NHK学園「古文書・解読実践コース第7回」2018年度C・D
返ってきました。
「A」です。
先生は,
「今回はもう一息。
確実に解読できれば
“完璧”が見えて来る所までまとめる事ができましたね!」
今までで最高の褒め言葉!
「確実に解読できれば」という条件付きですが,
“完璧”という言葉はむっちゃうれしいです。
しかし,
続きません。
第8回,まもなく提出ですが,
こっちは“完璧”は見えません。・・・自分でわかります。
さて,前回の「あなたの声」,「参らせ候」です。
先生は,
「くずし字,“あるある”ですよね。
(中略)
形の解説を求められるとこちらも“う~ん”となってしまします。
(そんなに多くはないのですがね。)」
とお返事をくださいました。
ほかに課題の文書の質問もしているのですが,
こちらも丁寧にコメントをくださいました。
まだ,第7回の課題が終わっていない方もおられると思いますので,
このコメントについては,ここに書くのをやめときます。
いつも先生は,丁寧にコメントや解説,くださいます。
それも「あなたの声」までも。
きっと,何も質問等されない方に比べてみれば,
私の課題の添削等にかかる時間は,2倍ぐらいかかっているのでは・・・。
と思います。
先生,いつもありがとうございます。
では,いつものように第8回の「あなたの声」
「幕藩所領が錯綜している地域」
今回の課題は,
一つの村の中に複数の「村」があるといってもいい状態の「相給村」という
特殊な事情がある村の「済口(すみくち)証文」でした。
私が住む網干(現在は姫路市網干区)は,
江戸時代中期以降,
龍野藩や同藩預り幕府領・一橋領・讃岐国丸亀藩飛地と錯綜している地域でした。
網干の歴史を調べたくて見た『姫路市史第4巻本編近世2』には,
すぐ近くの飾西郡才(さい)村(現在は姫路市広畑区才?)は,
酒井家(姫路)領と龍野藩の相給村だったことが書かれていました。
(才のことはよく知りませんが)
藩は違っても,「網干」は「網干」です。
余子浜村・新在家村・興浜村は「網干三カ村」とよばれ,
『姫路市史』には,
「揖保川河口の網干地域には,
(中略)
年貢米を主とする諸物資の流通の中継地として
それぞれの役割を果たすことによって,
一定のまとまりを持っていたのである。」
と書かれています。
今も網干地区は,前述の三カ村を含む24カ村で盛大に魚吹(うすき)八幡神社の秋祭りを
毎年10月21・22日に行っています。
(播磨地方最大24カ村,1万数千戸の氏子の祭りです。
ちなみに,この秋祭りの地区は,
中世においては同じ荘園(神護寺領福井荘)でした。)
返ってきました。
「A」です。
先生は,
「今回はもう一息。
確実に解読できれば
“完璧”が見えて来る所までまとめる事ができましたね!」
今までで最高の褒め言葉!
「確実に解読できれば」という条件付きですが,
“完璧”という言葉はむっちゃうれしいです。
しかし,
続きません。
第8回,まもなく提出ですが,
こっちは“完璧”は見えません。・・・自分でわかります。
さて,前回の「あなたの声」,「参らせ候」です。
先生は,
「くずし字,“あるある”ですよね。
(中略)
形の解説を求められるとこちらも“う~ん”となってしまします。
(そんなに多くはないのですがね。)」
とお返事をくださいました。
ほかに課題の文書の質問もしているのですが,
こちらも丁寧にコメントをくださいました。
まだ,第7回の課題が終わっていない方もおられると思いますので,
このコメントについては,ここに書くのをやめときます。
いつも先生は,丁寧にコメントや解説,くださいます。
それも「あなたの声」までも。
きっと,何も質問等されない方に比べてみれば,
私の課題の添削等にかかる時間は,2倍ぐらいかかっているのでは・・・。
と思います。
先生,いつもありがとうございます。
では,いつものように第8回の「あなたの声」
「幕藩所領が錯綜している地域」
今回の課題は,
一つの村の中に複数の「村」があるといってもいい状態の「相給村」という
特殊な事情がある村の「済口(すみくち)証文」でした。
私が住む網干(現在は姫路市網干区)は,
江戸時代中期以降,
龍野藩や同藩預り幕府領・一橋領・讃岐国丸亀藩飛地と錯綜している地域でした。
網干の歴史を調べたくて見た『姫路市史第4巻本編近世2』には,
すぐ近くの飾西郡才(さい)村(現在は姫路市広畑区才?)は,
酒井家(姫路)領と龍野藩の相給村だったことが書かれていました。
(才のことはよく知りませんが)
藩は違っても,「網干」は「網干」です。
余子浜村・新在家村・興浜村は「網干三カ村」とよばれ,
『姫路市史』には,
「揖保川河口の網干地域には,
(中略)
年貢米を主とする諸物資の流通の中継地として
それぞれの役割を果たすことによって,
一定のまとまりを持っていたのである。」
と書かれています。
今も網干地区は,前述の三カ村を含む24カ村で盛大に魚吹(うすき)八幡神社の秋祭りを
毎年10月21・22日に行っています。
(播磨地方最大24カ村,1万数千戸の氏子の祭りです。
ちなみに,この秋祭りの地区は,
中世においては同じ荘園(神護寺領福井荘)でした。)