前から気になっていた映画「人生フルーツ」。きのうのお昼に東海テレビで放映。やっとみられました。この映画、なんと観客動員数が20万人を越えたそう。こういう地味なドキュメンタリーはたいがい1万人が関の山なのだそう。20万人もの人々が、安くはない入場券を買ってみたとは、驚くべきことなのだそうです。
津端夫妻のことは、だいぶ前に雑誌で知りました。畑にいっぱいたてたカラフルな立て札がかっこよくて、いつかちゃんと畑ができたら、真似したいと思っていました。
夫君の津端修一氏は建築家。50年前、名古屋市郊外の高蔵寺にニュータウン建設の計画がたった時に、住宅公団の職員として基本計画を任された人でした。彼が立てた計画は、当時としては斬新(いまでも、かな?)。山をすべて切り開くのではなく、山の木々を一部そのまま残して家を建てる、というものでした。
しかし,1軒でも多く家を作りたいと考えている公団にとっては、彼の計画は無駄の多いものと判断されたのでしょう。結局山はほとんど切り崩され、何棟もの高層マンションとたくさんの住宅が建てられました。
一家はぽつんと取り残された小さな山を背にした土地、300坪を購入。そこから彼らの小さな里山づくりが始まります。30畳一部屋の平屋の住宅の周りには、実のなる木々~クリ、サクランボ、イチジク、カキ、柚子など~を植え、竹林までつくります。菜園の肥料は広葉樹の落ち葉と生ごみたい肥。次第に土は肥え、小さな菜園に豊かな実りをもたらします。
彼らは、当時はげ山だった裏の小さな山に、どんぐりの苗木を植える活動もはじめます。その若木が今は大木に成長し、彼らの畑の肥やしとなっています。
映画では、「こつこつとゆっくり」がモットーの彼らの生活が、春夏秋冬の庭の様子とともに淡々と描かれています。でも、映画後半で二つの大きな出来事が起きます。ひとつは90歳になる夫君の死。
もうひとつ、こちらは製作スタッフも予想していなかったこととおもうのですが、彼の死の数か月前に届いた、彼への仕事の依頼。それは、彼が現職のおりに果たせなかった自然と共生する家づくりでした。彼は一気にその仕事をこなし、その数か月後、草むしりした後の昼寝から目覚めず、逝きました。
このあたりで落涙。彼は本当にしたかった仕事に、最後に出会えたのだなとつくづくおもいました。まさに何度も繰り返されるこの映画のナレーション通り、彼のこころざしは実を結びました。
最近よく思うのは、死ぬ間際の床の中で何を思うか、ということです。大金持ちだろうが、超有名人だろうが、死ぬときに思うことはそれぞれのはず。満足して死に臨めるかどうか、気になるところです。なんとか、「したいことはみんなやったな」とおもって、死の床につくこと。これが今からの課題です。その思いを新たにした、年初の映画鑑賞でした。
津端夫妻のことは、だいぶ前に雑誌で知りました。畑にいっぱいたてたカラフルな立て札がかっこよくて、いつかちゃんと畑ができたら、真似したいと思っていました。
夫君の津端修一氏は建築家。50年前、名古屋市郊外の高蔵寺にニュータウン建設の計画がたった時に、住宅公団の職員として基本計画を任された人でした。彼が立てた計画は、当時としては斬新(いまでも、かな?)。山をすべて切り開くのではなく、山の木々を一部そのまま残して家を建てる、というものでした。
しかし,1軒でも多く家を作りたいと考えている公団にとっては、彼の計画は無駄の多いものと判断されたのでしょう。結局山はほとんど切り崩され、何棟もの高層マンションとたくさんの住宅が建てられました。
一家はぽつんと取り残された小さな山を背にした土地、300坪を購入。そこから彼らの小さな里山づくりが始まります。30畳一部屋の平屋の住宅の周りには、実のなる木々~クリ、サクランボ、イチジク、カキ、柚子など~を植え、竹林までつくります。菜園の肥料は広葉樹の落ち葉と生ごみたい肥。次第に土は肥え、小さな菜園に豊かな実りをもたらします。
彼らは、当時はげ山だった裏の小さな山に、どんぐりの苗木を植える活動もはじめます。その若木が今は大木に成長し、彼らの畑の肥やしとなっています。
映画では、「こつこつとゆっくり」がモットーの彼らの生活が、春夏秋冬の庭の様子とともに淡々と描かれています。でも、映画後半で二つの大きな出来事が起きます。ひとつは90歳になる夫君の死。
もうひとつ、こちらは製作スタッフも予想していなかったこととおもうのですが、彼の死の数か月前に届いた、彼への仕事の依頼。それは、彼が現職のおりに果たせなかった自然と共生する家づくりでした。彼は一気にその仕事をこなし、その数か月後、草むしりした後の昼寝から目覚めず、逝きました。
このあたりで落涙。彼は本当にしたかった仕事に、最後に出会えたのだなとつくづくおもいました。まさに何度も繰り返されるこの映画のナレーション通り、彼のこころざしは実を結びました。
最近よく思うのは、死ぬ間際の床の中で何を思うか、ということです。大金持ちだろうが、超有名人だろうが、死ぬときに思うことはそれぞれのはず。満足して死に臨めるかどうか、気になるところです。なんとか、「したいことはみんなやったな」とおもって、死の床につくこと。これが今からの課題です。その思いを新たにした、年初の映画鑑賞でした。