ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

『続徳川実紀 第三編』「温恭院殿御実紀」で安政地震を調べたら

2018-04-01 15:41:19 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
『続徳川実紀』とは,・・・

『徳川実紀』(とくがわじっき)は,19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式記録。
編纂は成島司直(なるしま もとなお)ら。
それぞれの記事の出典が記されているため、江戸時代を知る基本史料となっている。

で,成島家が引き続き実紀の編纂を続けたのが,『徳川実紀』
というようなことが,Wikipediaに書かれています。

その,『続徳川実紀』の「温恭院殿御実紀」,
つまり,徳川家定のところを図書のコーナーでめくってみました。
(見つからなかった漢字は,当用漢字で書いています。返り点等は省いています。)

安政地震があった嘉永7年(安政元年)の11月頃・・・

ありました。


11月4日  日光御宮別当住職 地震  
             日光山修人光樹院
(中略)
一此日辰刻江戸大地震 諸国破損有之
(箱根山が大いに揺れたこと,被害状況が書かれています。)
(伊豆下田湊は地震が強く,市中火災があったことのほか,
 大津波が打ち寄せ,市中18ヶ町のこらず平原になったこと,
 ロシア船(黒船)も破損したが,水難の者を多数救ったことも書かれています。)
(同時に,京都大地震, 
 主上(孝明天皇)が庭に立ち退いたことも書かれており,)

(翌5日夕,また大地震,それより夜になり,大いに揺れたこと,も書かれています。)

そのほか,7日以降,
ざっと見た限りでは,
東は駿河あたりから西は石見津和野あたりまでの大名が,
幕府から拝借金を借りていることがわかります。

「拝借金(はいしゃくきん)とは,江戸幕府が財政支援のために,
大名・旗本などに無利子に貸与した金銭」
と,Wikipediaにありました。

(細かく見たら,もっと広範囲かもしれません。)


ついでに,安政2年の安政江戸地震の方を『続徳川実紀』で見ようと思いましたが,
「温恭院殿御実紀」は安政2年4月29日の次は安政3年正月でした。
理由はわかりません。


ちなみに,『兵庫県史』にも
安政地震関連の史料がありました。

「嘉永7年の兵庫津地震記録」
としてあったのですが,
ここには,兵庫津の被害の外,
明石や姫路は大したことなかったというような記述がありました。

以前読んだ,
寺脇弘光氏の『兵庫県地震災害史 古地震から阪神・淡路大震災まで』の記述では,
網干(現在は姫路市)は震度6強~6弱とあったのに・・???

と思っていると,
横にいた職員さんが,
「自分が体験して書いた日記と,
 人から聞いて書いたものと分けて考えないと・・。」
とアドバイスしてくれました。


安易に始めた
安政地震調べ・・・,
さて,私の意欲と根性は続くでしょうか。
         
コメント
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