ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

「大坂神戸兵庫湊 大津浪之新聞」:兵庫県立歴史博物館「近現代兵庫の災害史」より

2019-01-09 15:26:29 | 歴博
兵庫県立歴史博物館のホームページで見つけました。

1月12日~31日まで
「近現代兵庫の災害史」が「兵庫県政150周年記念展示」の一環としてあります。

興味のある方は,ホームページの写真を見てください。

ちょうど瓦版のような
絵が大きく書かれ,説明の文章がついています。

なんと,保存して拡大すると,比較的はっきりくずし字を見ることができます。

「津浪」という文字にひかれて読んだのですが,
明治4年の段階では,
暴風雨による災害も「津浪」と言っていたのでしょう。
文章を読むと,地震による津波ではないことがわかります。
〔歴博の解説には,高潮であろう,となっていました。〕

さあ,翻刻頑張ります!
(いつものことですが,翻刻間違いあります。)



「大坂神戸兵庫湊 大津浪之新聞」 
 ; 〔 〕は訂正版(入力ミスがあったらすみません。1月22日)

夫天変地異の非常に発ること 西洋
各物究(?)厘の説といへども その期する
〔格物究理の説といへども その期する〕
時を計ること能はずといへり 時は是明治
〔時を計ること能はずといへ日時は是明治
四年辛未五月十八日夜四つ時頃 摂州
大坂表大雨車軸を流し 大風沙石を
飛し 物のあいろも分たざる折から 天保
山の沖にあたりて海潮のひどさ漕估
〔山の沖にあたりて海潮のひゞき漕估〕
の茅を破ると見る間に 大津浪覆い重なり
〔の夢を破ると見る間に 大津浪覆ひ重なり〕
沖合に停泊なしたる外国軍艦蒸気舩の
〔沖合に碇泊なしたる外国軍艦蒸気舩の〕
大山の如きを揺あげ 帆柱を折き 火筒を倒し
日本精造の川蒸気帆まへ舩は残りなく陸に
うちあげ 海岸の人家はいふも更成 安治川辺の
損亡大方ならず 夫神戸兵庫までも
〔損亡大方ならず 夫ゟ神戸兵庫までも〕
舩家人民の死亡怪我多分にして外国
高館堅固なるも敢て慎ぜざることを
〔高館堅固なるも敢て損ぜざることを〕
埒す とりわけ日本舩は彼湊海口川辺に
〔得す とりわけ日本舩は彼湊海口川辺に〕
かかりたるは十に八九まであるひは破
裂し あるひはくづがえり 偶乗組たる
〔烈し あるひはくづがへり 偶乗組たる〕
舩主水夫も海上ことこと逆(?)波のために
〔舩主水夫も海上遠く逆波のために〕
まきこまれ底の水屑鯨鮫の
餌となる者おほし 親は最愛の
子を捨てはしり 夫は妻の生死を
知らず老若男女の泣きさけぶ声は
風雨の豪勢に消されながら 乾坤
〔風雨の暴勢に消されながら 乾坤〕
も泥土にまそれるかたばかり おそろし〕
〔も泥土にまそれるかとたばかり おそろし
なんといふばかり しかるに翌十九日
〔なんどいふばかり しかるに翌十九日〕
払暁未明に至りて 風雨をだ
やかに津浪まつたくやむに至り
十死を出て一生得たる 内外の
人には すこしすこし安堵の思ひを
〔人々には すこし〱安堵の思ひを〕
            なせりとぞ

大阪心斎橋通り
   化開堂蔵板


絶対に歴博に実物を見に行きます!
コメント (3)
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あけましておめでとうございます! ふらっと京都:その2 養源院

2019-01-06 15:41:47 | 日記
あけましておめでとうございます。

年末年始,バタバタして,新年のあいさつがとっても遅くなりましたが,
今年もマイペースで古文書の勉強など,頑張ろうと思っています。

先日,大リーグのイチロー選手が,
「夢はかなうかどうかはわからない。
 でも,諦めたら,その夢は決してかなわない。」
というようなことを,少年野球の子どもたちに言っていたのをニュースで聞きました。
(もしかしたら,多少内容が違っていたかもしれません。)

少年でなくて,おばさんでも同じこと。
諦めたら終わりです。
「夢と目標は大きく!」
そして,ファイト!です。


さて,ふらっと京都:その2です。
昨年12月24日,京都国立博物館周辺に行ってきました。

まずはじめに行ったのが,
養源院
俵屋宗達のゾウさんを見るのが目的でした。

バス停「博物館・三十三間堂前」で降りてすぐ,
三十三間堂の道を挟んですぐ東,養源院です。
養源院の説明は,ネットで調べるとすぐわかるので,省略します。
ここでは,私のひとりごと・・・

養源院の小さな門をくぐってすぐ,これもまた,有名な割には小さな本堂です。
中に入るといきなりドカ~ンと「唐獅子図」(西面)(杉戸絵)
かわいい(?)顔で,私を見ています。
前にガラス戸を入れていますが,10センチ前で見ることができます。
思わず,受付のおばさんに
「いきなりすごいですね。」と言ってしまうほど,強烈でした。

本堂の中は,このおばさんとちょっと若めのおじさんがテープを持って案内してくれます。

目的の「白象図」,もちろんよかったですよ。
そのおばさんが言うには,
「皆さんはラッキーでしたね。
 今日はいいお天気でよく見えます。
 昨日は雨で,本堂の中が薄暗く,こんなにくっきりと白象は見えませんでした。」
とのことでした。
やはり,ガラス戸が入っているとはいえ,
10センチのところから,見ることができます。

ちなみに,おばさんの説明によると,
「先日来られた方が,ゾウは,吉宗の時代に初めて日本に来た,と
 歴史秘話ヒストリアで言っていたとのことでしたが,
 私たちが調べると,信長の時代には,日本に来ていたようです。」とのこと。
さらに,
このゾウは,私たちが動物園などで見るゾウではなく,
「仏像の台座のゾウをもとに描いたのであろう。」とのことでした。
そして,
「この距離感は,お寺に来てみないとわからない。」
まさに,その通りです。

ほかにも,宗達の「松図」も
狩野山楽の絵も
(こちらは本物は部屋の奥の方なのでよく見えなかった。
 レプリカはよく見えるところに置いてくれていました。)
じ~と,ジーっと,見ていたいのに,
説明が終わると,「はい,次」と案内されてしまうので,
それが残念でした。

でも,本物がこれだけこの狭い寺の本堂の中にあることは,
きっとすごいことだろうと思いました。
おばさんの話では,
「時々,博物館に貸すのです。 
 その時はレプリカを入れるんだけど,
 今日はよかったね,ホンモノですよ。」

ほか,鳥居元忠の血天井などの話も聞き,
一通り終わったところで,パンフレットを買って養源院を出ました。

パンフレットを買うとき,案内をしてくれた養源院のおばさんが
「あなた,どこから来たの?」と言うので,
「姫路です。」と答えると,
「そう,じゃあまたおいで。」
と言ってくださいました。
京都なのに,大阪弁っぽいこのおばさんのおかげで
「来てよかった。」という気がいっぱいいっぱい(子どもっぽい表現ですね。)になりました。

続きは,後日。次は京都国立博物館など



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