「美を求める心」は小林秀雄のエッセイです。
久しぶりに読みたいと思い、本棚を見ましたが、ありません。
どこに行ったんだろう。
たしか、「考えるヒント3」ですね。このエッセイがある本は。
難解な小林秀雄の文章の中でも、中高生向けに書かれた読みやすい文章だったと思います。
ネットから、引っ張ってきたので、少し引用してみましょう。
美しい自然を眺め、或いは、美しい絵を眺めて感動した時、その感動はとても言葉で言い現せないと思った経験は、誰にでもあるでしょう。
諸君は、何んとも言えず美しいと言うでしょう。
この何んともいえないものこそ、絵かきが諸君の眼を通じて、直接に諸君の心に伝えたいと願っているのだ。
音楽は、諸君の耳から入って、真直ぐに諸君の心に到り、これを波立たせるものだ。
美しいものは、諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させる力があるのです。
絵や音楽が解るというのは、絵や音楽を感ずる事です。愛する事です。
知識の浅い、少ししか言葉を持たぬ子どもでも、何んでも直ぐ頭で解りたがる大人より、美しいものに関する経験は、よほど深いかもしれません。
実際、優れた芸術家は、大人になっても、子どもの心を失っていないものです。
この「人を沈黙させる何か」を、表現するのが芸術ですね。
もう一つ、このエッセイの中から、好きな文を引用しますね。
泣いていては歌はできない。悲しみの歌をつくる詩人は、自分の悲しみを、よく見定める人です。
悲しいといってただ泣く人ではない。
自分の悲しみに溺れず、負けず、これを見定め、これをはっきりと感じ、これを美しい言葉の姿に整えて見せる人です。
詩人は、自分の悲しみを、言葉で誇張して見せるのでもなければ、飾り立てて見せるのでもない。
一輪の花に美しい姿がある様に、放って置けば消えてしまう、取るに足らぬ小さな自分の悲しみにも、これを粗末に扱わず、はっきり見定めれば、美しい姿のあることを知っている人です。
自分の悲しみ(いろんな感情)を客観視できて、はじめてそれを表現できるのですね。
つまり、悲しみに打ち勝たなくては、それを表現できないということです。
だから、僕は自分の感情に溺れず、その中にある美しさを拾って、表現できたらいいなと思っています。
素晴らしいエッセイなんで、すごくおすすめします。
それにしても、本どこ行ったんだろう。謎だ。