ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

世界の記憶 朝鮮通信使 その1 室津海駅館「播磨の朝鮮通信使」

2018-03-03 16:45:05 | 日記 博物館・美術館...
2017年10月,朝鮮通信使に関する記録がユネスコの世界の記憶に登録されました。

1月には,
NHKのBS1スペシャル「平和の使節を“世界の記憶”に~朝鮮通信使 登録への道~」
という番組がありました。

対馬の宗氏の肖像画は,
いわゆる「朝鮮出兵」にもかかわるため,
韓国側が拒否したというようなこともありましたが,
歴史の問題がある中でも,日韓共同で世界の記憶に提案,
登録となったことを学びました。

そして,先日,
室津海駅館の特別展「播磨の朝鮮通信使」を見てきました。

図録によれば,
朝鮮通信使は400~500人,
それに案内の対馬藩や応接役の藩役人を入れると1000人以上。
姫路藩は次の藩にバトンタッチするまで,しっかり警備,接待しないといけません。

「享保4年(1719)朝鮮人帰帆御用書留」(第9次通信使)には,
姫路藩の各港から443艘の船,2223人の水夫が動員されていて,
例えば,飾万津からは607人の水夫が動員されていることがわかります。

「朝鮮通信使室津湊御船備図屏風」(宝暦14年(1764)第11次通信使)では,
室津の港にびっしりと船が描かれています。
注目すべきは,
通信使の一行よりも先に,
幕府への献上品である,鷹や馬の船が高砂までも進んでいるということ。
それに,「網干」の文字も見えること!
当時,網干も有名な港だったんですよ~!!
(室津中心のローカルな絵なので網干が載っていた?)
今度こそ本当に注目すべきは,ぎっしりと書かれた文。
応接の内容を書き留めているらしいのです。
結局,室津に来たのはこの第11次までで,
第12次は対馬どまりなのですが,
次に来た時のために,「記録」として書き記していたのだろう,
と海駅館の方から聞きました。

ちなみに,当時の海駅館は1階は馬を,2階は人を泊めていたようです。
海駅館は本来は宿舎ではありません。
廻船問屋です。(「嶋屋」といいました。)
朝鮮通信使一行が来ているときは,商売できなかったのでしょうね?
嶋屋の人はどこで寝泊まりしたのでしょう?

今,たつの市立龍野歴史文化資料館では,
「脇坂安董と朝鮮通信使-易地聘礼 最後の通信使-」をしています。

室津と龍野と2つスタンプを押してもらう押してもらうと粗品がもらえるそうです。

また,行こうっと。






コメント (3)
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兵庫県立歴史博物館 特別企画展「ふろくの楽しみ」

2018-02-05 13:58:52 | 日記 博物館・美術館...
ついつい・・・,付録につられて買った『リンネル』
ついつい・・・,
付録につられて買いそうになった『サライ』&買ってみたい『和楽』

かつては(私が小学生のころ)学研の『かがく』『学習』の付録が好きでした。

子どもが小さいときは,
『たのしいようちえん』の付録を主人が必死で(?)作っていました。


そんな付録たちの企画展です。
(先週金曜日に行ってきました。)

そのなかでも面白かったのは,
昭和初めの『少年倶楽部』
紙でできた組み立て付録です。
アメリカでエンパイア・ステート・ビルができる(1931年竣工)と
すぐ,ふろくに。
「世界一高いエンパイア・ビルディングの大模型」(1932年)
「帝国新議事堂大模型」に至っては
帝国新議事堂(現・国会議事堂)ができた1936年の前年にふろくに。

そんな付録も戦争の影・・・

キリスト教にあこがれていたような雰囲気の少女雑誌でも,
戦争が近づくと・・・。

あれ?
間もなく太平洋戦争なのに,西洋人の少女?
と思いきや
よく見ると,少女が持つのはナチスドイツの旗・・・。

ほぼ現代までの付録がいっぱい展示されています。

双六もたくさんありましたよ。

一昨年には妖怪の双六,
また,先日からの地獄極楽双六,
大正時代の家庭の双六など,
歴博の「歴史工房」に展示されていましたが,
好きなんですね,双六。

そう思って,歴博のボランティア大先輩Mさんに話をすると,
「もともとは博打。」と。

そうですね。
そういえば,白河上皇の「天下三不如意」の一つが双六。

江戸時代以降の双六とは形も違いますが,
「双六」は博打でした。

そのMさん,
体調の関係で,3月でボランティアを辞められると聞きました。
私がボランティアをするきっかけを作ってくださった方です。

仕方がないとはいえ,
寂しくなります。







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姫路市書写の里・美術工芸館:「アートになった猫たち展」

2018-01-19 14:08:55 | 日記 博物館・美術館...
読書メーターより

姫路市書写の里・美術工芸館で「アートになった猫たち展」に行きました。
この本はその図録として売られていました。
展示も見て,本を見たのでとても分かりやすかったです。
竹久夢二や藤田嗣治,夏目漱石関連もいいけれど,
やっぱり私は歌川国芳やその弟子たちの絵がいいですね。
化け猫,擬人化,パロディ猫,双六やあそび絵最高です!
でも,今回一番気に入ったのは,作者不詳「当世三筋のたのしみ」です。
慶応4年(明治元年)のもので,何と戊辰戦争の風刺画です。
2016年に明石で見た「江戸の遊び絵づくし」の図録と並べて見たいです。


初めて
姫路市書写の里・美術工芸館に行きました。
たった300円で(特別展でも)
200点もの展示を見ることができて,
感激です!
1000円分ぐらいの値打ちは十分ありますよ。

特別展以外でも,
清水公照(しみずこうしょう)氏の
小さな粘土や陶器の仏さまも感動しました。
清水公照さんは姫路市出身の方で,東大寺の別当だった方です。

以前,2016-11-13「こころの祭り:その2 聖安寺」で,
「元東大寺の清水公照氏の書もありました。
 私でも名前を知っている人ですが,何でここに?と思ったら,姫路市(現在)出身の方なのですね。」
と書いた人です。
なんとなく覚えていました。


まわりでインフルエンザが流行ってきました。
私や家族が風邪ひいたり,インフルエンザにならないうちに・・・
「え~い!忙しいなんて言っていたら,どこにも行けなくなるぞ!」と
行ってきました。
インフルエンザにかかりませんように。

でも,いい半日でした。
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寿老人と福禄寿

2018-01-15 11:35:25 | 日記 博物館・美術館...
今,兵庫県立歴史博物館の歴史工房のコーナーでは,
前に書いた「じごくへようこそ」のほかにも,
江戸時代の絵画が専門の,本年度から歴博で学芸員をしている若い先生が担当の展示もあります。

今回の展示は「寿老人」

先週金曜日にその学芸員の先生にお会いした時,
寿老人と福禄寿の違いを尋ねました。

先生がくださったプリントから

板橋区立美術館『御長寿美術展』図録 平成16年

4.七福神の星(スター) 寿老人と福禄寿
「商売繁盛も開運出世も,命なくては無駄というもの。
 長生きを約束する寿老人と福禄寿は,
 現世利益を求める七福神信仰でも,不可欠な存在です。」
とはじまり,
要約すると,

寿老人は,中国の道教において信仰されていました。
一方,福禄寿という名の神様は存在しません。
長い頭の寿老人が描かれると,
それが,福禄寿なる人物と勘違いされ,そのまま七福神にも組み込まれたそうです。

福禄寿とは,
福人,寿人(寿老人),禄人の三人を合わせた,めでたい三人の称なのです。
ただ,福人が蝙蝠(こうもり「ふく」が同音),
禄人は鹿(「ろく」が同音)に象徴され,
寿老人だけが人間の姿で描かれることもあり,
日本人の間では誤解が生じてしまったそうです。
福禄寿という名で勘違いされた頭の長い人物は,
描き方が異なりだけで,実は寿老人・・・!。

二つの姿の寿老人は,はじめ禅宗の中で描かれ,
以来,長寿祝いや誕生日の記念など,
祝い事全般でおびただしい数が注文され,制作されました。

親しみやすいこの神様は,
「江戸時代以降では,長い頭がパロディ化されるなど,
 茶化されて描かれることも少なくありませんでした。」


学芸員の先生にお話を聞いた後,
以前,調べた福禄寿と水頭症の関係についても尋ねてみました。



以前調べたことは,

2016-08-24のブログ
国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」から
の一部のあります。

私が「源頼光公館土蜘作妖怪図」をみて,
「水頭症?」と思ったのは,
実は,福禄寿,七福神の1つで,
もともと福禄寿自体が,水頭症ではないかと言われているようです。(河野憲一「心で学ぶ人間福祉入門: 実践ワーク」より)


もう一度,河野氏の論文(2007年)を見てみると,

「水頭症とも見える頭でっかちの「寿老人」「福禄寿」」と書いています。
また,『柳多留』(川柳の選句集)には
「弁天を 除けばあとは 片輪なり」
という川柳を例に挙げ,
七福神を茶化したうたがあると書いています。


学芸員の先生と話をする中で,
江戸時代に後付けで,
「福禄寿は水頭症ではないか」
というようなことがくっつけられたのだろう,
と思いました。

いい勉強になりました。

姫路の総社は昨日から明日まで「えべっさん」です。(あれ?ほかと日がずれている?)

ちなみに,明日,
下の娘が職場から,淡路島の七福神めぐりに行くそうです。


PS.「じごくへようこそ」で紹介した
「善悪地獄極楽双六」を現在解読中!
『往生要集』に関する図録『源信』も読んでいる途中です。

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~じごくへようこそ~:兵庫県立歴史博物館歴史工房

2017-12-23 16:49:55 | 日記 博物館・美術館...
今年,学芸員になりたての若い先生が企画された展示です。

無料で見ることができる常設展の中にある歴史工房というコーナーで
展示替えがあり,
この
「じごくへようこそ」が始まりました。

パッと見て,ドキッとするような黒い背景に書かれた
「じごくへようこそ」の文字。

それだけで,地獄!という気がします。

展示されているのはわずか4点ですが,
私にとって面白かったのは
「善悪地獄極楽双六」です。
安政5年(1858年)のものですが,
以前,展示されていた妖怪の双六やカルタ同様,
地獄は怖いような,
半ば信じ,半ば信じず,
いや,面白がって,
地獄も双六かしら?
と思うと,
江戸時代終わりごろの庶民の姿が目に浮かぶようです。

『往生要集天保版』という本では,
阿鼻地獄の場面(イラスト)が開かれていて,
火をはく銅の犬の横を
落ちていく人が描かれています。
(あ,人が焼かれている!おお~!怖い!)

そこで思ったのです。
あれ?いつも展示している
熊野勧進十界曼荼羅では,あんな犬がいたっけ?

と思っていたところに,今回の展示担当の学芸員の先生が来られました。

質問すると,
両方を見ながら,お話してくださいました。
簡単に言ってしまうと,
熊野勧進十界曼荼羅の方は,
地獄をそこまで詳しく描いていないということです。

「ありがとうございました。」とお礼を言ったころ,
お客さんがたまたま通りががって,
私も解説が聞きたい,とのことで,
熊野勧進十界曼荼羅の解説も
お客さんと一緒に聞きました。
(熊野勧進十界曼荼羅のことは,別のページに書いたと思うので省きます。)

学芸員の先生が戻られてから,
そのお客さんと話をしていました。

地獄極楽の双六を一緒にしながら遊び方の解説をしたり,
地獄の本を紹介させていただきました。
(はい,私も,これでも歴博ボランティアですから。)
とても喜んでくださり,
私もうれしかったです。


後でいただいた解説のプリントには,

「六道とは?」
六道とは生前の行いによって生まれ変わる,
6つの世界(天道,人道,阿修羅道,畜生道,飢餓道,地獄道)のこと。
この苦しみに満ちた世界で迷いのあるものは輪廻し続ける。

そして,
源信の『往生要集』のことに軽く触れ,
展示の解説。

2枚目は,
「地獄の行き方」と題して,
歴博に常に展示している熊野勧進十界曼荼羅を例に地獄に行くまでを解説。


実はこのプリントは帰る前に直接学芸員の先生から頂きました。
丁度印刷しているところに出くわしたので。
このプリントいただいた人第一号(?)です,私。

この展示,3月ぐらいまでやっているので,
次回以降,
「善悪地獄極楽双六」に書かれている文も読んでみたいです。
仮名文字,解読,がんばろう!





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