[状況に照らして啓示を考察する。新しい「福音関連の評論」は現代のモルモニズムを如何に形成してゆくか]
2013年11月以降、2014年10月まで約1年間教会がLDS.orgに公表してきた、「福音に関する評論」(Gospel Topics Essay)は11篇に及び、現在一段落している。その評論をリストアップし、主なものをここで改めて簡単に振り返っておきたい。
1 モルモン教徒はクリスチャンか。2013/11/20
2 最初の示現の諸版。2013/11/20
3 人種と神権 2013/12/06
4 初期ユタ時代の多妻結婚と家族 2013/12/16
5 モルモン書の翻訳 2013/12/30
6 モルモン書とDNA研究 2014/01/31
7 神のようになることについて 2914.92.24
8 19世紀の末日聖徒の間における平和と暴力の問題 2014/05/13
9 アブラハム書の翻訳と史実性 2014/07/08
10 カートランドとノーブーにおける多妻結婚 2014/10/22
11 宣言と多妻結婚の終焉 2014/10/22
いずれも重要な事柄であるが、特に注目された難しい問題は次の6つではないかと思う。
① 最初の示現の諸版
1832年 JSを訪れたのは「主」ひとりで、スミスは罪を赦された喜びを記録している。個人的な略式メモの形。
1835年 この時の説明では、まずひとかたが現れ、ついでもうひとかたが現れたとなっていて、さらに多くの御使いを見たとも記している。
1838年 こんにちに伝わるもの。高価な真珠にあるように神とイエスの二方が訪れ、どの教会にも加わってはならない、と告げられる。
1842年 上記に同じ内容。ジョン・ウェントワースの求めに応じて会員外の読者を対象に簡潔、率直に説明している。
LDS.org の評論では焦点(強調点)が異なるのであって、矛盾はないと説明している。
② 人種と神権
われわれ日本人の目には、黒人にも神権を与えるという1978年の啓示を繰り返したものであるが、四半世紀たっても白人種以外に対する偏見が教会内で消え去らないで、BYUの教授でさえ1978年以前の心情で公言する始末であった。それで、改めて教会はそのような立場に立つものではないと詳しい評論を発表した。その中で「今日,教会は過去に流布した、カインに下された神の「のろい」のしるしは,褐色の肌である,あるいは黒人はルシフェルとの前世の戦いにおいて,勇敢ではなかったので神権と神殿の祝福を差し止められている,・・などの見解を否定する」と明言している。
③ モルモン書の翻訳
ジョセフ・スミスがモルモン書を翻訳する姿はイラストで描かれるなどして、イメージが定着しているが、この度の評論では、ジョセフが,「解訳器か聖見者の石のどちらかを帽子の中に入れ,外部からの光を遮断するためにその帽子に顔を押しつけて,その用具に現れた英語の言葉を読みあげた」記録があることを認めている。また、JSが昔遺失物や埋められた宝物を探すために、地中から見つけた小さな卵形の石(「聖見者の石」)を、聖文を翻訳するという崇高な目的のために用いるようになったこと、その時にはウリムとトミムと呼ばれた次第を説明している。
④ モルモン書とDNA研究
1980年代半ば以降、DNA研究によりアメリカ先住民がシベリア経由アジア系に起源を求めることができる、と専門誌に発表されるようになり、モルモン書の史実性が問われるようになった。そのことで研究者の立場に立ったオーストラリアの元監督が破門されるに至った。この問題に対して、弁明の論陣を張ったもの。集団遺伝学はまだ仮説であり、モルモン書に登場する人々の遺伝子が検出できない以上、モルモン書の信憑性を肯定も否定もできない、と述べている。
⑤ アブラハム書の翻訳と史実性
パピルスの断片が1967年に教会に返還され、そこに記されているのは死者の書であって、高価な真珠の内容と一致しないことが明らかになって教会は守勢に立たされていた。パピルスから「翻訳」されたと伝えられてきて今もそうなっている(日本語訳印刷版)ことについて、ここで言う「翻訳」とは物質的な遺物を媒体として啓示を受けたもので、広い定義で受け止めるべきである、また断片はほかにも見つかっていないものがある、としている。
⑥ 末日聖徒イエス・キリスト教会における多妻結婚(英語で3回に分けて掲載されたもの)
すでに知られていることが大部分であるが,ジョセフ・スミスが早い時点で1830年代半ばに女中であったファニー・アルジャーを多妻の最初の相手として娶ったこと、後に多妻の数が増え結局30-40人に達したこと、中には14歳の少女もいたことが記されていて、いろいろな説明があるものの読者に衝撃を与えるのではないだろうか。
以上、教会員にとってこれまで聞いてきた理解とは異なる、必ずしも快くない内容が含まれている。米国でも会員たちは容易に信じられず、大管長会がこれについて何か言ってくれるまでは受け入れられないと逡巡している。それに対して、教会歴史家で七十人であるステイーブン・E・スノウ長老が、大管長会と十二使徒会の承認を得たもので教会の公式サイトに掲載されている、教会員はよく学んで欲しい、と述べている。
ただ、多くの会員は読んでもすぐには掲載された意味が分からないかもしれない。いずれもかなり長文で、多くが既知の内容で構成されているからである。評論公表の意義を理解するためには、この一連の文章が掲載された背景を知って、外部のメディアのように鋭い目で見る必要がある。(背景とはネット上に教会にとって好ましくない情報があふれ、対応を迫られたこと)。どの項目も信仰者が受ける衝撃が大きくならないように、研究者や外部の指摘を含みながらも微妙に文言を和らげ調整して編集されている。
なお、「福音に関する評論」は教会の公式サイトlds.org.jpn に行き、順次「聖文と研究」「福音のテーマ」「福音のテーマの論文」「論文を研究する」とクリックし、9つの論文リストから選んで読むことができる。
参考 当ブログの記事
2005.12.23 生成的発展を遂げた見神録
2014.06.08 声明「人種(問題)と神権」の要点
2006.02.20 DNAとモルモン書の問題
2014.11.13 モルモン教会、ジョセフ・スミスの多妻を公的に認める
>何もおかしくない正当な信仰がゆがんで見えてるだけですよ。
あなた曰く『主は予言者を信じるように言われた、その予言者は間違いを犯す、しかし間違っても謝罪はしない、そんな必要はないのだ』
これのどこが正当な信仰ですか?ただの嘘つき予言者ですよ。
あなたは堕落した自分の仲間をたくさん引き連れて、私たちは数が多い(レギオン)のだ、とでも言うおつもり?
私に言われた言葉のオウム返しですか?根拠の出典もなければ語彙も少ないんですね。思い付きで物事を語る人の特徴なのでしょうか。
また2割、8割という数字はあなたが言い出したので(根拠は不明ですが)話を合わせるために私は使っているわけです。すると今度は仲間が多くいるように見せかけようと水増ししてきましたね。
ご自分の主張も信仰もグラグラのようです。しっかりしてくださいね。
それから、今や1人か2人、もしくは0人とは、昔そうだった方が全員退場したという意味ではなくて、賢明な会員でしたので、いつの間にか悔い改められて、減っていったわけですが、もちろん本当の意味で去った方もいます。
正直申し上げて、あなたは歪んだ信仰者だと思いますよ。
あなたがモルモンの何を信じているかさっぱり理解できません。私はモルモンの教えはキリスト教とは違うけれども、それなりの意義はあるものだと思ってきました。
しかし、あなたの口から語るモルモン教会の姿には(それが事実であれば)何の救いもなく、魅力も存在価値もありません。それでもあなたは最後まで耐え忍ぶ、と言って教会に来ているわけですが、それは一体何のために?
推察するに親が教会員だから子供の時に無理やり連れてこられて、ずるずると惰性で生きて信仰の真似事をしてきたんですか?
予言者を素直に信じてきた人たちがなぜ教会を離れていくのか、あなたは真の理由を理解していませんね。あなたはそれを彼ら自身のせいだと考えている。目がくらんでいるのですよ。
はっきり言うとあなたたち少数の毒麦が教会に長年居座って、善良な人たちを駆逐してしまったのです。あなたに、自分のしてきたことの責任を取れとは言いません。私はあなたも(自覚は無いでしょうが)歪んだ信仰を持たざるを得ない立場におかれた被害者の一人だと思います。
しかしあなたのような人が予言者を信じ従う人たちに悪影響を与えていることは間違いありませんね。
繰り返しますが、預言者は謝罪などする必要がないし、基本的に謝罪はしないものです。
いくつかの有名で分かりやすいフェードアウトについては先に例を挙げました。気に入らなくても事実ですから、目の前の気に食わない石を見つめなければ、石が消えてなくなるものでもないでしょう。
これは無知か知ってるかだけの違いであって、イカレテルとかイカレテないの問題に論点をずらすべきではないのでは?
現在の教会内で、長く集ってきた模範的な教会員たちに、ジョセフスミスやブリガムヤングが信じていたこと、やったことすべてが完璧に正しかったと思うか?
と個人的に質問すれば、ジョセフがしばしば主に叱られていましたよ。 とか原稿を人に見せて紛失したという話から、大概の結論は完璧でなかったにせよ、会員はそういうことに文句を言わず、預言者の言葉にしたがえば良いという結論となります。
あななたちがやる方法のように、大管長会の発言(指導者でも間違いをする事がある)
http://www.nytimes.com/2013/10/06/us/a-top-mormon-leader-acknowledges-the-church-made-mistakes.html?smid=tw-share&_r=1
などを手玉にとってこちらの言うことを聞かす必要などありませんです。
お硬いといわれる日本の教会内でさえ、万博の時代と違って、生ける預言者そのものを信仰の対象にしないで、イエスキリストに頼るべきという冷静な会員が主流であって、指導者は絶対に間違いがないから全部信じるべき、そうでない者は背教してるなどという会員は、いても1人か2人、もしくは0人になってしまっているようです。
同感・同意する部分があります。それは「(自分の)勝手な解釈」です。一応教会歴はなが~いですが、教会を去った方の中には、このような方々を何人も見ることがありました。私は、よく勝手な解釈をしないようにと個人的にお話しすることがあります。何年前かの総大会では、飛行機の進路を1度擦れて修正しないと行き着く場所が大きく違ってくるという話をしていました。大管長会の方です。
次に「カトリック(プロテスタント)教会は間違っている」そういう話を末日聖徒は言うべきではないのと思っています。たとえ行ったことがあったにしても。ちなみに私は、行ったことがありますが。末日聖徒と他の教会を説明する時に「間違っているから」と言うことを聞きますが、言い方がすごく違うように思えるのです。私自身、カトリック教会には敬意を持っていますし、2000年の間も歴史的にいろんなことが起こり、それでもこうして守ってきたのですから。
「伝道は戒めではないから」という若い兄弟もいるのは、若い時に親も含めて私たち大人の会員がきちんと教え伝えることができなかったことにも要因があり、反省すべき点があります。「戒め」ではないが「義務」であると言われていますね。
いろいろ学ばせてもらいました。
主は予言者を信じよと言った、その予言者は間違ったことを言う、しかし訂正はしない、それを受け入れない人は謙遜ではなく、教会を離れていくのだ、と
どんな教会だよ、それ(笑)
NJさん、あなたどう思う?
まさに末日ですね~、完全に終わってますよ、モルモン教会(笑)!
世間では、完全とか真実に対する諸条件があり一致した場合完全や真実を宣言することができるが、教会では自らの感情に訴えるものがあることが真実の定義になると言うことである。
教会では、世間の理論で間違った事象でも感情が正しいと感じれば真実になる。たとえ理論的に破綻があったとしても感情が正しいと告げるものは正しいというのが教会である。
しかし感情的な直感を侮ってはいけない。
理論だけで行動できる人間は少ないから
人は感情に突き動かされ行動するんだ
と子供に教えてきました
勉強しなきゃいけないとわかっちゃいるけど、できない子供です。勉強したいと感情に突き動かされてくれないかなU+2757
私も、意見を持ってはいますが、理解されなくったていいわと思っているので、あまり熱くなりません。
脱会者のお気楽なところかもしれませんが、守る物もないので、案外いろんな意見を素直に聞けるような気もします。
一つ思うのは、裁きはイエスに任せたら楽になるということです。
私など教会的に言えば、<地獄の炎で焼かれる立場>なのでしょうが、この世に生きている間に良心を失わなければ、イエスの憐れみを受けられると考えています。
教会の教えではなく、イエスの愛に改宗した人は、
イエスのように、敵にも憐れみをもって接することが出来ると思うのです。
”思想”や”教え”というものは、時に愛や奉仕を限定的にしてしまうと感じています。
キリスト教というものは、神と悪魔の対立から始まっていますので、いつも対極にあるものに拒否をしてしまう傾向があるようです。
私は、福音の理想的な結末は神と悪魔の和解なのです。
裁きや認め合うことができないのは、福音の根底に戦いがあるからかなと思います。
こんな意見こそ<裁き>をしているようで申し訳ないのですが、リベラルモルモンは接点、妥協点を両陣営のために模索している立場であると考えています。
皆様の知性で、教会の今後を良い方向に向かわすことができればいいなと思います。
「知的モルモン」とは一部の教会員 がそのように自称しているのですが、モルモン会員の中でも物事を良く知ってる人みたいな意味でしょう、正しくはそう自称してる人に聞いてみてください。
ただし彼らの実態は小難しい屁理屈をこね、詭弁を弄しては教会の教えを勝手に解釈して、モルモンとしてなすべきことはしないのに、美味しいところはちゃっかりいただいちゃう人たちです。
たとえば親が教会員だったり、若い頃改宗したのに伝道に行かず、理由をたずねると「伝道に行くのは戒めじやないでしょ」なんてしれっと言いますね。
また自分と何も関わりがないのに他の会員が世間で評判となると「あの人私と同じモルモンです」と言ったり、一度も行ったことないのに「カトリック教会はモルモンに比べると」などと間違いだらけの御高説をぶちあげたり、内村鑑三を引用しては「モルモンと似てますね」と言って見たり・・・
本当の知識人からすれば恥ずかしくてたまらなくなる、みっともない連中です。そんな人達に大人気なのがこのブログの主催者さんなのですが、逆に言うとそう言う人たちからしか相手にされていないのかも知れません。
最も多いのは、試しにバプテスマを受けてみた。教会員や宣教師の証に感心してバプテスマを受けてみたけれど、イメージが違っていて、しかも世間から憎まれるのが嫌で、あるいは責任が面倒くさくてだんだん嫌になって来なくなる方々です。
彼らは福音をまだ聞いたことがない側の方々ですから、大丈夫でしょう。
次に高齢化であるいは病気で、あるいはお仕事がハードすぎて来ることが出来ない方々。
これは肉体が弱いから、あるいは弱くなったからですから、個人的にですが全然大丈夫だろう、それほど心配はないだろうな、と思っています。
ユニットは明かせませんが、バプテスマを受けられた方々の6割は来られなくとも概ね善良である。そんな感じですね。
問題なのは残りの次の方々でしょう。
①預言者は神から召されたから完璧に決まってる。と勝手に決め付ける。(この時点で偶像崇拝。他人にも要求するから迷惑する)
②預言者が、あるいは教会が完璧なんだからと言われたことは何でもガンバル(頑張るのはいいけど)
③長年教会に尽くしてきて地位も得て、当然ながら預言者や教会が完璧ではないことがやっと分かってくる。
④何らかのきっかけで突然ボッキリと信仰を折って捨ててしまう。 そして手のひらを返したように、預言者や教会を馬鹿にしはじめ、謝罪を要求したり、最悪の場合反モルモンに切り替わって、憂さ晴らしを始める。
自分がマッチポンプ中毒だったことを認めて悔い改めれば良いのですけれどもねぇ…。 ザンネンというほかありません。
①預言者は基本的に謝罪をしないものです。
②預言者でさえ間違いはあるのです。
③主がおっしゃることは「生ける神の預言者を信じなさい」です。
何の破綻があるでしょうか? 実にシンプルです。 偏屈だったり、謙遜でない人は、これを受け付けることが出来ないのです。
あなたの理論は完全に破綻しています。負け惜しみと開き直りでグダグダですよ、お気づきですか?
「生ける神の予言者を信じなさい、しかし彼らは間違いを犯して訂正はしません」これが教会員Rさんの主張です。
もし生ける神の予言者が福音について何度も間違うのであれば、それは訂正して謝罪しなければなりません。教会が教える悔い改めのステップは以下のようなものです。
1.自分の罪を認める。
2.罪を捨てる。
3.罪を告白する。
4.償いをする。
5.神の戒めを守る。
もしあなたの言う通り予言者が間違いを犯し、ほったらかして知らぬ間にフェードアウトを繰り返しているのならモルモン教会は会員に教えていることを自ら行っていません。それは世間的に言えば不誠実でデタラメな宗教団体ですし、モルモンの世界観で言えば堕落した教会です。
イエスの時代の初期のキリスト教会はサタンの企みと、この世的な人間の考えが入り込んだ結果、次第に真理から離れ背教しました。ところが生ける予言者によって回復された末日聖徒イエス・キリスト教会は予言者そのものが間違っているので2割の人を残してみな教会を離れてしまった、ということになりますね、あなたの理屈だと。
科学は万全ではない、科学者はしばしば間違いを犯して訂正をする。しかしモルモンの予言者はしょっちゅう間違いを犯して訂正すらしない、でもそのことに気付いている2割の教会員だけが最後まで耐え忍べるのだ、ということになりますね、あなたの理屈だと。ふざけるのもいい加減にしなさいね。
政治家が公約を破って謝罪する、企業のトップが過ちを犯して謝罪する、テレビでしばしば見かける光景です。しかしモルモンの予言者はそんなこの世的な人たちのようなみっともないことはしないということですか?世間よりも高い標準を身につけましょう、この世を照らす光となりましょう、地の塩となりましょう、そう教えながら自分は間違いを教えたままフェードアウトで済まされるわけはありませんね。
今までの生活を捨ててモルモンに改宗した人をたくさん知っています。彼らは乏しい収入の中から什分の一を収め、神殿建築資金を捻出し、子供を伝道に送り出し、従順に予言者に従いその言葉を受け入れついてきた、それは福音を真実だと信じ、予言者を信頼し救いを望んだからです。
ところがあなたは、予言者が完璧だと信じてる人たちは暗い顔つきでつまらないことが原因で教会を離れて反モルモンになるという。それならば問題があるのは予言者を信じてきた人たちではなく、その信頼を裏切り続けた来た教会側にあるのではありませんか?なんだかんだと言ってあなたが一番信仰を失っているんじゃないですか?それとも『実は予言者が間違っている』という切り札を出せば、相手を論破できるとでも思ってるのでしょうか。
あなたも末日聖徒イエス・キリスト教会とその教会員たちと長年かかわってきたのでしょう?しかしどうしてそんな言い方ができるのか不思議でなりませんね。なにかまるで自分の父親の仕事が詐欺グループで人をだまし続けてきたことに気が付いたけれども、それで自分の生活が否定されないように必死で正当化している人、そんな感じに映ります。
繰り返しますが「生ける神の予言者を信じなさい、しかし彼らは間違いを犯して訂正はしません」これが教会員Rさんの主張です。
なるほど非常にシンプルですね。しかし伝統的キリスト教会の教義よりも「複雑怪奇」なのは間違いあいりません。
ご自分では福音の深い部分だと考えておられるのかもしれませんが、理屈の上でも倫理観の上でも完全に壊れています。
事実はことごとくこれを信ぜよ。
その時には相衝突するがごとくに見ゆることあるとも、あえて心を痛ましむるなかれ。
事実はついに相調和すべし。
その宗教的なると科学的なると、哲学的なると実際的なるとにかかわらず、すべての事実はついに一大事実となりて現わるべし。
われら、理論の奴隷たるがゆえに、しばしば懐疑の魔鬼の犯すところとなるなり。
神の言たる事実にのみたよりて、われらの信仰は磐石の上に立って動かざるべし。
ーーー
福音のテーマの論文を読んで上の内村鑑三さんの言葉を思い出しました。
それと昔の聖徒の道で読んだ記憶があるのですが、科学的事実も真理の一部である。的な話を読んだ記憶があります。(ソレンセンさんの記事だったか)
まぁアメリカ人というのは意外と原理主義的思考の強い民族なんでしょうね。未だに創造論肯定の施設があるそうで、それはそれで尊敬に値しますが。
福音のテーマの論文は保守中道モルモンのわたしにも有益な情報だと思います。
NJさんのおかげで予習ができていたので、確かに既知の事実でしたが。
聖典はいわゆる史実ではなく「神の言たる事実」なのでしょうね。
「知的モルモン」
ってどうゆう人を表すのですか?いつも疑問に思っていたものですから。
地方の教会員さんへ
地方のユニットでは深い話をしたくてもなかなか相手が見つからないことが多いようですね。
地方の教会員さんが言うように、深い教義など達した会員の方々は教会を離れることはありませんね。自分の所属しているユニットの会員の方々を見ているとわかります。深い話ができる相手が見つかると良いです。既婚者でしたら、伴侶と深い話し合いはなさらないのですか?
他にはジョセフスミスは一般論としてネイティブアメリカンの先祖がユダヤ系だと公言して間違いました。 現在の教会はそのような遺伝子プールが完全にない、ということは否定仕切れないという風に修正してフェードアウトしました。
他に有名な間違いはブリガムヤングはアダムを天父であると間違えてしまい、公然と説教などしていましたが現在は完全にフェードアウトです。
アフリカ系黒人の肌の呪いについても、預言者の立場の方々の支持があったわけですし、フェードアウトですよね。
以上の例だけ見ても、個人的には、「主の代弁者が主の民を間違った方向に導くようなことを,主は決してお許しにならないのですから。』という見解が間違いであると思っています。
少なくとも主の代弁者が、一時的には主の民を間違った方向に導くようなことを,主はお許しになっており、科学力でも外圧でも使っていずれ修正されて元に戻されるということは、証できますよ。
あなたはもう少し理知的な話ができる人かと期待したのですが。
まずあなたは、あれこれと思いつくままに語っておられますがその根拠、出典を一つも示されません。ただの思い付きで話をしているとしか判断できません。
次にあなたは、予言者を完璧と頭から信じるから信仰を間違えるのだ、みたいな話をされていますが、それはいったい誰と何の議論しているのでしょうか、意味不明です。
予言者とは、主がご自身の御心を伝え、全人類に広めるように予め任命されていた高貴な霊です。単なる組織の代表者ではありません。私は生ける神の予言者が語ったことを間違えないように根拠を示しながら、また教会で学んだことを思い起こしながら繰り返しているだけです。
しかしあなたはご自分で勝手に判断して『ああ、最近あの戒めを聞かなくなったなぁフェードアウトしたんだろう、守るのやめた』と思っているようです。神様はご自分が地上の人に命じたことをそうやって取りやめるとお考えですか?旧約聖書をみればイスラエル人が自分勝手に判断して神の命令をないがしろにし、叱責を受けている話がたくさんあります。
私がいつも思い起こすロムニー長老(後の副管長)のエピソードです。
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わたしが何年も昔にビショップを務めていたときの経験を紹介しましょう。わたしはヒーバー・J・グラント大管長をワードに招いて話をしてもらいました。……グラント大管長はわたしのそばに立ち,わたしの肩に腕を回してこう言ったのです。『マリオン,教会の大管長にいつも目を向けていなさい。そして大管長が何かするように言ったら,それが間違いであっても,実行しなさい。そうすれば,主から祝福を受けるでしょう。』グラント大管長は瞳をきらりと光らせて,言葉を続けました。『でも,心配する必要はありません。主の代弁者が主の民を間違った方向に導くようなことを,主は決してお許しにならないのですから。』
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(https://www.lds.org/manual/teachings-of-presidents-of-the-church-ezra-taft-benson/chapter-11-follow-the-living-prophet?lang=jpn)
教会員Rさん、あなたは予言者を間違ったことを言うことがあるとお考えですか?それなら何でもいいですから間違った出来事の例を挙げてください。普通に考えて、もし予言者が教会員を導く説教で間違いを語ったのなら、私がその立場ならみんなに謝罪して訂正します。それが当然のことですから。しかし生ける神の予言者がいつ間違えましたか?
もし彼らが何か間違ったことを言ったのなら、当然ながら謝罪と訂正があるはずですが、ありましたか?なかったということは正しいのです。またもし時代が変わってある種の戒めが変更になったら、それは知恵の言葉や多妻結婚や黒人の神権のように、発表があるはずですが、ありましたか?
それと私の祖母を引き合いに出したたとえ話でどんな答えをいただけるか楽しみにしていましたが、ビショップに相談すればいいとのこと、結局あなたは何の頼りにもならない人だと思いました。あなたの考えに振り回されて予言者の教えを軽んじた人がいたら、あなたはどのような責任をお取りになるつもりですか。
いや責任などとはお考えにならないのでしょうね。先の発言を見る限り、教会を離れた人へのあなたの反応の冷たさには驚いています。
事実フェードアウトするものがあるわけですから、それは真理ではなかった、神が撒いたものではなかったからフェードアウトしたのだ。と理解するのが普通の考え方ですよね。
逆に質問しますけれど、そういうことならば、預言者は信仰の対象になってしまいます。 それって偶像崇拝につながると私は思います。
教会の教えはどうなんですか?イエスキリスト・父なる神・精霊を信じなさいとしか教えていないです。預言者については従いましょうですよ?
いつかはこれに気づかねば、マッチポンプ理論(勝手に預言者を完璧だと定義しておいて、完璧でない事実を知って、鉄の棒を放しちゃいます)。
戒めについて。
えらい叩きようですが、こまごましたことは大管長や預言者が決めている(その権能があるから)と、発言しただけです。だから守らなくて良いとは言ってません。
イエスの戒めは神を愛せよ、隣人を愛せよという核になる律法があって、それに付随したほんのいくつかの律法(従順の律法や十分の一の律法など)があるだけです。
教会が教えるこまごましたメッセージや勧告は例えるなら階段の一段ずつみたいなものであって、大量に戒めがあるわけではなくて、それらのうちのいずれかの補助的な一部と気づいた方がよいですね。
次から次から新手の教会の戒めが出てくると思い込んだら、その会員は絶望していつかは鉄の棒を放すかも知れません。
あなたは戒めをしんどいと言いましたが、私はしんどいとは思わないです。 梯子や階段があったほうが安全かつ楽に二階三階に上がれるくらいにしか思わないです。
十分の一について。
大管長は税引き前と言っていないのかも知れませんが、教会内では昔から税引き前税引き前とうるさい指導者がいた(おまけに手引きか何かに書いてあったと記憶している)ので、うかつに錯覚したかも知れません。
教会はただ単に「全収入の」10%であると教えています。
ごくあたりまえに考えたら「収入」=「所得」+「所得税」ではないでしょうか。 そうではない「全収入」=「所得」だと信じる教会員は所得の10%で完全になるのではないでしょうか。
年金について
当たり前の理解では「年金収入」ですよね。10万なら1万だと思います。 一方で年金は収入ではないと考える会員は十分の1を納める理由はなくなると思われます。
とにかく教会の教えは全収入の10%であり、それをを収めて生活できない教会員さんは、事前にビショップに相談すればよいだけではないでしょうか。
私がいつも知的モルモンを胡散臭く思うのは、彼らがそう言うオーラを振り撒いているところなんです。
まぁ今回はっきりホンネを聞けたのは収穫でした。
一方はバプテスマを受けてから最後まで耐え忍べないタイプと、耐え忍べるタイプです。
残念なことですが、最後まで耐え忍べないタイプの教会員は、預言者が完璧であると頭から信じ、ジョセフスミスには出来合いの完成品の教会が神から与えられたと信じています。 預言者は神に召されているので、彼らにとって説教や文章のすべてが教義であり、すべてが強制的に守るべき戒めだと信じており、他人もそうでなければ気がすまない。
彼らは傍目には強いようでいて、寛容性がないので、どことなく顔が暗くて、すべてがうまくいかず、ある日突然、つまらない原因でポッキリ折れて教会を去ったり、時には反モルモンに宗旨替えしてウサを晴らすようになります。
賢明なタイプの教会員は宣教師やABレッスンで学んだ話をよく聞き、信仰の対象が預言者でもなく、教会でもなく、それらを生かしているイエス・キリストであることをよく理解しています。
教会が言うところの完全の意味と完璧が異なることを理解しています。
預言者を通して回復された福音の内容は、「神権」と「救いの計画」と、救いに必要ないくつかの分かりやすく重要な「福音の原則」と、「儀式」それだけだと理解しています。
上記の文章を分かりやすく言いますと・・
モルモンの教義を真面目に信じた馬鹿なやつは天国に行けない。
要領よくモルモンの会員として一生を過ごせば天国に行ける・・・
ってことですかね?
ああ、彼らはそんな風に思ってるんだなぁと。
知的モルモンの心の闇は深いですね。
教会の公式サイトに、かつ日本語でこのような資料が読めるのは、豚にとってはまことに有りがたい事です。
全部読むのは、まだまだ時間がかかりますので、ほんの一部だけ、興味を持った部分を紹介します。
下記は、「アブラハム書の翻訳と史実性」の最後の文章です。
これを読むと、モルモン教会は、アブラハム書の史実性を否定していることがわかります。
宗教的な意味で、真理ではあるが、学術的には史実ではない。
と言う事なんでしょうね。
豚が思うには、「宗教的真理」等と言うのは、インパクトが薄いんですよね。
モルモン書が世に与えた「新しい事実(史実)」と言うインパクトが無くなった時に、モルモン教会は、何をもって、その独自性と、優位性を世に示すのでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・
まとめ
アブラハム書の真実性と価値は,この書の翻訳と史実性に関する学問的な議論によって計ることはできません。 聖文としてのこの書の立場は,それが教える永遠の真理と,それが伝える力強さにあります。 アブラハム書は,神の属性と,神とその子供であるわたしたちとの関係,ならびにこの死すべき生涯の目的に関する深遠な真理を伝えています。 アブラハム書が真実であることは,結局のところ,その教えを入念に研究し,心から祈り,御霊の確認を得ることによってこそ理解できるのです。
https://www.lds.org/topics/translation-and-historicity-of-the-book-of-abraham?lang=jpn
共鳴を感じる書き込みが数多くあって心が動きます。それぞれに立つ位置やスタンスが一様でなく、どなたに賛成と言うことも簡単ではなく、また言っても当惑されるかもしれません。
ただ、議論が数も増え、白熱してきますと、ハンドルネームで話者を判別しにくくなります。「教会員」とか[unknown]だけでは見分けられないので、後に数字、とか地域名とか、何か特徴となる言葉などを加えていただければと思うことがあります。
でも、遠慮なく投稿してください。
(このハンドルネームは嫌ですね、すべての教会員にむけて語っているような気分にさせられます)
あなたはご自分の思いを『これこそがモルモンの教義である』と思い込んでいるだけです。
少なくとも私は生ける予言者の言葉を、出典を示して語りますが、あなたは一つもそれをしない。
その上、教会員には2つのタイプがいて・・・などと何の調査もせずに自説を雄弁に語られますが、その内容がすでに破綻していることにお気づきですか?あなたの説が正しければ、預言者が完全だと信じ込み、戒めは全て守るべきだと信じ込んでいるので最後まで耐え忍べない(これは従順な会員たちへの嘲りにも聞こえます)。
そして最後まで耐え忍ぶ教会員は2割しかいない・・・では何のために伝道をして世界に福音を広めているのか、という話です(もっともその2割という数字の根拠もあなたは示していませんが)。それであなたはその2割の中にいるわけですね?予言者が間違ったことを語る不完全な人だと知っていても口にはせず、しんどい戒めについては100%守らなきゃいけないとは言われてないからと言い訳しながら、それがモルモンの信仰なのですか?完全に壊れた世界ですね。
そうではないでしょう。最後まで耐え忍ぶというのはリーハイの夢にもあるように鉄の棒をしっかり握って前へ進むことです。それらの象徴は、神の言葉、生ける予言者の教え、戒めに従順であることです。
あなたは什分の一が税引前だと大管長は言ったと言いますが、それこそ聖典のどこにも書かれていませんよ。私の理解では指導総合手引きの中に『総額の10パーセント』とあるだけです。この点でもあなたは不正確な記憶と自分の判断で物事を言ってる気がします。
何でも自分で判断するのは構いませんが、あなたがそれを教会の公式だと考えているところに問題があります。その一方であなたは、生ける予言者が全世界に向けて語り、教会があらゆる言語に翻訳している総大会の説教については『時代とともにフェードアウトしていくものだ』とか『相対的な資料』と脇へ押しやるのです。あなたの『公式』の判断は滅茶苦茶です。
ひとつ考えていただくために例題を考えていただきたいです。私には年老いた祖母がいまして、もう耳もよく聞こえず、老人用カートなしでは10メートルも歩けないほど足腰が弱っています。当然もう働いてはおらず年金暮らしです。かりに彼女が改宗したとして『什分の一はいくら収めればいいの』と訪ねてきたとき、あなたはどういう『公式』を伝えますか?きちんと出典を示して説明してください。
>彼らは傍目には強いようでいて、寛容性がないので、
>どことなく顔が暗くて、すべてがうまくいかず、
>ある日突然、つまらない原因でポッキリ折れて教会を去ったり、
>時には反モルモンに宗旨替えしてウサを晴らすようになります。
教会を離れた人をあなたがどういう目で見ているのか良く分かりますね。『サタンに誘惑されて教会をやめた』『戒めを守れず罪を好んだ』などと酷い陰口をたたく人もいますが、あなたも本質的に同じです。
私の住んでいるところの教会員同士でここまで深い話はありません。
ここ最近教会に来なくなった6人の方のうち3人の方はモルモン書を読んでも意味が理解できない人でした。リアホナにいたっては、フリガナがやさしく打ってないので、他の教会員の助けなしには読めないような方でした
来なくなるべくして来なくなった方でした。
ここまでの深い教義にたどり着いて教会から離れる方は、地方にたくさんおられません。
ただ、教会から離れるため、自分を納得させる合理的な理由にされる方はいらっしゃいました。
教会を離れる方の心の健康のためにはこの手の教義が必要かもしれません。
当然のことですが、時代とともにフェードアウトしていくような知識やトリビアはたとえ預言者の述べた説教や発言であっても真理や福音とはいえません。
教会の中にはふたつのタイプの教会員がいます。
一方はバプテスマを受けてから最後まで耐え忍べないタイプと、耐え忍べるタイプです。
残念なことですが、最後まで耐え忍べないタイプの教会員は、預言者が完璧であると頭から信じ、ジョセフスミスには出来合いの完成品の教会が神から与えられたと信じています。 預言者は神に召されているので、彼らにとって説教や文章のすべてが教義であり、すべてが強制的に守るべき戒めだと信じており、他人もそうでなければ気がすまない。
彼らは傍目には強いようでいて、寛容性がないので、どことなく顔が暗くて、すべてがうまくいかず、ある日突然、つまらない原因でポッキリ折れて教会を去ったり、時には反モルモンに宗旨替えしてウサを晴らすようになります。
賢明なタイプの教会員は宣教師やABレッスンで学んだ話をよく聞き、信仰の対象が預言者でもなく、教会でもなく、それらを生かしているイエス・キリストであることをよく理解しています。
教会が言うところの完全の意味と完璧が異なることを理解しています。
預言者を通して回復された福音の内容は、「神権」と「救いの計画」と、救いに必要ないくつかの分かりやすく重要な「福音の原則」と、「儀式」それだけだと理解しています。
回復された福音の原則だけが戒めの本質であって、そこから導きだされた細則をただ守っているだけでは、戒めは守れていない人とあまり変わらないということもよく知っています。
十分の一は税引き前のものを捧げるべきというなどの、解釈を細かに決めたり、することは、大管長の決定事項であって、その時代その時代に合わせた教会運営の鍵を主から託されているので、われわれは喜んでその決定にに従うのみです。
教会も成熟しますし、更に成熟する余地があることもよく知っています。
現代の末日聖徒イエスキリスト教会を通して、現時点で教えられていることを精一杯やれば十分救われることを理解してますので、200年前や100年前、50年の説教はその時代の理解を含んだ相対的な資料だと考えています。
バプテスマを受けて残る2割の多くはそういう人たちが多いです。
>あなたの言う通りであれば、賢明な教会員は『大管長のヤツ、またテキトーなことを言って間違えてやがるな』と心の中で嘲笑いながら・・・
教会員が大管長でさえ不完全であるということを理解していることと、心の中であざ笑っていることは全く別の概念です。
何故ならば、「福音の原則」で教えられているそのものが聖約であり、教義でもあるからです。
伝道に行く若い人には、福音の原則をよく学ぶように教えたことがあります。
公式な宣言を行うのであれば、大管長が啓示を受けて顧問に提示し、それを承認した上で、十二使徒定員会へ提示されて、全会一致でそれを承認するようになっています。その後、他の中央幹部の全会一致により承認受けて、公式な宣言されるそうです。ということならば、公式な教義を宣言するならば、同様な過程が必要となり、教義と聖約に追加されると思われます。
もし「主がこういわれる」と話されるとしたなら、私は、主イエスとお会いしたことで話をされたと言うこととして認識します。
一般的伝統的キリスト教会の中には、牧師さんや神父さんがこの末日聖徒との違いを学ぶために勉強しているそうです。
私たちも時間があれば、一般のキリスト教会の教えていることを学び、末日聖徒と違いを知ることも時として必要なのかも知れませんね。
>公式・非公式とえり分けるも何も、そもそも教会の公式の教義自体が
>子供でも理解できるような、非常に単純明確で驚くほど数が少ない
さて、あなたに対しては少々言いたいことがあります。
末日聖徒には公式な教義が少ないのではありません。生ける神の予言者が私たちに語るときにわざわざ『主はこう言われる』とか『これから話すことが公式教義である』とか、いちいち断りを入れないだけのことです。これはモルモン教会の伝統的慣習です。
それをいいことに、モルモン教会には公式な教義は少ない、だから強制的に従わなくていいのだ、とタカをくくっていらっしゃるのでしょうか?では、あなたは知恵の言葉が当初戒めでなく、警告として与えられた経緯をどう説明なさるのですか。『いきなり戒めとして強制させると困惑する会員が出てくるから、まずは警告という形にされた』そのような説明をしませんか?
もう、おわかりですね?生ける神の予言者が『これは公式な教義であるから強制的に受け入れよ』と言わない理由と、それに対して末日聖徒がどのように受け止めるのかは。
またあなたは、こうも言いました。
>本当に賢明な教会員は神が召された預言者は完璧であって
>一つも間違わないとは信じておらず、
>批判してはならないと信じています。
あなたの言う通りであれば、賢明な教会員は『大管長のヤツ、またテキトーなことを言って間違えてやがるな』と心の中で嘲笑いながらも、決してそれを口にせず、批判もせず、『感謝を神に捧げん、予言者の導き♪』と讃美歌を歌うのでしょうね。
それであればモルモン信仰とは、あなたが『複雑怪奇』と揶揄するキリスト教会の教義よりも、より一層複雑怪奇な信仰でありましょう。
>エンサイン誌は本家のlds.org に1971年以来45年分が掲載されています。
はい、それは存じております。1960年のキンボール長老の説教は公式サイト上にない、だからBYUサイトから引用したと言いたかったのですが言葉足らずでした。
MYさん
>さて、鯖の味噌煮さん、先日は答えて下さってありがとうございます。とても感謝しています。
いえ、とんでもございません。
ところで私が伝道中に同僚から聞いたジョーク
「来世での3つの驚き」
1.あれ、私が昇栄している!
2.おや、あの人も昇栄している!
3.なぜだ、あの人がいない!?
お後が宜しいようで
特権主義や聖約の子とかが影響しているのかなと感じました。
ちなみに私は、来世を信じていますし、イエス・キリストの再臨を信じています。
教会員さんのコメントにも共感するところ納得するところがありました。
さて、鯖の味噌煮さん、先日は答えて下さってありがとうございます。とても感謝しています。
それを見て末日聖徒は彼らの潔い態度に倣うどころか、『またカトリックが悪事を認めましたね』と手を叩いて喜び、『モルモンは異端審問とは関係ないから』と他人のふり、普段はあれほどモルモンをキリスト教に認めないことをけしからんって言ってるのにね。
キリスト教に加わるってことは先人たちの過ちも甘んじて受け入れることなんだよ。末日聖徒にそれは永久に出来ない。
だって他人の罪に関わらず、シミのない衣を着て天国の特等席をもらいましょうと言うのがモルモン教義だからね。ファーストクラスで永遠の生命を!さぞかし快適だろうね?
ああ、ごめんなさい、知的モルモンの方々は来世なんて信じてないのでしたね。頓珍漢なことを言ってすみません。
モルモンの教義は一般のキリスト教に比べてどうのこうのって、物識顔で口にする末日聖徒は多いけど、キリスト教会の教義をまともに知ってる末日聖徒なんていないでしょ。
私は改宗して35年だけどそんな人、一人も出会ったことないわね。
あなたはどれ程知ってるの?
2013年度版の聖典は、いったいなんだったの
少なくともNJさんにとってキリスト教と日ユ同祖論は同レベルなのだと感じます。
(www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/bible54.html)
>ジョン・ドゥ さん
私は日ユ同祖論に賛成していません。民間神話のようなものと思っています。
>鯖(さば)の味噌煮さん、
エンサイン誌は本家のlds.org に1971年以来45年分が掲載されています。
モルモンの教義は、一般キリスト教のよう複雑怪奇ではなくても良いのがなぜ分からないのだろう。
モルモン書を含めて聖典に書いてあっても、また右手で支持された予言者の偉い一人が公式の場で、あるいは書籍でひとたびこう述べたなら、注目すべきであっても、だからと言って直ちに教会の教義に決定ともならないし、救われるために信じなくてはならないことにもならないです。
本当に賢明な教会員は神が召された預言者は完璧であって一つも間違わないとは信じておらず、批判してはならないと信じています。
そのことが分かる良い例が、①~⑥ってことでしょ。時代が進めば教会も成熟してきて、コメントも合理的にできるようになってくるならそれは歓迎すべきことです。
それを無理やり「不信仰」に結び付けたい人々がいて、困ります。
先の十字架かゲッセマネか論にしたって、「耐え難い苦痛はゲッセマネ」であったからと言って、イエスの十字架の死が軽減されてどうでもいいことにはならないでしょう。聖餐の水が重要か水が重要かなんて、まともな教会員は分けて考えないですよね。
http://scriptures.byu.edu/gettalk.php?ID=1091&era=yes
エンサインのバックナンバーは公式サイト上には存在しません。
なおここでキンボール長老はインディアンという語を使っています。ネイティブ・アメリカンとは呼んでいません。しかしだからと言ってキンボール長老が差別主義者だったかとは言えません。1960年当時、ネイティブ・アメリカンという語は誰も使っておらず、おそらく世界中の人が彼らをアメリカ・インディアンと呼んでいました。
ただし、同様に『1960年当時だから』という理屈でもってキンボール長老が使ったレーマン人の皮膚が白くなるという表現を、『彼が古い考えに支配されていたのであり教会の意向とは違う』とは言えないことは理解できますでしょうか?
レーマン人とその歴史については、末日聖徒イエス・キリスト教会の聖典である『モルモン書』にのみ書かれたことであり、その正当な解釈をなしうることができ、生ける神から直接の啓示を受けている預言者であると全世界の末日聖徒が賛成の意思を右手の挙手で示すキンボール大管長(当時は使徒)の言葉であるからです。
公式な聖典に関して、公式な総大会で生ける神の予言者が引用した説教を『それは古い考え方だから』と退けるのであれば、いったい何をもって教会の公式な姿勢を示すのでしょうか?
世間の受けが良いかどうかを基準にして、自分の勝手な思いのままに、これは公式、あれは非公式と選り分けているのなら、それは不誠実です。それがあなたがたの『研究』なのですか?
>LDS.org の評論では焦点(強調点)が異なるのであって、矛盾はないと説明している。
で、NJ氏も矛盾を感じないんでしょ?何か問題があるんですか?
④ モルモン書とDNA研究
モルモン書に登場する人々の子孫の遺伝子であれば検出可能です。生ける神の予言者は以下のように末日聖徒に宣言しました。
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「南太平洋諸島に住む聖徒たちに向かって,〔スペンサー・W・〕キンボール大管長は次のように語った。『教会の大管長であるジョセフ・F・スミス大管長はこのように報告しています。「ニュージーランドから来た兄弟姉妹の皆さん,皆さんに知っていただきたいのです。皆さんはハゴスの末裔です。」
ニュージーランドの聖徒たちはこれを聞いて安心しました。主の預言者が語ったのです。
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http://ldschurch.jp/bc/content/Japan/gospel-library/manuals/institute/institute-bom-student-manual.pdf
(インスティチュート『モルモン書』生徒用資料 p.248)
② 人種と神権
生ける神の予言者は使徒時代に総大会で以下のように末日聖徒に教えています。NJ氏がヒンクレーが総大会で語ったことを元に教会の十字架への姿勢への根拠とするなら、当然以下の説教も教会の姿勢であることを認められるはずです。
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「レーマン人の時代は近い。何年もの間、レーマン人は喜ばしい成長を遂げ、今や約束されたように、『皮 膚の色が白くて喜ばしい民』になりつつある。・・・20名のレーマン人宣教師の写真を見ると、その中の15名は非ラテン系の白人のように皮膚が白く、残りの5名は褐色であるが同じく喜ばしい民である。ユタの里親プログラムに参加している子供たちは、インディアン指定居住地のホーガン(土と木の枝で作り、泥や芝でおおったインディアンの住居)に住む自分の兄弟や姉妹たちよりも、白い皮膚をしていることがよくある。
・・・ユタの町のある医者はインディアンの少年を2年間自宅に預かったが、その少年は居住地から里子として来たばかりの弟よりもいくらか白くなっていたとのことである。これらの若い教会員は、『皮膚の色が白くて喜ばしい民』へと変わりつつある」
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(1960年総大会 スペンサー・W・キンボール)