日本遺産『北前船寄港地』に高砂市が追加認定されました!
「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」という
日本遺産が昨年認定されたそうですが,
今年新たに,高砂市や神戸市・赤穂市なども追加で認定されたそうです。
&
工楽松右衛門旧宅一般公開(6月3日13時より)
ということです,姫路市の東隣,高砂市に行ってきました。
山陽電鉄高砂駅から徒歩10分ほど。
工楽松右衛門旧宅に着きます。
近づいてくると,海のにおい。
後で聞いたのですが,江戸時代の海岸線は今よりずっと,工楽松右衛門の家から近かったとのこと。
海のにおいは,
工楽家の真ん前,南堀川の船着き場からのにおいです。
松右衛門は,江渡時代後期,
船の帆布の改良をしたことで有名です。
松右衛門帆です。
松右衛門帆のおかげで,航海が速くなりました。
播磨は綿花の栽培が盛んでした。
太い糸を作り,それで帆布を織りました。
ちなみに,すぐ近くに
松右衛門帆の店があります。
作業場を見学させてくれました。(無料:でも,後でペンケースを買ったけど。)
「日本最古の帆布
江戸時代に生まれ,北前船の帆として
日本の海を行きかっていた帆布を復元。
230年の時を経て今,
私たちの日常に寄り添います。」
と,この店のはがきに
since1785 松右衛門帆 御影屋 です。
江戸時代は75㎝幅だったようですが,
今は110㎝幅。
お店の下の作業場の機械は,1970年代のもの。
江戸時代は,1本の太い糸を織ったそうですが,
現在は3本を縒って,さらに縒って,それを織っているとか。
高砂は江戸時代初め,池田輝政が姫路に入ったあと,
すぐに高砂城もつくり,
城下町になるはずでした。
しかし,一国一城令。
高砂城は破棄され,今は高砂神社になっています。
でも,加古川の水運が盛んになり,
河口の高砂は,海運が盛んになったのでしょう。
時間がないので,今日はここまで。
後日,追記します。
PS.高砂を歩いて,見て,話をして,
網干や室津を思い出しました。
当時,どこが大きかったかなどは分かりませんが,
海が近く,海の香りがして,廻船問屋があって,
高砂も網干も室津も同じです。
高砂は,加古川の河口,姫路藩です。
網干は揖保川の河口,龍野藩や京極・丸亀藩の飛び地,幕府領に分かれています。
どちらも水運業が盛んです。
室津は,朝鮮通信使が寄港したり,
大名行列が通ります。
本陣がたくさんありました。姫路藩の飛び地です。
松右衛門旧宅の受付のおばさんと話をしました。
「大型スーパーができて,小さい店はつぶれました。
そのスーパーもつぶれ,高砂町(高砂市高砂町)は買い物にも不便になりました。
お年寄りの方が困っています。
山陽電鉄の特急は昔のまま止まっていますが,
工場のある荒井駅の方ばかり,若い人は集まっています。
だから高砂町は,観光で人を呼ぼうとしているのでしょう。」
同じようなことが網干でも言えますね。
6月6日追記しました。
「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」という
日本遺産が昨年認定されたそうですが,
今年新たに,高砂市や神戸市・赤穂市なども追加で認定されたそうです。
&
工楽松右衛門旧宅一般公開(6月3日13時より)
ということです,姫路市の東隣,高砂市に行ってきました。
山陽電鉄高砂駅から徒歩10分ほど。
工楽松右衛門旧宅に着きます。
近づいてくると,海のにおい。
後で聞いたのですが,江戸時代の海岸線は今よりずっと,工楽松右衛門の家から近かったとのこと。
海のにおいは,
工楽家の真ん前,南堀川の船着き場からのにおいです。
松右衛門は,江渡時代後期,
船の帆布の改良をしたことで有名です。
松右衛門帆です。
松右衛門帆のおかげで,航海が速くなりました。
播磨は綿花の栽培が盛んでした。
太い糸を作り,それで帆布を織りました。
ちなみに,すぐ近くに
松右衛門帆の店があります。
作業場を見学させてくれました。(無料:でも,後でペンケースを買ったけど。)
「日本最古の帆布
江戸時代に生まれ,北前船の帆として
日本の海を行きかっていた帆布を復元。
230年の時を経て今,
私たちの日常に寄り添います。」
と,この店のはがきに
since1785 松右衛門帆 御影屋 です。
江戸時代は75㎝幅だったようですが,
今は110㎝幅。
お店の下の作業場の機械は,1970年代のもの。
江戸時代は,1本の太い糸を織ったそうですが,
現在は3本を縒って,さらに縒って,それを織っているとか。
高砂は江戸時代初め,池田輝政が姫路に入ったあと,
すぐに高砂城もつくり,
城下町になるはずでした。
しかし,一国一城令。
高砂城は破棄され,今は高砂神社になっています。
でも,加古川の水運が盛んになり,
河口の高砂は,海運が盛んになったのでしょう。
時間がないので,今日はここまで。
後日,追記します。
PS.高砂を歩いて,見て,話をして,
網干や室津を思い出しました。
当時,どこが大きかったかなどは分かりませんが,
海が近く,海の香りがして,廻船問屋があって,
高砂も網干も室津も同じです。
高砂は,加古川の河口,姫路藩です。
網干は揖保川の河口,龍野藩や京極・丸亀藩の飛び地,幕府領に分かれています。
どちらも水運業が盛んです。
室津は,朝鮮通信使が寄港したり,
大名行列が通ります。
本陣がたくさんありました。姫路藩の飛び地です。
松右衛門旧宅の受付のおばさんと話をしました。
「大型スーパーができて,小さい店はつぶれました。
そのスーパーもつぶれ,高砂町(高砂市高砂町)は買い物にも不便になりました。
お年寄りの方が困っています。
山陽電鉄の特急は昔のまま止まっていますが,
工場のある荒井駅の方ばかり,若い人は集まっています。
だから高砂町は,観光で人を呼ぼうとしているのでしょう。」
同じようなことが網干でも言えますね。
6月6日追記しました。