アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

稲武産ホップの誕生

2021-08-16 13:41:44 | 稲武のモノ・コト・ヒト・バ

   ビールの発酵に欠かせないホップの栽培が、稲武大野瀬町で始まりました。

   近年、日本の地ビール醸造が盛んになり、ビール好きの私としてはうれしいこと。特徴はいろいろですが、ほぼ味わい深いクラフトビールが作られています。でも、大事なホップはおおかたが輸入なのだとか。北海道で作られるホップはまだごくわずか。そのホップが、ここ稲武で栽培されるというのは、思ってもみなかった朗報です。

    7月の終わりころ、豊田の週刊紙「矢作新報」の地域記者でもある友人・奥田清美さんの取材に同行して、栽培を手掛けている大野瀬町大桑集落の大山泰介さんと真記子さんご夫婦をおたずねしました。 

   愛知県内でホップ栽培ができないだろうかと、場所と生産者を探していたのは、名古屋のワイマーケットブルーイング。クラフトビールの醸造所と店舗を持つ会社です。

   ホップは暖かい場所でもできますが、暖かすぎるとはやいうちに花が咲き、実?ができてすぐに枯れてしまうのだとか。寒冷地だとその進度が緩やか。そこで愛知県で標高の高い土地のひとつ、稲武に白羽の矢が立ちました。そして、2,30年前にキュウリ栽培をはじめるために建てた温室のある、大野瀬町の大桑地区がその場所として選ばれました。温室の立派な骨組みを使って栽培をすれば、新しく蔓を誘引するための大掛かりな設備などを作る必要がなかろうと思われたからです。

   このプロジェクトを引き受けたのは、農事法人大野瀬温。これまでサツマイモを作って焼酎にしたり、トウモロコシを育てて、摘み取りのワークショップを開いたりといった実践を重ねてきたところです。ちなみに私が焼き菓子に使っている名古屋コーチンの平飼い卵も、この農事法人のメンバーから購入しています。耕作放棄地の利用を目的にしている大野瀬温のコンセプトともぴったり重なり、この春から動き出すことになりました。

   以前からホップ栽培に興味を持っていた大山真記子さんは、当初から話し合いに参加し、契約農家として名乗りをあげました。

   苗は二種類。植え付けたのは今年の4月です。

   苗は、「ゴボウの切れ端みたいなただの棒だった」と泰介さん。それを土に差します。今年はとりあえず合計100株植えました。生育は順調だったそうですが、心配なのはアズキノメイガという小さな虫とベト病。それに、カナムグラとの交配。

    写真下方左から右に這っているのがカナムグラ。ものすごく繁殖力が強く、畑の困りものなのですが、秋口にできる実のようなものが、ホップそっくり。元は同じ種なので、交配しやすいとのことです。

   ホップは、蔓が5mものびる植物なので、キュウリの温室ではいささか高さが足りません。そこで横にわたしたロープに取り付けた滑車でホップを斜めにずらしながら育てて、十分の高さに生育するよう誘引します。

   「一日で結構伸びるので、毎日様子を観察してはひきあげてやります」

    見事にできたホップ。

    「実」と書きましたが、じつは実ではなくて、毬花というもの。この中に含まれているルプリンという黄色いものが、発酵を促進させるもとになるのだそうです。

   「この毬花を砕いてビールの中に入れて飲むと、フレッシュな苦みがでてきて、おいしい」と真記子さん。

 

    「毎日毎日大きくなるので、かわいい」といとおしそうです。

     来年は、このホップを私も、また育ててみたくなりました。10年以上前に育てたときは毬花のついた枝を切り取って、リースにして愛でていました。今度は、パン用の酵母を醸してみたいとおもいます。

    ところで、大山さん一家は、昨年春、過疎地稲武の中でもさらに奥まったところにあって、限界集落となっている大桑地区の古民家に移住しました。移住後も古民家の改修をつづけ、心地よい住処に変えつつあります。

    家の隣にある畑では無農薬で野菜を栽培。今年は日本在来種のトウモロコシも育てました。もっちりした食感のそのトウモロコシは、わたしが子供のころ好きだった穀物の味のするとうもころしでした。

    近所のおばあさんたちが教えてくれる保存食づくりにいそしんだり、豊富にある草木を使って、お子さんたちと染めを楽しんだりもしています。移住後間もないのに、次々に面白そうなことを見つけて実践している彼ら。新しい仕事が、「耕作放棄地の解消につながり、人々がこの僻地を訪れるきっかけになるのがうれしい」と目を細めます。

   収穫はもうじき。稲武でできたホップで醸造した地ビール、飲める日が来るのが待ち遠しい。

          彼女たちのホップ栽培、詳しくは、真記子さんがつづる「ワイマーケットの稲武ホップファームだより | 愛知県豊田市稲武で作るワイマーケットのホップ農園から情報を発信 (craftbeer.nagoya)」をご覧ください。

 

 

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テレビ「酒と涙と女たちの歌~塙山キャバレー物語」を見ました。

2021-08-16 00:05:33 | 映画とドラマと本と絵画

   たまたま、途中から見はじめたテレビ番組が面白くて、最後まで見ました。さきほど、BSフジで放映していた「塙山キャバレー物語」。茨木県日立市にある飲み屋街の話です。5月と6月に放送された番組の再放送らしい。

   飲み屋街と言っても一軒一軒は、ちゃんとした家ではないそうで、地面にポンと箱が載っているだけなのだとか。基礎の土台のない家。だからこちらは「屋台」として営業許可の下りている店なのだそうです。店は狭くてカウンターだけ。そういう店が10数軒並んでいます。それが塙山キャバレー。まわりは、高いビルやマンションが林立していて、そこだけ終戦直後の闇市のよう。

   店のママたちの歩んできた人生は、現代のものとは思えないほどすさまじい。キャバレーのリーダー格の女性は、17歳の時、目が覚めたら置屋にいて、母親から売られていたと知り、脱走したという経歴を持つ人。20代でこの街に流れてきて、店をはじめました。年齢は私と変わらないみたいなのですが、まるで戦前の話のよう。人身売買が行われていたということは、貧乏のせいで、闇社会とつながってしまったということなのでしょうか。

   闇社会と言えば、その筋の人が出入りしたことがあり、いま最長老のママ(82歳)が彼(ら?)と勇敢に対峙して追い払ったということもあったとか(この部分はネットで知った)。このママはほかの年下のママたちから慕われている、いわばママのママ。彼女の所にやってきた別の店のママが、酔っぱらって彼女に甘えるシーンもすごかった。

   パンデミックのため、当然彼女たちの店も自粛を余儀なくされ、きびしい状態が続いています。その月の家賃も払えない店もあり、「来月年金が入ったら払う」といって、家主を帰すシーンもありました。

   常連のおじさんたちも、それぞれの理由があって、このキャバレーに通ってきます。ひとりの老人男性は、数年前までこの街でラーメン店を営んでいましたが、自店の失火で自分の店と周囲の店数軒を焼失させてしまいました。その後、彼は死のうするのですが、死にきれずにいたところを、この街のママに救われます。いまは、周囲の草むしりをし続けてすごし、夜になると店に来て酒を飲むのが唯一の楽しみ。酒を飲むというより、ママやほかの客と一緒にいるのが唯一の慰めになるようです。

   5か月にわたる取材で完成したというこのドキュメンタリー。収録中に、すごいハプニングがあります。ある一人のママが10数年前に捨てた娘さんが訪ねてくるのです。彼女は母に対する愛憎をかかえたまま、他の客の前で母とやりあい、二度と会わないと言って店を出ていきます。ママは、娘の「なぜ、私たちを捨てて出て行ったのか」という問いに、最後まで答えません。

   そして数か月後、取材スタッフの所に娘さんから連絡があります。彼女は、あらためて母との和解を試みることを決意したのです。

   この街の空き店舗に、新しく若いママがやってきます。水商売は初めてにみえるその女性が、自分でペンキを塗って店をきれいにし、開店します。そこに他の店のママたちがお祝いに訪れます。彼女たちはほんとにうれしそう。「だって若い人がいるっているだけでうれしいじゃない」娘のような年の若いママの誕生をこころから祝っていました。手ごわい競争相手ができたという雰囲気はまるでなし。人情があるというのは、こういうことなんだな、とおもったことでした。

   ママたちも客たちも、みんなのっぴきならない状況で生きていることがひしひしと伝わる映像でした。

   

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