一本の映画に、忘れかけていた会話を思い出しました。
「はじまりは、全部、たったひとつの詩なんですよ。
その詩を増幅させて、分裂させて、それが短篇になり、長編になるんです。」
「小説だけじゃない。
絵も、音楽も、舞台も、ありとあらゆる芸術のモトは、詩なんです」
何年も前、聞いたときにはまるで掴めなかったそのことばが、今は分かるような気がするのです。
話題の映画、「君の名は。」を、今日も観てきました。
今日も。
そう、2回目です。
1回目もグッときたのに、2回目はもっともっと、グッとくる。
(今日は、オープニングから涙ぐんでました)
稀な映画だと思います。
何度も繰りかえし見る人が多いようで、その理由は幾つもあるのでしょう。
映像の美しさ。
古典的なストーリーと現代的なキャラクターの組み合わせの巧みさ。
ライブ感のある音楽。
もちろんどれも素晴らしいのですが、わたしの場合は、もうひとつあります。
先日はじめて観たときに、冒頭の会話がふと、よみがえりました。
そして、映画のモトとなった「詩」が見えたような気がしました。
原作者でもある新海誠監督は、100分を超えるこの映画で、
この瞬間のイメージを伝えたかったのではないか。
それを確かめたくて、今日また、映画館に足を運んでしまったのです。
物語の前半に出てきた、あるシーン。
――やっぱり、そうだった。
途中から、そう勝手に確信しながら、スクリーンを見つめていました。
昼でも夜でもない黄昏時。
古くは、たそかれ(誰そ彼)どきとも、かはたれ(彼は誰)どきとも呼ばれた時間。
映画の舞台である糸守(いともり)町の方言では、この時間帯を「かたわれどき」という。
たそがれ、かはたれ、カタワレ
この三つが結びついたときに、監督のなかで詩が生まれたのだと思います。
黄昏時に、分かちがたい、自身の「かたわれ」に出会う物語として。
繰りかえされるキーワードは、「かはたれ」(彼は誰?)
つまり、――君の名は。
あ~それにしても。
仮に私の妄想どおり、そのイメージがこの映画の種だとして、
それをいったいどうやってどうやったら、あんなに面白い一本の映画ができあがるんでしょう。
作品は作品として、ただ楽しめばいいのでしょうが、
作り手の頑張りどころというか、その作品が生まれた過程を考えると、なおオモシロイ。
この分では、きっともう一度、見にいくことになりそうです。
「君の名は。」が教えてくれたこと。
それは、私はあのとき、とても大切なことを教えてもらったのだ、ということでした。
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話は変わって、舞台、「真田十勇士」に出演の勘九郎さんのインタビュー記事。
「お客さんに楽しんでもらうためには、こちらも楽しむこと。
でもそれ以上に、作る過程でこちらがどれだけ苦しんだか、だと思います」
とあり、これまたグッときました。
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