「フードインク」の前にオーストリアでできた映画で、ありあまる食べ物を捨てている一方で、餓死寸前の生活を余儀なくされている人びとがいる現実を紹介している作品です。
のっけから衝撃的な映像がうつされます。大量のパンが運び込まれたごみ処理場。場所はオーストリアのウィーンで、次々に捨てられるパンは、全粒粉やライ麦入りのまだまだおいしそうな黒パンです。製造して2日めのパンだそうで、カビなど入っていなくて十分食べられそうなのに、なぜか捨てられています。ウィーンはオーストリア第一の大きな都市。ここで捨てられる1年間のパンの量は、第二の都市グラーツ市民の1日のパン消費量に匹敵するのだそうです。うーん、なんということだ!
黒パンはパンの中でもとりわけ私が好きなパン。食べるとクシュッとつぶれるような白いつまらないパンなら、もったいないなと思う程度ですんだかもしれませんが、大好きな黒パンが大量にごみとして捨てられている光景に、涙が出そうになりました。
フランスの漁場の場面では、小型漁船で獲った新鮮な魚が死後硬直で固くなっているところを写しています。身がしまっていておいしいそう。ところが、大型漁船の進出のせいで漁業もどんどん工業化されはじめ、この小型漁船の操業が年々できにくくなりつつあるというのです。大型漁船の漁法は、大きな網で深海にすんでいる魚も何もかも一挙に獲るというやり方です。しかも、長時間網の中に入れっぱなしにしているため、新鮮さが失われ、身は柔らかくなるばかり。見るからにまずそうです。それに乱獲のため、資源の枯渇につながるといいます。
ブラジルのアマゾンでは、原生林を切り開いた土地が広大な大豆畑に変わっています。ここで作られた大豆は、ヨーロッパの家畜に食べさせる飼料にしているのだといいます。大豆はもともと北の地方のもの。それを暑いアマゾンで育てるのだから無理があります。だから遺伝子組み換えした種を蒔き、大量の化学肥料を使って土地改良し、大量の農薬を投与して育てているのです。
そのアマゾンで、たぶん森を追われた原住民一家が、餓死寸前の日々を送っていました。彼らは、水溜りにたまった汚い水を唯一の飲料水としています。上澄みをすくってそのまま赤ちゃんにも飲ませていました。病気になるかもしれないという知識がないわけではなく、ほかに飲むものが手に入らないからそうせざるを得ないのです。彼らがなぜあのような生活をさせられているのか、映画ではよくわかりませんでしたが、アマゾンの土地の所有権は原住民にはないからなのでしょう。ではだれのものなのか? 映画のナレーターは、大豆の生産をしている大会社の社長は、その地方の県か州の知事だと、さりげなく語っていました。
映画の中で何度か登場する食糧問題の専門家は、こう言っていました。「今の発達した世界経済なら、全人口120億を食べさせることは可能だ」 人口が多過ぎて食糧が不足しているという認識は嘘だと、彼は言うのです。ありあまっているところから足りないところにうまく食糧が回れば、餓死はなくなる、ということなのですが、この映画を見たあとでは、確かにうなづける話でした。
でも、その回し方には触れず、映画は最後まで希望的観測を与えることなく終わっています。あくまで現実を見せてくれているのでしょう。「フードインク」と両方見ると、ちょっと救われる道がありそうな気になります。
のっけから衝撃的な映像がうつされます。大量のパンが運び込まれたごみ処理場。場所はオーストリアのウィーンで、次々に捨てられるパンは、全粒粉やライ麦入りのまだまだおいしそうな黒パンです。製造して2日めのパンだそうで、カビなど入っていなくて十分食べられそうなのに、なぜか捨てられています。ウィーンはオーストリア第一の大きな都市。ここで捨てられる1年間のパンの量は、第二の都市グラーツ市民の1日のパン消費量に匹敵するのだそうです。うーん、なんということだ!
黒パンはパンの中でもとりわけ私が好きなパン。食べるとクシュッとつぶれるような白いつまらないパンなら、もったいないなと思う程度ですんだかもしれませんが、大好きな黒パンが大量にごみとして捨てられている光景に、涙が出そうになりました。
フランスの漁場の場面では、小型漁船で獲った新鮮な魚が死後硬直で固くなっているところを写しています。身がしまっていておいしいそう。ところが、大型漁船の進出のせいで漁業もどんどん工業化されはじめ、この小型漁船の操業が年々できにくくなりつつあるというのです。大型漁船の漁法は、大きな網で深海にすんでいる魚も何もかも一挙に獲るというやり方です。しかも、長時間網の中に入れっぱなしにしているため、新鮮さが失われ、身は柔らかくなるばかり。見るからにまずそうです。それに乱獲のため、資源の枯渇につながるといいます。
ブラジルのアマゾンでは、原生林を切り開いた土地が広大な大豆畑に変わっています。ここで作られた大豆は、ヨーロッパの家畜に食べさせる飼料にしているのだといいます。大豆はもともと北の地方のもの。それを暑いアマゾンで育てるのだから無理があります。だから遺伝子組み換えした種を蒔き、大量の化学肥料を使って土地改良し、大量の農薬を投与して育てているのです。
そのアマゾンで、たぶん森を追われた原住民一家が、餓死寸前の日々を送っていました。彼らは、水溜りにたまった汚い水を唯一の飲料水としています。上澄みをすくってそのまま赤ちゃんにも飲ませていました。病気になるかもしれないという知識がないわけではなく、ほかに飲むものが手に入らないからそうせざるを得ないのです。彼らがなぜあのような生活をさせられているのか、映画ではよくわかりませんでしたが、アマゾンの土地の所有権は原住民にはないからなのでしょう。ではだれのものなのか? 映画のナレーターは、大豆の生産をしている大会社の社長は、その地方の県か州の知事だと、さりげなく語っていました。
映画の中で何度か登場する食糧問題の専門家は、こう言っていました。「今の発達した世界経済なら、全人口120億を食べさせることは可能だ」 人口が多過ぎて食糧が不足しているという認識は嘘だと、彼は言うのです。ありあまっているところから足りないところにうまく食糧が回れば、餓死はなくなる、ということなのですが、この映画を見たあとでは、確かにうなづける話でした。
でも、その回し方には触れず、映画は最後まで希望的観測を与えることなく終わっています。あくまで現実を見せてくれているのでしょう。「フードインク」と両方見ると、ちょっと救われる道がありそうな気になります。