先週金曜日(3月3日)のぶらぶら美術博物館は,大阪城をはじめとする大阪の紹介でした。
山田五郎さんは大阪・北野高校出身と以前聞いたことがありますが,
大阪城に江戸時代からの櫓が残っているということを知らなかったと自分で言っていました。
もちろん私も(世界遺産・姫路城をしょっちゅう見ている私ですが)
「大阪城は鉄筋コンクリートでしょ。」とバカにしていました。
確かに天守閣は鉄筋コンクリート。
でも,1931年(昭和6年)なんですね。
空襲で大阪城の東の方はかなり焼けてしまったそうですが,
千貫櫓や多聞櫓は江戸時代,
それも千貫櫓は1620年(元和6年)のものだそうで,
戦後,解体修理の時に,
「元和6年」という文字が出てきて初めて
江戸時代の間も火災にもあうことなく残っていたということが分かったそうです。
普段見ることができないこの櫓も
春休み期間中は毎日特別公開されているそうです。
「行きたい!」
解説していた大阪城の方は
「天守閣だけが城ではない。櫓・堀・石垣もあって城です。」
というようなことを言っていました。
そして,山田五郎さん
「天守閣だけ見て城を語るな。」
「趣味どきっ!」の城も読み返したくなりました。
そして,何より,大阪城に行ってみたくなりました。
山田五郎さんは大阪・北野高校出身と以前聞いたことがありますが,
大阪城に江戸時代からの櫓が残っているということを知らなかったと自分で言っていました。
もちろん私も(世界遺産・姫路城をしょっちゅう見ている私ですが)
「大阪城は鉄筋コンクリートでしょ。」とバカにしていました。
確かに天守閣は鉄筋コンクリート。
でも,1931年(昭和6年)なんですね。
空襲で大阪城の東の方はかなり焼けてしまったそうですが,
千貫櫓や多聞櫓は江戸時代,
それも千貫櫓は1620年(元和6年)のものだそうで,
戦後,解体修理の時に,
「元和6年」という文字が出てきて初めて
江戸時代の間も火災にもあうことなく残っていたということが分かったそうです。
普段見ることができないこの櫓も
春休み期間中は毎日特別公開されているそうです。
「行きたい!」
解説していた大阪城の方は
「天守閣だけが城ではない。櫓・堀・石垣もあって城です。」
というようなことを言っていました。
そして,山田五郎さん
「天守閣だけ見て城を語るな。」
「趣味どきっ!」の城も読み返したくなりました。
そして,何より,大阪城に行ってみたくなりました。