本書「跳べない蛙」の著者金柱聖は、在日韓国人。中学生の時、祖父母とともに北朝鮮に帰国して30数年を北朝鮮で過ごし、その後脱北して韓国にわたり、2018年に本書を刊行しました。
彼は大学卒業後、大学の教員になったが、辞職後、「作家」になります。
「(北朝鮮の)‘三代にわたる世襲を可能にしたものは何か。それは、かの国が重要視する``宣伝扇動``効果に他ならない。それによって独裁者は‘‘神様‘‘と崇め奉られ、悪行も善行と思わせる。そして、その宣伝扇動効果を高めるもっとも有効な手段こそ、‘‘文学芸術‘‘なのである」
「北朝鮮では群衆を``扇動する‘‘手段として、文学芸術作品が利用されている。そして、宣伝扇動のために作品を創作するのが、‘北国の作家‘‘たちだ」
「三権分立」は名ばかりで、朝鮮労働党委員長の金正恩のもとにすべての国の組織があり、朝鮮労働党もその支配下にあるのですが、その労働党の中にある「宣伝扇動部」に、新聞も放送局も文学芸術の組織(朝鮮文学芸術総同盟)も組み込まれています。
「作家」は、この総同盟の一員としての正式な同盟員である「現役作家(本業作家)」と、候補同盟員である「現職作家(兼業作家)」、さらにその下の、「群衆文学通信員(アマチュア作家)」に分かれて、活動します。筆者の、作家としての最終的なポジションは、「現職作家」でした。
執筆するジャンルはいくつかに分かれ、変更も選択も自由なのですが、唯一、金氏一族の物語を創作することは、特別に選ばれた作家だけなのだそうです。
筆者たちは、こうした創作家たちの作品を「おべんちゃら文学」と陰で評しますが、国内では高く評価され、一流作家の名をほしいままにし、裕福な生活が可能になります。
国内ですら移動の自由も居住の自由も認められていない北朝鮮ですが、作家になれば国内を通行手形なしに自由に動き回れて、有給休暇がとれる。ほかにもメリットはいくつもあるということで筆者は現役作家を目指したのですが、種々の理由で、実力は認められても目的の地位を獲得するための受賞は果たせず、結局筆を折ることになります。
それにしても、90年代には政策の失敗のせいで餓死者が300万人以上も出し、冬の暖房や煮炊きのための薪すら手に入らないほど困窮を極めている北朝鮮で、なぜクーデターも暴動も起きないのか。とにかく物凄い監視体制があるせいなのだろうとは思っていましたが、学校教育のみならず、あらゆるジャンルや場面で宣伝扇動工作を怠らないからなのだと、本書を読んで改めて知りました。
「あれは、韓国の「北韓大学院大学」という大学院で修士課程に通っている時だった。韓国人の若い(といっても30代)女性たちに“在日帰国者”について話をしたことがあった。彼女たちが興味があるのは“洗脳教育”だというので、私は冗談半分に「北朝鮮式の宣伝扇動であなたたちを泣かせてみせましょうか?」と言った。
「金さん、それは無理でしょう。私達は北韓問題の専門家なんですよ? もし泣かすことができたら、夕ご飯は私たちが奢(おご)りますよ」
そして先述の奇跡の物語、つまり金日成氏が送った“初の教育援助費と奨学金”ストーリーをより壮大に語った。話し始めて30分ほどが過ぎた時だった。2人の女性がハンカチで目じりを押さえ、しくしくと泣き始めた。残りのひとりに至っては、ほぼ嗚咽に近い鳴き声をあげていた。彼女が一番たかをくくっていた人だった。
「金さん、もうやめてください。金日成さんて、本当に温かくて人間味のあるお父さんのような方だったんですね。私、感激しました」
冗談で話していた私ですら、驚くほどの効果だった。話を聞くまで、彼女は金日成氏を呼び捨てにしていたのに、そこまで簡単に“洗脳”されてくれるとは思わなかった。おかげで私は、高級料理を奢ってもうらことができたのだが――。
人様の感性をくすぐる、そしてその感性を論理化していく過程が、いわゆる“洗脳”ではないだろうか。」
(『跳べない蛙』「第2章 祖国」)」
彼女たちは北朝鮮について一般市民より深く学んでいる人たちなのに、簡単に筆者の語る嘘に騙されました。甘すぎる。ぞっとする話です。
「地上の楽園」と宣伝され、戦後の1960年くらいから始まった北朝鮮への帰還事業。筆者は70年に、朝鮮総連の幹部だった祖父の強い勧めで、祖母とともに同行します。でも、北朝鮮についた直後から、楽園とは程遠い北朝鮮の現実に嫌でもさらされることになります。
筆者が帰還したときより数年前ころ、高校生だった私は、同じ中学校で同年だった在日の青年と知り合いになりました。家が近かったので、訪ねたこともありました。彼の父親は済州島出身で、戦中に強制連行で連れてこられ、岐阜県御嵩町の亜炭鉱で採掘に従事していたとのことです。その後、私のすんでいた町に移住。彼の姉は朝鮮大学校に通っていて、私と別の男友達と彼の三人が、彼女のおごりで会食したこともありました。
その彼が当時つぶやいた言葉。
「寂しい時、つらい時、深夜にひとりで平壌放送を聞いている」
口調はなんとなく自嘲的で、暗かった。その時私が何と返事したかは覚えていません。
その後しばらくして、彼とは音信が途絶え、私は大学入学のため京都に引っ越し、そのままに。何年かたった頃、彼と親しかった男友達に消息を尋ねましたが、一家は町からいなくなり、その男友達も既に彼とは付き合いがなくなっていました。のちに、二度ほど出席した同級会や同年会でも、だれに尋ねても行方は分からなくなっていました。
もしかしたら、彼は帰国したのかもしれない。この本を読んで、私は想像が確信に変わり始めています。
本書によれば、帰還事業で北朝鮮に渡った人の90%は、韓国の出身者だったそうです。つまり、ほんとの「故郷」に帰ったのではなく、北朝鮮や朝鮮総連が「宣伝扇動」した結果、在日の人たちのあこがれの地となった「地上の楽園」である「祖国朝鮮」に渡ったのでした。
書いていて思い出しましたが、彼は「本を書くなら、タイトルが決めてある」というようなことを言っていました。そのタイトル、うろ覚えですが、たしか「悪党」だったような記憶が。頭のよかった彼は、もしかしたら、北朝鮮で、本書の作者のような道を歩んだのかもしれません。
北朝鮮の内実は、近年様々な報道で少しずつ明らかになりつつありますが、本書にはこれまであまり知られていなかったと思われることが、多々描かれています。階層をとっぱらった「社会主義国」のはずの北朝鮮は、あらたな身分制度を作り、世襲制を敷いてるそうです。知れば知るほど、驚くようなことがまかりとおっていて、もしかしたら古今東西こんなひどい国はなかったのではないだろうかとおもうほど。そんな国が生きながらえたのは、米中ソの三つの大国に挟まれて、そのバランスの中にいたからなのでしょう。
ともあれ、北朝鮮には、まだまだ暴露されていない事実はやまとあると思いますが、その一端を覗くことができました。
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