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フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

プロップによる物語機能の分析

2012年04月09日 17時32分56秒 | 日々の出来事・雑記

 

 プロップはロシアの昔話を分析し、それらに共通する「構造」を取り出した。
 
 それが、この31の機能である。簡単にメモしておく。

 
 1、家族の成員のひとりが家を留守にする(不在

 2、主人公に禁を課す(禁止

 3、禁が破られる(違反

 4、敵対者が探りだそうとする(情報収集

 5、犠牲者に関する情報が敵対者に伝わる(情報獲得

 6、敵対者は犠牲となる者なりその持ち物なりを手に入れようとして、犠牲者となるものをだまそうとする(謀略

 7、犠牲者となる者はあざむかれ、そのことによって心ならずも敵対者を助ける(ほう助

 8、敵対者が家族の成員のひとりに害を加えるなり損傷を与える(加害

 9、被害なり欠如なりが知らされ、主人公に頼むなり命令するなりして、主人公を派遣したり出立したりする(救援依頼あるいは派遣

 10、探索型の主人公が、対抗する行動に出ることに同意するか、対抗する行動に出ることを決意する(任務の受諾

 11、主人公が家を後にする(出発

 12、主人公が試され、訪ねられ、攻撃されたりする。そのことによって、主人公が、呪具なり助手なりを手に入れる。下準備がなされる(贈与者の第一機能、働きかけ・試練

 13、主人公が、贈与者となるはずの者の働きかけに反応する(試練に対する主人公の反応

 14、呪具が主人公の手に入る(呪具の贈与・獲得

 15、主人公は探し求める対象のある場所へ、連れて行かれる・送りとどけられる・案内される(二つの国の間の空間移動

 16、主人公と敵対者とが、直接に闘う(戦闘

 17、主人公にしるしがつけられる。主人公の身体のどこかに傷を負うのが基本(しるしづけ

 18、敵対者が敗北する(勝利

 19、 発端の不幸・災いないし発端の欠如が解消される(回復
 
 20、主人公が帰路につく(帰還

 
 物語はここで終了しても良い。


 主人公の帰還。そこで、もう一波乱起きる。
 
 21、主人公が追跡される(追跡

 22、主人公は追跡から逃げのびる(脱出

 23、主人公がそれと気づかれずに、他国かに到着する(秘かな帰還

 24、エセ主人公が不当な要求をする(詐欺

 25、主人公に難題が課される(難題

 26、難題を解決する(解決

 27、主人公が発見・認知される。17でつけられたしるしによって本人であると証明される。(再認
 28、エセ主人公あるいは敵対者(加害者)の正体が露見する(露見

 29、主人公に新たな姿形が与えられる(変身

 30、敵対者に罰が課せられる(処罰

 31、主人公は結婚するか王位につく、あるいはその両方(結婚・即位

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自死という生き方 須原一秀著

2012年04月08日 15時44分18秒 | 読書・書籍

 「すべての書かれたものの中で、私が愛するのは、血で書かれたものだけだ。血を持って書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。

 他人の血を理解するのは容易にできない。読書する暇つぶしを、私は憎む。

 読者がどんなものかを知れば、誰も読者のためにはもはや何もしなくなるだろう。もう一世紀もこんな読者が続いていれば、――精神そのものが腐りだすだろう。

 誰でもが読むことを学びうるという事態は、長い目で見れば、書くことばかりか、考えることをも害する。

 かつては精神は神であった。やがてそれは人間となった。今ではにまで成り下がった。

 血を持って箴言を書く者は、読まれることを求めない。暗証されることを望む…」

 by ニーチェ

 私の場合、ほとんど暇つぶしで読書しているので、ニーチェのこの言葉は耳が痛い。確かに、世の中には血で書かれた書物以外のものが氾濫している。だが、私は、それについて、特に否定的には考えていない。なぜなら、人生はそもそも暇つぶしみたいなものだと思っているからである。
 
 しかし、この「自死という生き方」は正真正銘、血で書かれた書物である。
 著者の書物は何冊か読んでいるが、いつも読みながら心臓がバクバクしている。 冷静な気持ちで読めた試しがない。
 最初、理由が分からなかったが、今は分かる。それは、須原氏の書いた書物が、私の自己保存本能を強く揺さぶるからだ。それについては、いずれゆっくり書こうと思う。

 著者、須原一秀氏は、2006年4月はじめ、某県の神社の裏山で縊死(首をつって死ぬこと)された。 死を確実にするため、頸動脈は切られていた。6年前の今頃である。
 本書はその遺著、遺書にあたる。
 ここまで書くと、何やら薄気味悪い、暗い書物のような感じを与えてしまうが、結論を先に言えば、読後、非常に清々しく爽やかな気分になる。著者の自死を、肯定的に捉えてる自分がいる。
 わたしにとってこの本は、価値観を大きく転換するきっかけになった書物といえそうだ。なぜなら、今まで私は自殺を非常にネガティヴにとらえていたからだ。
 今は自殺という選択肢もありかもしれないと思っている。「逃げ」という意味での自殺は、今でも強く否定するが、須原氏の、自死はそうではない。

 まず、三島由紀夫、伊丹十三、ソクラテスという三人の哲学者・芸術家の生き方と自殺の意義について、分析をする。
 彼らの、人生はニヒリズムではなかったこと、自殺が虚無や厭世からなされたものではないことを、証明しようと試みている。
 
 次に、キューブラー・ロスの死の受容に関する五段階説を検討する。これについては、有名だから、知っている人も多いだろう。
一応、5段階を列挙してみよう。
 例えば、がんを告知されたとして、 

 1、否定の段階 自分ががんのはずはないと否定する。
 
 2、怒りの段階 否定しても客観的な状況から、否定できなくなり、何故私がという怒りに変わる。
 
 3 取引の段階 神などに対し、もし助けてくれるなら、もっと有意義に過ごします、と取引しようとする。

 4 抑うつの段階 悲しみふさぎこむ。

 5 受容の段階 やがて、自分の人生全体を何らかの形で肯定し受け容れる。そして、自分の死も穏やかな気持で受容する。

 このように、突然のがんの告知のように、自分の意志とは別にやむ得ない状況での受容を、著者は「受動的死の受容」という。
 これに対し、この本の主題は「積極的死の受容」である。
 
 積極的死の受容とは、武士道における「いつでもあっさり腹を切ることのできる状態になっている心の有様」である。そこで、この本は「新葉隠」と呼ばれることになる。
 武士は、元々は戦士であり、小さくても一国一城の主になり得た人間である。しかし、戦争など全くない平和な江戸幕藩体制の下では、官僚的事務官としてしか生きられない。生きていくためには、やりたくないこともやらざるを得ない。しかし、武士という誇りもある。
 このように江戸時代の武士は、暴力的戦士としての部分と体制に従順な忠犬としての部分の矛盾によって、精神的に引き裂かれることになる。
 徹頭徹尾忠義を尽くし、ロボットのように事務処理をこなし、自分というものを殺しながら、男としての自尊心と主体性を維持していくにはどうすればいいか。
 そこで、「切腹」という形の主体的行動が生まれてくるのである。
 つまり、こういう事である。
 いま、わたしは、自分の意志で忠義を尽くすことを決意して事務処理をしている。決してそれは何らかの利益や罰が怖くてやっているわけではない。だから、法を犯すことになっても、自分の意志を貫くためなら、それをやる。法を犯した責任は自分の命でとる、ということである。
 「武士道とは、死ぬこととみつけたり」である。
 自分の命をあっさり捨てることのできる心構えを持ち、官僚的幕藩体制の中で、自尊心と主体性を維持し続ける道を見つけた、ということである。

 この精神を現代風にアレンジすれば、こういう事である。
 介護が必要なくらい老いてきた。もうそろそろ人の手を借りなければ生きていけない。その中で、自尊心と主体性を維持していくためにはどうすればいいか、ということである。
 自身の主体性を維持するために、自死を決意したというなら、私にそれを否定することはできない。

 私はできるだけ生き続けたいと思っている。自殺はしない。
 しかし、体が動かなくなって介護が必要になり、自分で食べ物が食べられない状態になったら、積極的自然死をしようと思っている。積極的自然死とは、自分の意思による餓死である。これが、もし自殺なんだと言われれば、自殺かもしれないが、そうするつもりでいる。
 
 何れにしても、死について考えておくことは、人生を生きる上で有用なことである。人の一つのリアルな死について詳しく知りたいなら、この本を読んでみることをお薦めする。自分の死についてこれほど客観的かつ分析的に書かれた書物を、私は知らない。
 
 別に自死をすすめるつもりは全くないが、須原氏の桜が散っていくような美しい死に方も、悪くないなぁと思う。
 
 合掌
 


 

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世界は感情で動く パート3-2 メモ

2012年04月07日 10時04分08秒 | 日々の出来事・雑記

 25、他の集団への偏見
 自分の集団には属さない他の集団に対し、劣っていると考えたり、均一な性格を有していると考えてしまうバイアス。

 26、ハロー効果
 ある対象を評価する際に、その顕著な特徴に引きずられ、他の特徴もポジティブないしネガティブに歪んで評価してしまうこと。
 例えば、有名大学卒だと、信頼に値する人物だと評価してしまうこと。

 27、自信過剰
 自分の能力や知識を過信すること。

 28、願望的思考
 起こって欲しいと思う出来事の発生確率を高く見積もり、起こって欲しくないものは低く見積ること。

 29、後知恵(それならとっくに知っていた)
 何か事が起こってから、後でその原因に言及すること。
 事前には予測すら出来なかった出来事が、事後には必然であったかのように判断してしまうバイアス。

 30、間違った記憶
 記憶はビデオカメラのように正確には記録していないが、それを正確だと判断してしまうバイアス

 31、無意識のいたずら
 人は無意識に規則を作ってしまう

32、順序効果
 出会ったことのない他者に対し、提示されるその人の情報の順序が異なるだけで、形成する印象が違ってくる現象を順序効果という。
 はじめに提示される情報に強く影響されることを初頭効果といい、最後の情報に影響されることを新近効果という。


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世界は感情で動く パート3-1 メモ

2012年04月07日 10時03分48秒 | 日々の出来事・雑記

 17、帰属理論と帰属エラー
 帰属理論とは、人がある事象(結果)が起こった場合に、その原因を何に求めるのかの思考過程を分析したもの。
 その時に生じる間違いを帰属エラーという。
 ・誤った関連付け 目立った情報や刺激に結果の原因を求めてしまうこと。
 ・基本的帰属エラー 社会的行動の原因を推測するとき、状況や環境といった外的要因を考慮しないで、行為者の属性や性格などの内的要因を過度に重視すること。
 ・行為者・観察者バイアス 行為者は自分自身の行為の原因を外的要因に、観察者はその同じ行為の原因を行為者の安定した内的要因に帰属させること
  
 18、セルフ・サービング・バイアス
 成功は自分に帰属し、失敗は環境に帰属すると考える傾向。
 また、コントロールの錯誤 実際は外部的状況や偶然の力なのだが、自分の能力でコントロールできると考えてしまうこと。

 19、愚か者の親玉はリッチになる
 「非合理的な世界で合理的な投資の方法を探ることほど危険なことはない」 by ケインズ

 20、バーナム効果
 誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう現象。
 占い、血液診断など。

 21、フォールス・コンセンサス効果
 自分と他者の間に共有されているコンセンサスを過度に見積るバイアス。
 つまり、自分の判断や行動について、他人も同じように判断し行動すると考える傾向。

 22、群れ効果
 多数の行動に個人が乗っかかっていくこと。
 典型はバブルと恐慌。

 23、集団思考
 集団による合議が、不合理で危険な意思決定を容認すること。
 (1)連帯意識の強い団結力のある集団が(2)構造的な組織上の欠陥を抱え、(3)刺激の多い状況に置かれると、集団思考に陥りやすい。
 構造的な組織上の欠陥とは、メンバーに発言の機会を平等に与える公平なリーダーシップの欠如、整然とした手続きを求める規範の欠如、構成員の社会的背景とアイデンティティの均一性などのこと。
 刺激の多い状況とは、リーダーの意見よりもよい解決策が望めないような、集団外部からの強い脅威などのこと。
 間違った意思決定を行う原因
 1代替案を吟味しない
 2目標を精査しない
 3採用しようとする選択肢の危険性を検討しない
 4いったん否決された代替案を再検討しない
 5情報をよく探さない
 6非常事態に対応する計画を策定できない

 24、集団規範
 ある特定の集団の中でその構成員が主に共有する行動や判断の規則ないし基準。
 集団を目的達成に向かわせる枠組みとして、集団の同調性、凝集性の高さが強固な集団規範をつくる。
 プラスに働けば、業績は向上するが、会社ぐるみの偽装や不正につながりやすい。

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世界は感情で動く パート2-2 メモ

2012年04月07日 00時01分45秒 | 日々の出来事・雑記

 11、利用可能性
 最近起こったショッキングな事件や特徴的な出来事を思い出し、間違った評価・判断してしまうこと。
 例えば、東北の地震の影響で、地震で命を失う恐怖を思い浮かべるが、実は交通事故で死ぬ確率のほうが高い。
 直感エラーの典型である。

 12、アンカーリング効果(固着性)
最初に印象に残った言葉や数字が、後の判断に影響をおよぼすこと。
 例えば、最初、バッグが5万円で提示されていて、後で3万円値引きされ2万円になると、安いと感じ買ってしまうようなことである。最初の、5万円に影響されている。

 13、14 注意力の欠如 
 変化の目立たないところや興味のないところは、視界に入っていても、その変化に気づかない。

 15、16 注意の焦点化効果
 ある特定の部分に注意を払うように誘導されると、そのことだけで、判断したり、行動してしまっったりすること。
 例、振り込め詐欺など、息子に大変なことが起きているという点に注意がいってしまい、他のおかしい部分に気づかなくなってしまう。

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世界は感情で動く パート2-1 メモ

2012年04月06日 19時31分47秒 | 日々の出来事・雑記

 5、基準値の誤り
 私たちは、物事や出来事を確率的な数値で判断することが多い。その際に、生じる誤り。
 数値である確率を表す場合、その条件や基準値があるのだが、それを考慮せず、単に数値を見ただけで直感的に反応してしまうところに問題がある。
 例えば、「燃費リッター30キロメートル」と言われると、その30キロメートルに強く反応するが、どういう条件でその燃費が測られているのか、注意を払うことが少ない。そのため、誤りが生じてしまう。

 6、大数の法則・少数の法則
 サイコロやコインの表裏など、経費と時間が許すかぎり、より多くのデータから平均を求めた方が、真の平均値に近づくことを「大数の原則」という。
 これに対して、「少数の原則」とは、少ないデータで発生した結果を、全体の結果と錯覚してしまう現象である。
 例えば、3試合無安打のイチローと5割を打った新人を、その3試合だけで比較し、イチローよりその新人のほうが優秀と判断してしまうことである。
 結論を急いで、はじめの直感だけで判断しないこと。データが多くなればなるほど結論は変わる。

 7、代表性(典型性)のバイアス
 典型的な性質で物事を判断してしまうこと。
 例えば、黒人居住地は犯罪率が高い、ユダヤ人は金融業についている、日本人はおとなしい、など。

 8、偶然に秩序を見る
 偶然につづいた出来事なのに、そこに秩序や法則を見出してしまうという錯覚。
 一定の地域にたまたま肺がんの発生率が高かったとき、そこに何らかの原因をこじつける。

 9、原因と結果
 AがあるとBという出来事が起こるという経験が続くと、Bの原因がAだと思ってしまう誤謬。
 
 例えば、白い帽子をかぶるとパチンコに勝つという結果が続くと、パチンコに勝つ原因が白い帽子をかぶることだと思ってしまうこと。
 白い帽子をかぶることとパチンコに勝つことには相関関係はあるかもしれないが、因果関係はない。相関関係は因果関係の単なる必要条件の一つである。
 誤謬を表すと、
1、Aの発生は、Bと相関している。
2、したがって、AがBの原因である。
 
 例えば、靴を履いたまま寝ると、頭痛がする。
 したがって、頭痛の原因は靴を履いたまま寝ることである、間違い。原因はアルコールによる酩酊(酔っ払って靴を履いたまま寝る)。 
 もう一つの例。アイスクリームが売れると水死者が増える。
 したがって、水死者の原因はアイスクリームである、は間違い。原因は、夏の暑さである。

10、確実性効果
 人がある現象が起こる確率を主観的にとらえて、確率が0%と100%に近づくと極端に敏感になる。
 例えば、病気にかかる確率を40%から20%にするより、5%の確率を0%にする方を重視する。タバコの禁煙を促進するより、放射能の除染に多額のお金をかけることもこの例である。


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世界は感情で動く パート1 メモ

2012年04月06日 17時09分50秒 | 日々の出来事・雑記

 問題が起こったとき、「直感」で素早く結論を出すことをヒューリスティックという。
 ほとんどの場合、この直感を信頼してもいいが、間違うときもある。
 この間違いは、偏見(バイアス)によることが多い。
 代表性、利用可能性、固着性 など
 
 このバイアスがかかりやすい事柄については、自分の直感を疑うべきである。
 以下、バイアスがかかりやすい事柄について、メモする。
 内容は、「世界は感情で動く」をまとめたもの

 1、予言の自己成就
 個人が自己の予測や願望に沿うような行動をとった場合、社会現象としてその通りの結果が出現すること。
 例、地価が上がると人々が信じることによって、本当に地価が上がる。銀行が倒産するというデマによって、引き出しが殺到し本当に銀行が倒産する。

 2、ピークエンドの法則
 「あらゆる経験の快苦は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合いで決まる」という法則
 「終わりよければすべてよし」の法則

 3、コンコルドの誤謬
 イギリスとフランスが共同開発したコンコルドは、途中、開発が終わっても採算が取れないことがわかっていたにもかかわらず、それまで投資した金額が膨大だったため、撤退できず、商用化し、赤字が膨らんだ。
 このように無駄な過去の投資の損失を、もったいないと思い、事業を継続してしまうことを、コンコルドの誤謬という。
 例、無駄なダム建設、「もう800億円使ったから後戻りできない」として、さらに無駄な税金を投入すること。

 4、フレーミング効果
 絵の額縁の「フレーム」のこと。つまり、同じ絵なのに、フレームを変えることで、その絵がよく見えたりみすぼらしく見えたりすること。
 CM効果、商品のラベリング、デザインが、その商品の売れ行きに影響すること。
 また、言葉の使い方で、内容に違いがあるように見えること。例、「このハンバーガーには30%の脂肪が含まれています」「このハンバーガーは70%赤身です」


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物語の構造とその有用性

2012年04月06日 09時04分18秒 | 社会・政治・思想哲学

 一番シンプルな物語の構造は、1、初期状態(欠落) 2、行為 3、結果(充足) である。
 具体的にいえば、1、ペンがない 2、探す 3、見つかる といった感じだ。
 私たちは知ってか知らずか、このパターンでものを考え行動している。
 ハラ減った、食べる、お腹いっぱい。お金が無い、働く、給料をもらう。
 
ただ、たまに自分のやっている行為の意味がわからない
ことがある。
 例えば、今、ここで「ブログを書いているこの行為」とか、である。
 別に私に何が欠けていて、何かを充足しようとしているわけではない。無理やり理由をつけようとすればできるが、どれもしっくりこない。
 
 スピノザは、人間の行為についてこう言っている。
「われわれをして、あることをなさしめる目的なるものを、私は衝動と解する」
 ちょっと、分かりづらいかもしれない。
 つまり、行為は何かを充足させることが目的なのではなく、衝動によって生み出されるということである。
 行為の目的は、何かを充足させるためではなく、衝動だと。
 この衝動が人間の本質だとスピノザは考えている。
 私たちは衝動に突き動かされているんだよ、
というわけである。

 また、スピノザは、欲望とは意識された衝動といい、最大強度の欲望は、より強い存在になりたい、より完全になりたいという欲望であるという。

 そうすると、そのように生きるのが、人間にとって一番幸せな方法だといえる。
 人間の行為は、究極的には不完全な自分を完全に向かわせるように働く、と考えれば、物語はそれに沿った形で作られるのが望ましい。
 1、不完全な自分 2、行為 3、完全な自分という流れだ。

 ここで、完全な自分とはなんだという問題が残るが、それはまた後で検討しよう。

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危機における人間の行動形式

2012年04月04日 08時59分07秒 | 身体・健康・筋トレ

 危機に直面した時の人間の行動について分析してみる。
 人間が人間に進化する前、また原始人類としてアフリカで走りまわっていた時、恐竜や大型肉食獣に捕食されていた。そのように、生命の危機に直面した時に発達したのが、大脳辺縁系である。
 大脳辺縁系が哺乳類脳であることは既に述べた。
 辺縁系には、危機に直面した時、とるべき一定の行動形式が組み込まれている。
 戦うか、逃げるか、である。ただ、その前提として、固まる(フリーズ)がある。
 その行動形式について考えてみよう。

 まず、固まるという方法である。
 人間がまだアフリカのサバンナで生活していた時、最大の敵はネコ科の大型肉食獣だった。大型肉食獣は、動いているものに反応する。猫を見ているとよくわかる。
 だから、生き残る戦略として、じっと身を潜めて動かないというのは合理的な方法である。
 例えば、ショーで虎やライオンが現れると、客席の最前列に座っている観客の手足は固まって動かなくなる。また、前線の兵士たちが攻撃を受けた時、動かなくなることで相手の視界から消える。実際、アメリカであった銃乱射事件で、
動いて逃げまわった学生は撃たれたのに対して、犯人のすぐ1,2メートル付近にいたのに、じっと固まっていた学生が助かった例がある。
 日常生活においてもこの反応は、いろんな所で現れる。例えば、嘘が見破られる時などである。その場合、呼吸が浅くなり固まってしまう。

 第二の方法、逃げるである。
 敵が近すぎて見つかる状況だったり、身を潜めていては危機から脱出できなかったりする場合、逃げるという行動をとる。これはシンプルでわかりやすい。
 ただ、アフリカの荒野であれば、単に走ればいい。しかし
、現代社会で、何か問題が起こるたびに、走って逃げていたら、生活できない。そこで逃げるという行動形式を、現代人的に適応させてきた。
 例えば、相手の言葉を否定したり、ある団体から脱退したり、交渉を打ち切ったり、である。
 人間の微妙なしぐさからもその逃げる行動が観察できる。
 例えば、足先が出口の方向に向く、不快な言葉に身をそらせ、のけぞるなどである。

 第三の方法、戦うである。
 固まっても、相手に見つかるし、逃げたとても相手に捕まってしまう場合、本能は戦うという選択をする。
 私たちは、進化の過程で、恐怖を怒りに変えることで、戦うという行動を起こしやすいようにしてきた。
 したがって、怒りは恐怖の一つの現われといえる。
 怒りは、人間を暴力的行為に向かわせる源泉であり、それを研究することは、平和的な社会を構築する上でも重要である。どのようにして怒りを抑え、起こさせないようにするか。
 戦うという選択をとった場合、殴る蹴るという行動のみならず、さまざまな行動をとる。目付きで相手を脅す。相手を指さす。激しい言葉を投げかける。罵倒する。
 原則的に、戦うという選択は、固まる、逃げるの後で仕方なく選択される。だから、通常であれば、その段階にいかないように気をつけておけば良い。
 しかし、瞬間的に、この戦うという選択をする人がいる。それは、この方法をとった方が有利な人である。つまり、権力をほしいままにしている人や、若くて体力がある人などである。そのような人に対しては、細心の注意が必要である。 

 ここまでの3つの行動は、理解しやすい。

 問題は、その先である。
 既に説明した3つの行動を起こすまもなく
危機に巻き込まれたり(突発的危機)、やっても功を奏しなかった場合に、最後に人間内部で起こる心理的状態である。
 例えば、交通事故なんかで、事故が起こった瞬間をスローモーションのように感じ、恐怖がなく冷静になっている状態である。
 これは、日常を超えた神秘体験的なものであり、脳が死ぬと判断したときに起こる状態である。つまり、死の状態になるから、恐怖や痛みなどの感覚は不要で、それらを一切遮断する。むしろ、どちらかというと、それらを快感に変えてしまう。
 エンドルフィンという快感物質は、命を失うような危機的な状況で分泌されることが分かっている。例えば、ライオンに襲われて食べられている草食動物は痛みを感じていない。むしろ、気持ちのいい状態になっているともいえる。
 前のブログで書いた自然死の場合に、脳内物質が分泌され痛みがないこととも関係している。痛みや恐怖という点では、死は怖くない。

 もう少し突っ込んで考えるべきことは、この危機的状況に恐怖が消え、まわりがスローモーションになる、この精神状態である。
 これを、仮に変性意識の一種だとすれば、これを意識的に行える人がいる。瞑想の達人などだ。
 また、一流のスポーツ選手も、大記録を達成するときに、このような体験をする人がいる。
 死が怖くないのだから、何でもできるという、精神状態である。
 これは、私が今、深く考えていることの一つである。
  



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往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一著

2012年04月03日 08時53分40秒 | 読書・書籍

 「往生したけりゃ医療とかかわるな」を読了。

 この本は、長い間、アマゾンのランキングで上位の話題の本だ。
 前からうすうす感じていたことを、明確に言ってくれたような本だった。面白く勉強になった。
 ポイントは2つ。
 できるだけ医者にかからず、自然治癒力に任せること、
 自然死のすすめ、
 である。

 一つ目の自然治癒力に任せることについては、完全に同意。そして、実践している。
 病気は自然治癒力以外で直すことはできない。医療はその手助けをしているに過ぎない。
 もう一度言う。薬で病気は治らない。直すのは自分の自然治癒力である。だから、一番いいのは自分の自然治癒力をあげていくことである。

 もう一つの自然死については、目からうろこだった。
 ここの部分は、これからの高齢化社会に向けての過激で刺激的な提案である。ただ、言っていることは特別なことではなく、医療の発達していなかった昔に戻れ、ということなのだろう。
 
 自然死の原因は、食べられなくなることによる「餓死」である。餓死というと、辛い感じがするが、実はそうではない。
 飢餓→脳内にモルヒネ様物質が分泌される
 脱水→意識レベルが下がる
 酸欠状態→脳内にモルヒネ様物質が分泌される
 炭酸ガス貯留→麻酔作用あり
 このように、自然死の場合、身体が苦しみを取り除くように働くため、苦しみはない。
 苦しみは、延命治療することによって起こる。
 これに関連して、最も注目されている発言は、「死ぬのはがんに限る」というものであろう。がんで死ぬのは苦しくないというのである。
 確かに、初期の場合は治療をしたほうがいいのだろうが、末期になったら、自然死に任せるというのは、一つの方法だと思う。
 今、実際にがんにかかっていたり、身内を介護している人たちのように、身近に死と関わっている人、また、死について漠然とした不安を感じている人は、この本を読んでみるたらどうだろうか。死についての考え方が、微妙に変わってくる。
 

 

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