ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

「完璧が見えて来る」(?)(条件付き)

2019-06-10 11:53:37 | 古文書
NHK学園「古文書・解読実践コース第7回」2018年度C・D
返ってきました。
「A」です。
先生は,
「今回はもう一息。
 確実に解読できれば
 “完璧”が見えて来る所までまとめる事ができましたね!」

今までで最高の褒め言葉!
「確実に解読できれば」という条件付きですが,
“完璧”という言葉はむっちゃうれしいです。

しかし,
続きません。

第8回,まもなく提出ですが,
こっちは“完璧”は見えません。・・・自分でわかります。


さて,前回の「あなたの声」,「参らせ候」です。
先生は,
「くずし字,“あるある”ですよね。
 (中略) 
 形の解説を求められるとこちらも“う~ん”となってしまします。
 (そんなに多くはないのですがね。)」
とお返事をくださいました。

ほかに課題の文書の質問もしているのですが,
こちらも丁寧にコメントをくださいました。
まだ,第7回の課題が終わっていない方もおられると思いますので,
このコメントについては,ここに書くのをやめときます。

いつも先生は,丁寧にコメントや解説,くださいます。
それも「あなたの声」までも。

きっと,何も質問等されない方に比べてみれば,
私の課題の添削等にかかる時間は,2倍ぐらいかかっているのでは・・・。
と思います。

先生,いつもありがとうございます。


では,いつものように第8回の「あなたの声」

「幕藩所領が錯綜している地域」

今回の課題は,
一つの村の中に複数の「村」があるといってもいい状態の「相給村」という
特殊な事情がある村の「済口(すみくち)証文」でした。

私が住む網干(現在は姫路市網干区)は,
江戸時代中期以降,
龍野藩や同藩預り幕府領・一橋領・讃岐国丸亀藩飛地と錯綜している地域でした。
網干の歴史を調べたくて見た『姫路市史第4巻本編近世2』には,
すぐ近くの飾西郡才(さい)村(現在は姫路市広畑区才?)は,
酒井家(姫路)領と龍野藩の相給村だったことが書かれていました。

(才のことはよく知りませんが)
藩は違っても,「網干」は「網干」です。
余子浜村・新在家村・興浜村は「網干三カ村」とよばれ,
『姫路市史』には,
「揖保川河口の網干地域には,
 (中略)
 年貢米を主とする諸物資の流通の中継地として
 それぞれの役割を果たすことによって,
 一定のまとまりを持っていたのである。」
と書かれています。

今も網干地区は,前述の三カ村を含む24カ村で盛大に魚吹(うすき)八幡神社の秋祭りを
毎年10月21・22日に行っています。

(播磨地方最大24カ村,1万数千戸の氏子の祭りです。
 ちなみに,この秋祭りの地区は,
 中世においては同じ荘園(神護寺領福井荘)でした。)
コメント
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