ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

忠臣蔵から村文書まで:たつの市立龍野歴史文化資料館

2016-10-14 14:28:55 | 日記 博物館・美術館...
偶然,偶然,偶然が重なり,
3種類の古文書は残りました。

忠臣蔵で有名な赤穂浅野家は,お取り潰しになり,
様々な文書は,分家で旗本の相生若狭野浅野家に残ることになりました。

旗本の若狭野浅野家は,明治になり,東京から若狭野の陣屋に移りました。
そのまま東京にいたら,関東大震災や空襲で古文書は残っていなかったかもしれません。

若狭野浅野家に相生那波村の庄屋の娘・三木さかゑが嫁ぎました。
二女をもうけますが,だんなさまは,朝鮮で死亡。
だんなさまに死なれて,さかゑは実家・那波の三木家に帰りました。
赤穂浅野・分家の若狭野浅野の古文書も持って・・・。

時は流れ,2006年,千葉に住む三木さんが,今はだれも住んでいない実家のひな人形を寄贈したいとまわりまわって龍野歴史文化資料館に連絡。
調べると,2階の奥に埃だらけの唐櫃があり,そこには,これらの古文書がありました。
(すでに一部大学や博物館にわたっているものもありました。)


と,こんな感じのお話を偶然にも,学芸員さんから聞くことができました。
図録等にも説明はありますが,
なかなか読むだけでは理解しにくいものですが,
(特に,今回のような古文書がほとんどという地味な展示では)
たまたま,団体さんといっしょになり,学芸員さんの解説を聞くことができて,ラッキーでした。

頑張れば・・・辞書を片手に,パソコンの前で,時間をかけて・・・
読めそうな・・・あくまで,読めそうな・・・古文書もありましたが,
手紙となると全くのお手上げでした。
(手紙以外も読んだわけではありませんが)

学芸員さんのお話は,普通一般の人が面白い赤穂浅野家の文書や地図の話が中心でしたが,
私は,那波と隣の室津の境論争や宗門人別帳も面白かったです。
宗門人別帳の分厚さにビックリしました。
図録には,「相生市域の村を前提としてのアプローチ -宗門人別帳の分析を通じてー」
という論文も載っていますから,ゆっくり読みたいと思います。


コメント
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