丹沢には学生時代もあまり行っていなかったのですが、それは丹沢が嫌いだったからです。
その理由はシカ柵の多さでした。
丹沢はけっこう昔からシカの増加が問題になっていて、山じゅうをシカ柵で囲われていました。わたしが行っていたのは20年ぐらい前だから、おそらく丹沢のシカ問題の歴史は30年も40年もたっているのでしょう。
なんかもう、そのシカ柵の多さと、山でドアを開けて入ったり、はしごで登って降りたりしてシカ柵をクリアするめんどくささとで、うんざりしてしまったのです。シカ柵を越えるうちに、いったいそこがシカ柵の中なのか外なのかも分からなくなるぐらいなのです(これは今もそうでした)。
で、当然(?)、シカ柵の中にもシカがいて、シカ牧場と揶揄されていました。それから20年。何が起こったかと言うこと、シカは、シカ柵だらけの山腹を避け上へ向かったのです。
それでこれです。
名前が変わりました。植林木を守るシカ柵から「植生保護柵」となりました。効果は同じですが、目的がちがいます。自然植生を守るための柵です。中を見ると一目瞭然。ササを中心とした林床の植物が残っていました(復活?)。
たしかにうっすらとした記憶ですが、20年前よりも山が荒れているような気がします。もともと、丹沢の持つ地形地質と関東大震災の影響で崩れたところが多い山でしたが、今回歩いても、なにか、すさんだ印象を受ける森もありました。
こうなると野生動物の保護の問題とか、あるいは林業の問題ではなく、「治山治水」(これも林業の範疇ですが)の危機という大きな問題になっている感じがしました。
各地でシカが大きな問題になっていますが、先進地である丹沢や日光で得られた教訓はあまり生かされているような気がしません。というか、その丹沢ですら試行錯誤ですから……。自然を管理しようなんて、しょせん学者の戯言ですね。
その理由はシカ柵の多さでした。
丹沢はけっこう昔からシカの増加が問題になっていて、山じゅうをシカ柵で囲われていました。わたしが行っていたのは20年ぐらい前だから、おそらく丹沢のシカ問題の歴史は30年も40年もたっているのでしょう。
なんかもう、そのシカ柵の多さと、山でドアを開けて入ったり、はしごで登って降りたりしてシカ柵をクリアするめんどくささとで、うんざりしてしまったのです。シカ柵を越えるうちに、いったいそこがシカ柵の中なのか外なのかも分からなくなるぐらいなのです(これは今もそうでした)。
で、当然(?)、シカ柵の中にもシカがいて、シカ牧場と揶揄されていました。それから20年。何が起こったかと言うこと、シカは、シカ柵だらけの山腹を避け上へ向かったのです。
それでこれです。
名前が変わりました。植林木を守るシカ柵から「植生保護柵」となりました。効果は同じですが、目的がちがいます。自然植生を守るための柵です。中を見ると一目瞭然。ササを中心とした林床の植物が残っていました(復活?)。
たしかにうっすらとした記憶ですが、20年前よりも山が荒れているような気がします。もともと、丹沢の持つ地形地質と関東大震災の影響で崩れたところが多い山でしたが、今回歩いても、なにか、すさんだ印象を受ける森もありました。
こうなると野生動物の保護の問題とか、あるいは林業の問題ではなく、「治山治水」(これも林業の範疇ですが)の危機という大きな問題になっている感じがしました。
各地でシカが大きな問題になっていますが、先進地である丹沢や日光で得られた教訓はあまり生かされているような気がしません。というか、その丹沢ですら試行錯誤ですから……。自然を管理しようなんて、しょせん学者の戯言ですね。