったら、その意志は本物です。
どうでもいいことだったら、すぐに心が折れてしまうでしょう。
神よ、彼に試練を与え給え。
彼の意志が本物かどうかを知るために。