最近,災害についていろいろ考えさせられます。
そろそろ,仕事や家の用事などでしばらく中断していた
安政地震関係の勉強に戻ろうと思います。
さて,この本は,岩波書店の全11冊からなるシリーズの1冊です。
「激甚な災害が日本社会に与えた衝撃の意味を考える 叢書 震災と社会(全11冊)」
の1冊目,
石橋克彦(神戸大学名誉教授)
『南海トラフ巨大地震ー歴史・科学・社会』です。
(「神戸大学」というのがミソで,
阪神淡路大震災を経験していますから。
史学科では,古文書のレスキューなどもやっています。)
ただ,ここでは,「歴史」の部分だけ取り上げます。
地震の概要は,既に精力的に続けられており,
以下はあくまでも現時点での私のまとめ・・・と著者は言っています。
その地震の概要を書いたもの。
宇佐美龍夫ら『日本被害地震総覧599-2012』(総覧)
簡略版『理科年表』の「日本付近のおもな被害地震代表」
『日本歴史災害事典』
次に,地震史料。
地震史料というのは,地震記事を含んだ歴史記録(文献史料)のことです。
明治以降,地震史料の収集・刊行が行われています。
武者金吉『増訂大日本地震史料』3巻(1941.43年)『日本地震史料』(1951年)
1970年代からは
東京大学地震研究所・宇佐美龍夫ら『新収日本地震史料』21冊,
宇佐美龍夫『「日本の歴史地震史料」拾遺』8冊
ただし,史料批判が欠かせません。
つまり,史料の解読の際にも歴史的背景の理解や考証が重要。
地震研究者の不注意から,実在しない地震が導かれたこともある。
史料の注意深い取り扱いを重視した場合は,史料地震学と呼ぶこともある。
地震地質学,地震考古学と呼ばれるものもある。
地層や遺物から,年代を推定する必要がある。
文字史料による裏付けが考古学の向上につながる。
特に,液状化跡は,その地点の強震動がわかるだけで,
原因が,南海トラフ巨大地震なのか,
その前後何年か何十年かの間に起きた内陸地震なのか,原理的にわからない。
さて,私が関心をもって勉強している嘉永7年の地震,
安政東海地震・安政南海地震については,
上記の史料が活字化されていることもあり,詳細を伝えてくれる。
・・・ということですが,
よーく考えると,私が調べたいのは,地震そのものではありません。
地震が起きた幕末という時代の庶民です。
科学者としての過去の地震の研究ではなく,
北原糸子『地震の社会史 安政大地震と民衆』のような
歴史学からの・・・。
でも,この本は,基本の「き」のような気がします。
過去に地震でこんなことがあったよ,というのではなく,
「1854年安政南海地震による震度と津波高の分布」
といった地図(総覧の図を簡略化)は,どこでどれだけの揺れがあったのか,
一目瞭然です。
以前,
「嘉永7年(安政元年:1854年)の大地震では,網干は震度6強~6弱だった!?!」(2018-03-17)
の中で,
「兵庫県下では,淡路島南部・尼崎・明石・加古川・網干・赤穂・坂越は,
震度6強~6弱としています。」と書きましたが,
きっと,この「総覧」に基づいて書かれたのでしょう。
今回の『南海トラフ巨大地震』では,網干の震度は載っていませんでしたが,
加古川や赤穂は震度6と出ています。
ちなみに,姫路は震度5~6。
姫路城は,固い地盤の上にできている,と聞いたことがありますが,
どんどん埋め立てられる網干とは,地盤の固さが違います。
もちろん,震度も変わりますよね。
再スタートです。
PS.話がそれたままでした。(9月15日追記)
この本の第1章では,南海トラフ巨大地震と思われる地震,
1944年・1946年の地震から,
幕末,近世,中世,古代とさかのぼり,
なんと,684年の白鳳地震(天武地震)まで書かれています。
私が「基本のき」と言ったのは,
それぞれの地震の震度,津波,
史料についてわかりやすく説明してくれているからです。
ちなみに,この白鳳地震の根本史料は『日本書紀』
でも,南海巨大地震の特徴をよく伝えているそうです。
そろそろ,仕事や家の用事などでしばらく中断していた
安政地震関係の勉強に戻ろうと思います。
さて,この本は,岩波書店の全11冊からなるシリーズの1冊です。
「激甚な災害が日本社会に与えた衝撃の意味を考える 叢書 震災と社会(全11冊)」
の1冊目,
石橋克彦(神戸大学名誉教授)
『南海トラフ巨大地震ー歴史・科学・社会』です。
(「神戸大学」というのがミソで,
阪神淡路大震災を経験していますから。
史学科では,古文書のレスキューなどもやっています。)
ただ,ここでは,「歴史」の部分だけ取り上げます。
地震の概要は,既に精力的に続けられており,
以下はあくまでも現時点での私のまとめ・・・と著者は言っています。
その地震の概要を書いたもの。
宇佐美龍夫ら『日本被害地震総覧599-2012』(総覧)
簡略版『理科年表』の「日本付近のおもな被害地震代表」
『日本歴史災害事典』
次に,地震史料。
地震史料というのは,地震記事を含んだ歴史記録(文献史料)のことです。
明治以降,地震史料の収集・刊行が行われています。
武者金吉『増訂大日本地震史料』3巻(1941.43年)『日本地震史料』(1951年)
1970年代からは
東京大学地震研究所・宇佐美龍夫ら『新収日本地震史料』21冊,
宇佐美龍夫『「日本の歴史地震史料」拾遺』8冊
ただし,史料批判が欠かせません。
つまり,史料の解読の際にも歴史的背景の理解や考証が重要。
地震研究者の不注意から,実在しない地震が導かれたこともある。
史料の注意深い取り扱いを重視した場合は,史料地震学と呼ぶこともある。
地震地質学,地震考古学と呼ばれるものもある。
地層や遺物から,年代を推定する必要がある。
文字史料による裏付けが考古学の向上につながる。
特に,液状化跡は,その地点の強震動がわかるだけで,
原因が,南海トラフ巨大地震なのか,
その前後何年か何十年かの間に起きた内陸地震なのか,原理的にわからない。
さて,私が関心をもって勉強している嘉永7年の地震,
安政東海地震・安政南海地震については,
上記の史料が活字化されていることもあり,詳細を伝えてくれる。
・・・ということですが,
よーく考えると,私が調べたいのは,地震そのものではありません。
地震が起きた幕末という時代の庶民です。
科学者としての過去の地震の研究ではなく,
北原糸子『地震の社会史 安政大地震と民衆』のような
歴史学からの・・・。
でも,この本は,基本の「き」のような気がします。
過去に地震でこんなことがあったよ,というのではなく,
「1854年安政南海地震による震度と津波高の分布」
といった地図(総覧の図を簡略化)は,どこでどれだけの揺れがあったのか,
一目瞭然です。
以前,
「嘉永7年(安政元年:1854年)の大地震では,網干は震度6強~6弱だった!?!」(2018-03-17)
の中で,
「兵庫県下では,淡路島南部・尼崎・明石・加古川・網干・赤穂・坂越は,
震度6強~6弱としています。」と書きましたが,
きっと,この「総覧」に基づいて書かれたのでしょう。
今回の『南海トラフ巨大地震』では,網干の震度は載っていませんでしたが,
加古川や赤穂は震度6と出ています。
ちなみに,姫路は震度5~6。
姫路城は,固い地盤の上にできている,と聞いたことがありますが,
どんどん埋め立てられる網干とは,地盤の固さが違います。
もちろん,震度も変わりますよね。
再スタートです。
PS.話がそれたままでした。(9月15日追記)
この本の第1章では,南海トラフ巨大地震と思われる地震,
1944年・1946年の地震から,
幕末,近世,中世,古代とさかのぼり,
なんと,684年の白鳳地震(天武地震)まで書かれています。
私が「基本のき」と言ったのは,
それぞれの地震の震度,津波,
史料についてわかりやすく説明してくれているからです。
ちなみに,この白鳳地震の根本史料は『日本書紀』
でも,南海巨大地震の特徴をよく伝えているそうです。