NHKホームページ「兵庫県のニュース」3月8日より
「姫路城の天守閣を囲むくるわの石垣を姫路市が調べたところ
一部に石の材質や積み方が異なっている部分があることがわかりました。
江戸時代初期に茶室を造るために積み直されたとみられ
戦いのための城から変わっていった姫路城の成り立ちを考える上で
貴重な発見とみられています。
新たな発見があったのは、
姫路城の大天守の南東にある「腹切丸」というやぐらに近いくるわの石垣です。
姫路市城郭研究室が修理にあわせて去年12月から調べたところ
高さ10メートル、幅25メートルの石垣の中央付近で
石の材質や積み方が変わっていることがわかりました。
南側は火山岩が固まった凝灰岩という石が使われ
大きな石の間に詰める「間詰石」は河原にある丸い石が多い一方、
北側はチャートという固い石も含まれ、
「間詰石」には砕いた石が使われています。
姫路城は、初代姫路藩藩主となった池田輝政が築きましたが、
その後、城主となった本多家が江戸時代初期に茶室などを備えたやぐらを造った際、
石垣を積み直したとみられています。
姫路市城郭研究室の多田暢久さんは「姫路城は、敵の侵攻に備えるための実戦的なものだったが、
平和な時代になって茶室などの空間が作られたことが石垣の積み方からもうかがえる。
城の成り立ちを考える上で貴重な発見だ」と話しています。」
ニュースを映像で見ると,明らかに石の積み方が違う・・・と思います。
先日,娘と姫路城に行ったばかりですが,こんなに詳しく見ていません。
戦国の城から,平和な江戸時代の城へ・・・といったところでしょうね。
新しい発見がいっぱいです。
姫路城も奥が深いです。
「姫路城の天守閣を囲むくるわの石垣を姫路市が調べたところ
一部に石の材質や積み方が異なっている部分があることがわかりました。
江戸時代初期に茶室を造るために積み直されたとみられ
戦いのための城から変わっていった姫路城の成り立ちを考える上で
貴重な発見とみられています。
新たな発見があったのは、
姫路城の大天守の南東にある「腹切丸」というやぐらに近いくるわの石垣です。
姫路市城郭研究室が修理にあわせて去年12月から調べたところ
高さ10メートル、幅25メートルの石垣の中央付近で
石の材質や積み方が変わっていることがわかりました。
南側は火山岩が固まった凝灰岩という石が使われ
大きな石の間に詰める「間詰石」は河原にある丸い石が多い一方、
北側はチャートという固い石も含まれ、
「間詰石」には砕いた石が使われています。
姫路城は、初代姫路藩藩主となった池田輝政が築きましたが、
その後、城主となった本多家が江戸時代初期に茶室などを備えたやぐらを造った際、
石垣を積み直したとみられています。
姫路市城郭研究室の多田暢久さんは「姫路城は、敵の侵攻に備えるための実戦的なものだったが、
平和な時代になって茶室などの空間が作られたことが石垣の積み方からもうかがえる。
城の成り立ちを考える上で貴重な発見だ」と話しています。」
ニュースを映像で見ると,明らかに石の積み方が違う・・・と思います。
先日,娘と姫路城に行ったばかりですが,こんなに詳しく見ていません。
戦国の城から,平和な江戸時代の城へ・・・といったところでしょうね。
新しい発見がいっぱいです。
姫路城も奥が深いです。
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