今日の新聞のコラムにおもしろい話があった。
食通といわれる人に味覚が敏感なのを自負する方々が多いのだろうが、あまりに敏感すぎると、食事に不満が残ることが多く、あまり幸せではないのではないか、という話であった。
また、ある由緒ある鰻屋で、さばき方だの焼き加減だのを講釈されて、うんざりし、「適当なものを気楽に食べたい」と思ったという話もあった。
幸せは「適度な鈍感」にあり、というのが結論なのだが、言い得て妙である。これは人生全てにいえることかもしれない。
安曇野穂高の宿から
今日の新聞のコラムにおもしろい話があった。
食通といわれる人に味覚が敏感なのを自負する方々が多いのだろうが、あまりに敏感すぎると、食事に不満が残ることが多く、あまり幸せではないのではないか、という話であった。
また、ある由緒ある鰻屋で、さばき方だの焼き加減だのを講釈されて、うんざりし、「適当なものを気楽に食べたい」と思ったという話もあった。
幸せは「適度な鈍感」にあり、というのが結論なのだが、言い得て妙である。これは人生全てにいえることかもしれない。
安曇野穂高の宿から