今年は例年にまして、たくさんのお客さまにスペインへとお出かけいただきました。
私自身も7月、10名のお客さまとともに、
ピレネー山麓を訪ねるツアーで、バルセロナに計3泊。
朝食前のひととき、皆さんと連れだって、あのランブラス通りを海まで歩きました。
そして、つい先週、これは別のスタッフですが、
個人旅行に同行して、バルセロナ・マドリッド・グラナダから帰国したばかり。
どなたも怪我なく、無事、日常に戻れたことに安堵はしつつ、
でも、報道される死者の数に、どうにもやりきれない、
そして割り切れない思いが残ります。
そんな今朝、また別の訃報にふれて、思わず「えっ」と声が出ました。
新潟県選出の衆議院議員、長島忠美さん。
私自身が人と牛と風景に魅せられて、2年前から通っている新潟の山古志。
今は長岡市に合併された旧山古志村の、最後の村長だった方です。
(山古志の虫亀集落からの眺め。手前に見えるのは錦鯉の養鯉場)
13年前の中越地震。
長島村長は、道路が寸断され、陸の孤島となった山古志村で
ヘリコプターを使って全村避難させるなど、復興の陣頭指揮にあたりました。
その手腕を見込んだ当時の小泉首相から請われ、
翌年には山古志村が長岡市に合併されたこともあって、国政に転じたのだそうです。
「村長の嫁にはなったけれど、国会議員の嫁になった覚えはない」
奥さんはそう言って山古志に残り、虫亀と呼ばれる美しい集落に
代々の屋号である「三太夫」という名の民宿を営んでおられます。
お料理がとてもおいしいそのお宿に、私も一度、泊めていただいたことがありました。
東京での激務の合間にも、しょっちゅう地元に帰ってこられているようで、
闘牛場で、何度も姿をお見かけしました。
山古志の人たちは皆、ついつい「村長」と呼びたくなるらしく、
「村長、あいさつお願いします!」
と来賓のあいさつを請われたときは、
闘牛場でも、そのあとの宴会場でも、大きな体を揺すらせて登場。
すると、いつもふっと、場の空気が変わるのでした。
生きた言葉をお話しになる方で、長島さんのときだけは私もきちんと座りなおし、
語られる一言ひとことに、耳をすましていました。
今年の8月2日、長岡の花火を訪ねたツアーでも、
あわせて訪ねた闘牛場で、元気なお姿を見かけていたばかりでした。
この春、3歳になってデビューしたばかりの二代目三太夫。
その「牛持ち」だった長島さん。
少しはにかみながら、小さな三太夫の綱を引いていた姿が、もう見られないなんて。
まだまだ時間があるのだと思っていました。
こんな突然いらっしゃらなくなるなんて、思ってもいませんでした。
もっとお話を聞いておきたかったと、悔やまれます。
死者●名。
数字(記号)として認識され、また報道されるバルセロナでの犠牲者ひとりひとりにも、
また、日本ではほとんど報道さえされない中東で日々起こるテロの犠牲者にも
ひとりひとりのそれぞれ、そして周りの人びとの無数にも思えるそれぞれがあるのでしょう。
それが突然、断ち切られた、ということなのでしょう。
誰をも、どちらをも記号にしないこと。
紋切型の感想をつぶやいて終わりにしないこと。
ひとつひとつの生に目を凝らすこと。
それが大切だと思うのです。
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(山王も頑張りました)