団塊の世代の作家、丸山健二のエッセイです。いなか暮らし40年の大先輩。友人に借りて読んだのですが、共感するところが多々ありました。
彼が本書を通じていわんとしているのは、「甘い夢を見て、のこのこ田舎にやってくるな。第二の人生をのほんと田舎で過ごせるとおもったら、大間違いだ」ということです。発行は2011年。最近ですが、彼が読者対象にしているのは、退職後の人生を田舎でのんびり過ごしたいと考えている同世代の年金生活者たち。ちょっとページをめくっただけで、こんな言葉がわんさと目に飛び込んできます。
「穫れ過ぎて困っている野菜や果物をどっさり持って訪れたかれらに、あなたは大いに感激することでしょう。これぞ、自分が求めていた、思いやりに満ちた人と人との交流ではないかと受け止め、田舎への移住が間違いでなかったことに自信を深めるでしょう(中略)都会生活においては絶対にありえない、親密で濃厚で積極的な触れ合いという初めての体験に新鮮な喜びを味わうことになるでしょう」
「当初の感激もたちまち色あせてゆき、自分の家と他人の家の区別をあまり鮮明にしない、プライバシーなんぞくそ食らえの、相手の都合などおかまいなしに、自分の好きなときに訪ねてきて、声をかけると同時にずかずかと部屋へ上がり込んでくるような、そんなべたべたした交際に疲れを覚え、生い立ちやら、職歴やら、家族構成やら、親戚関係やら、持病の有無やら、果ては預金残高といった、ありとあらゆる立ち入ったことまでを知りたがる赤の他人にうんざりし(後略)」
「田舎においてプライバシーをきちんと弁えた適度な突き合いを期待するのは笑止千万なことです。なぜなら、地元住民はその集落全体をひとつの家とみなしており、ひとつの家族としてまとまり、より親密な関係を築くことによって厳しい人生を何世代にもわたって乗り切ってきたのですから」
「田舎における異常な結束力というのは、貧困を乗り切るための必然的な知恵だったのです。このことは何も田舎に限ったことではなく、都会における下町などにおいても、寸分変わらない近所づきあいを見ることができます」
「大学へ進学し、あるいは都会で就職した若者達の多くがあっさりとふるさとを見捨ててしまうのはなぜでしょうか。(中略)かれらは、暗くて湿った、息の詰まるような、四六時中、一年中監視しあっているような、田舎の重苦しく狭苦しい雰囲気に背を向けたのです」
「さんざん甘やかされたあげくに棄てられてしまい、自力での復活など及びもつかないような悲惨な状況にじわじわと追い詰められてゆく地元住民は何事に対しても無気力で、(中略)いかなる理不尽な仕打ちに対しても行動を起こそうとしません。というより先祖代々お上に闇雲に従う以外の生き方を選択したことがなく、ために、あたかもその遺伝子のなかに隷従の根性が組み込まれてしまっているかのようなのです」
「それでもあなたが、善は善、悪は悪という真っ当な信念を貫き通すためにたった独りの奮戦をつづけているならば、住民の全員がこぞってあなたの敵に回ることでしょう。(中略)やがて蛇を投げ込まれるとか、近所で枯草を燃やされるとか、水道管を切断されるとか、農薬を混ぜた餌を犬の散歩道に置かれるとか(後略)」
かなり過激な表現で、安直なノスタルジックな気分で田舎に移住したら、取り返しのつかないことになる、と警鐘を鳴らしています。「大げさな言い方で不快だ」とおもう方も多いことでしょう。でも、そう思うか思わないかは、それぞれの読者の生き方と深くかかわっていそう。
さて私は、田舎に引っ越して、今年で12年目になります。この間、いいことばかりがあったわけではなく、かなり苦しい日々も経験してきました。こうした自分の体験や、わたし同様田舎暮らしをしたくて移住してきた人、あるいはもとから田舎にすんでいる人から聞いた話などに照らし合わせて、この作家の表現が、誇張だとはけっしていえないと感じています。
もちろん、作家も書いていることですが、田舎は土地柄によっておおきく異なります。住む場所を選定するに当たっては、なによりもまず土地柄を第一にすべき。その土地柄の選択が間違った人とそうでない人とでは、田舎の印象がまるで異なることも、付け加えておきます。
ただし、「いくら土地柄がよくても、あなたの近所に厄介な人物がひとりでも住んでいたら」すべて台無しなのですが。
田舎暮らしを望んでいる人、すでに始めたけれど、どうも当初の思惑と違う気がすると感じている方にはぜひ一読してほしい書物です。
彼が本書を通じていわんとしているのは、「甘い夢を見て、のこのこ田舎にやってくるな。第二の人生をのほんと田舎で過ごせるとおもったら、大間違いだ」ということです。発行は2011年。最近ですが、彼が読者対象にしているのは、退職後の人生を田舎でのんびり過ごしたいと考えている同世代の年金生活者たち。ちょっとページをめくっただけで、こんな言葉がわんさと目に飛び込んできます。
「穫れ過ぎて困っている野菜や果物をどっさり持って訪れたかれらに、あなたは大いに感激することでしょう。これぞ、自分が求めていた、思いやりに満ちた人と人との交流ではないかと受け止め、田舎への移住が間違いでなかったことに自信を深めるでしょう(中略)都会生活においては絶対にありえない、親密で濃厚で積極的な触れ合いという初めての体験に新鮮な喜びを味わうことになるでしょう」
「当初の感激もたちまち色あせてゆき、自分の家と他人の家の区別をあまり鮮明にしない、プライバシーなんぞくそ食らえの、相手の都合などおかまいなしに、自分の好きなときに訪ねてきて、声をかけると同時にずかずかと部屋へ上がり込んでくるような、そんなべたべたした交際に疲れを覚え、生い立ちやら、職歴やら、家族構成やら、親戚関係やら、持病の有無やら、果ては預金残高といった、ありとあらゆる立ち入ったことまでを知りたがる赤の他人にうんざりし(後略)」
「田舎においてプライバシーをきちんと弁えた適度な突き合いを期待するのは笑止千万なことです。なぜなら、地元住民はその集落全体をひとつの家とみなしており、ひとつの家族としてまとまり、より親密な関係を築くことによって厳しい人生を何世代にもわたって乗り切ってきたのですから」
「田舎における異常な結束力というのは、貧困を乗り切るための必然的な知恵だったのです。このことは何も田舎に限ったことではなく、都会における下町などにおいても、寸分変わらない近所づきあいを見ることができます」
「大学へ進学し、あるいは都会で就職した若者達の多くがあっさりとふるさとを見捨ててしまうのはなぜでしょうか。(中略)かれらは、暗くて湿った、息の詰まるような、四六時中、一年中監視しあっているような、田舎の重苦しく狭苦しい雰囲気に背を向けたのです」
「さんざん甘やかされたあげくに棄てられてしまい、自力での復活など及びもつかないような悲惨な状況にじわじわと追い詰められてゆく地元住民は何事に対しても無気力で、(中略)いかなる理不尽な仕打ちに対しても行動を起こそうとしません。というより先祖代々お上に闇雲に従う以外の生き方を選択したことがなく、ために、あたかもその遺伝子のなかに隷従の根性が組み込まれてしまっているかのようなのです」
「それでもあなたが、善は善、悪は悪という真っ当な信念を貫き通すためにたった独りの奮戦をつづけているならば、住民の全員がこぞってあなたの敵に回ることでしょう。(中略)やがて蛇を投げ込まれるとか、近所で枯草を燃やされるとか、水道管を切断されるとか、農薬を混ぜた餌を犬の散歩道に置かれるとか(後略)」
かなり過激な表現で、安直なノスタルジックな気分で田舎に移住したら、取り返しのつかないことになる、と警鐘を鳴らしています。「大げさな言い方で不快だ」とおもう方も多いことでしょう。でも、そう思うか思わないかは、それぞれの読者の生き方と深くかかわっていそう。
さて私は、田舎に引っ越して、今年で12年目になります。この間、いいことばかりがあったわけではなく、かなり苦しい日々も経験してきました。こうした自分の体験や、わたし同様田舎暮らしをしたくて移住してきた人、あるいはもとから田舎にすんでいる人から聞いた話などに照らし合わせて、この作家の表現が、誇張だとはけっしていえないと感じています。
もちろん、作家も書いていることですが、田舎は土地柄によっておおきく異なります。住む場所を選定するに当たっては、なによりもまず土地柄を第一にすべき。その土地柄の選択が間違った人とそうでない人とでは、田舎の印象がまるで異なることも、付け加えておきます。
ただし、「いくら土地柄がよくても、あなたの近所に厄介な人物がひとりでも住んでいたら」すべて台無しなのですが。
田舎暮らしを望んでいる人、すでに始めたけれど、どうも当初の思惑と違う気がすると感じている方にはぜひ一読してほしい書物です。
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