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ゲツセマネの園と十字架

2015-07-16 00:25:15 | モルモン教関連


犠牲の死を前にイエス・キリストがゲツセマネの園で味わった苦悩と、実際にゴルゴタの丘で十字架にかかって亡くなった時とどちらが苦しかったか、その意義はどちらが大きかったのかについて、末日聖徒はゲツセマネにおける苦悩の方が大きく、むしろそこで実質上人類に対する贖罪の業は終わっていたとさえ言われてきた。(教義と聖約19:15-19)。

そのような傾向に対して、実際にイエスが亡くなったのは十字架上であって、それで贖罪の業が完成するのではないのか、とウッドベリーが率直に疑問をぶつけ(1983年)、英国の末日聖徒の学者デービスは2001年、LDS教会の救いに関する神学はゲツセマネにあるのか、カルバリにあるのかと問いかけている。そして、2009年、M.G.リードは教会が十字架を遠ざけ、象徴としての十字架も否定的に見るようになった経緯をまとめている。

リードはブリガムヤングの妻や娘が十字架の装飾品を身に着けていたこと、「正にここである」と峡谷を眺める位置に記念碑を建てる際、初め教会は市に十字架の建造物を建てるよう申請していたことなどに触れ、LDS教会が十字架を遠ざけるようになったのは比較的最近のことである、と言う。そして、その背景には米国プロテスタント教会の十字架に対する考えの大きな転換があることを紹介している。

初めプロテスタントが新大陸に移民し、ヨーロッパ大陸のカトリック教徒を嫌い、軽蔑していた。カトリック教会と十字架が固く結び付けられて考えられ、象徴としての十字架も軽蔑の対象となった。そのうち、カトリック教徒も新大陸に移民し始め、人数が増加すると十字架は嫌悪され、敵視されるようになっていった。末日聖徒もその風潮に同調し、十字架を毛嫌いするようになっていく。

東部において、やがてプロテスタントはカトリックと共存するようになり、周知のようにプロテスタントは今日十字架に敬意を払い、十字架は信仰の中枢に位置するようになる。象徴としての十字架も同様である。

ところが、末日聖徒はいわば西部に隔絶した形で存在し、プロテスタントの転換をたどることはなかった。時間の経過と共に敵視が和らいだとしてもタブー視する状況が続いている。

末日聖徒の間でも、上述のように以前は十字架を用いる人たちがいた。しかし、マッケイ大管長の時代に十字架を否定する考え方が制度化されたとリードは観察する。マッケイも後年、その考えをやや和らげているが、現在末日聖徒の識者の間でも十字架に対する感性は、敵意がずっと後退しているものの微妙(ambivalence)である。

参考
Joyce N Woodbury, “Christ’s Atoning Sacrifice: The Role of the Crucifixion.” Sunstone Nov-Dec 1983
Douglas J. Davis, “Gethsemane and Calvary in LDS Soteriology” Dialogue, 2001 Fall-Winter
Michael G. Reed, “Banishing the Cross: The Emergence of a Mormon Taboo” John Whitmer Books, 2012

当ブログ 2008.08.26 2008年サンストーンシンポジウムに出席して(1)

"Sunstone speaker attempts to explain LDS 'aversion' to cross" Deseret News, 2009/09/10


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33 コメント

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十字架! (モコポリ)
2015-07-16 08:20:41
いつもありがとうございます!

バプテスマを受けて20年になろうとしていますが
しっかり学べたのは広島の7年間だけで
他はバタバタしてじっくり学ぶことができていませんでした

十字架についても「十字架はキリストの死(苦しみ)を象徴するものだから・・」と、説明を受け、すぐに受け入れました。
逆に「いつもキリストの払って下さった犠牲を忘れないように身に付けるのも悪くはないのでは・・・?」とも感じていました。
しかし、しかし戒めなので守らなければならないとも思ってきました

いつも考えるテーマを提供して下さっていることに感謝しています
宗教学者のような難しい事は分かりませんが、
盲信ではなく、自分でしっかり考え・・又、導きを頂きながらこの路を歩んで行きたいと思っています
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お帰りなさい (NJ)
2015-07-16 21:33:35
コメントありがとうございます。中国から無事にお帰りですね。ほっとする反面、寂しくもあり複雑な心境ではないかと思います。

落ち着かれたら、九州か広島で報告会のような機会が設けられるといいですね。お話しをお伺いしたいと思っています。
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蛇足ですが… (zoo)
2015-07-16 23:19:08
【十字架を敬遠するようになった経緯】

U+A0先ず教会が設立された時代の米国で、プロテスタントは十字架を当時信徒を増やしつつあったカトリックのシンボルとして見ていた、その自然な流れの中でモルモンも教会に十字架を掲げなかった。ただし開拓者時代の写真や遺品からは十字架が多く見られるので、十字架に対するタブー意識はなかったことが分かります。


次にユタ州の開拓者記念碑の建設時(1947建立)に起きた議論があります。当初は十字架を掲げるデザインだったのが、当時ユタ州で教勢を広げつつあったカトリックへの警戒感から、十字架はカトリックのシンボルであるとの教会内での反対が起きた。その時に起きた反カトリックは現在は消えて、反十字架だけが教会内に残っている。というのが歴史的な流れになります。

ですからその議論以前は教会内に十字架に対してタブーは無かったと言えます。教会の七十人B・H・ロバーツ長老(1933没)の墓石には十字架が大きく刻まれています。

十字架を覚え我ら今集う、胸熱く燃やす御霊を注ぎませ 賛美歌111番「十字架を覚え」より
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死角 (nj)
2015-07-17 00:18:18
ありがとうございます。幾つかの記事を見て、やや急いで書いたため流れを厳密にたどることができなかったようです。出直して改訂を試みます。(気になっていたところを指摘されました。汗!)
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Unknown (Unknown)
2015-07-17 22:46:33
みなさんは多くのことを熱心に探求していらっしゃるようですが、不確かな人間の知恵や、限界のある知識に頼っておられるようです。みなさんが疑問に思うことのほとんど全ての答えは、生ける預言者の言葉を含む標準聖典の中、もしくは教会発行の書籍の中にすでにあります。

私は「モルモンと十字架」で検索して、主の預言者であるヒンクレー大管長の霊感あふれる言葉が見つけました。

------------------------------------------------
『これがその十字架です。主を拷問にかけた道具です。人の平安を破壊するように考案されたひどい道具です。主の奇跡の癒し、めくらの目を開け、死者を蘇らせた奇跡の業に対する邪悪な報いです。この十字架に主はかけられ、ゴルゴタのわびしい頂上で命を落とされました。カルバリーで死ぬばかりになっているイエスでした。墓から生けるキリストとして出現されました。十字架はユダの裏切りの苦い果実であり、ペテロの否定の総決算でした。
(中略)
キリストに従う者として、わたしたちは下品な、安物の、優雅でないものを使って、主のイメージの輝きを失わせるわけにはいきません。わたしたちが身に負っている主の名前の象徴をより輝かせるために、善良で、優雅で、寛大な行為をすること以上にふさわしいことはありません。ですから、わたしたちの行為そのものが、生けるキリスト、永遠の生ける神の御子に対する証を宣言する表現であり、象徴となるべきです。』
------------------------------------------------

十字架の扱いに限らず、あらゆる事柄について、末日聖徒は全会一致で主の預言者を心から支持します。それは主は預言者に示さないでは何事をもなされないことを知っているからです。

ゲッセマネの園で苦しみは、主が預言者に啓示として与えられたものです。みなさんは聖典を読まれていますか、教会が真実であると啓示を受けていらっしゃいますか。それをおざなりにして主に近づくことができるでしょうか。
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確認しました (NJ)
2015-07-17 23:32:49
"Sunstone speaker attempts to explain LDS 'aversion' to cross", Deseret News 2009/09/10 で確認しました。基本的に大きな改訂は必要ないことがわかりました。Reed はldsがマッケイによって制度的に十字架否定に流れが決まるまで、二極化していたと書いています。普通に今日のクリスチャンと同じように十字架を用いる人たちと毛嫌いする人たちの両方がいた、と見ています。
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こんな記載 (沼野)
2015-07-17 23:53:40
Unknownさん、有難うございます。ところで、お叱りを受けるかもしれませんが、lds教会の立場に近い表現を見つけましたので、引用します。

 「十字架刑の凄惨さは、それを直接的に救済の出来事として展開することを妨げたのであろう(例えばフランス革命における死刑執行の首切り台ギロチンのもつ聖餐な響きを比喩的に考えてみたらよいであろう)。[凄惨さゆえにNTで贖罪と関連して述べられることはない、と解説する。沼野]  岩波書店「新約聖書」2004年 用語解説

なお、ヒンクレー使徒(当時)は1975年、総大会の説教で「私はキリスト教会が十字架の象徴に敬意を表していることを尊重する」と語っていることも覚えたいと思います。
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Unknown (Unknown)
2015-07-18 02:21:38
>ヒンクレー使徒(当時)は1975年、総大会の説教で「私はキリスト
>教会が十字架の象徴に敬意を表していることを尊重する」

公式サイトの『聖徒の道』バックナンバーを探しましたが、該当の発言は見つかりませんでした。

世の中には存在しないものを『有る』と言い張る人がいます。
また世の中には『無いという証拠が示せないのなら、存在する可能性があるわけだから、有るのだ』と屁理屈をこねる人もいます。

もし仮にそうした発言があったとしても、実はその前後にまったく別の(あるいはまったく逆の)論旨があり、そちらこそが発言者の本来のテーマであるにも関わらずそちらは完全に無視し単なる修辞として用いたにすぎないセンテンスのほうを取り上げて、ほらこの人はこう語っているぞと言う悪質な引用をする人を知っております。

このためNJ氏が提示した文章の確認を取りたかったのですが、結果としては見つからなかった、とだけ申し上げておきます。
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エンサインで確認できます。 (オムナイ)
2015-07-18 13:53:03
1975年当時の聖徒の道は総大会の説教を全て翻訳しきれてはいなかったと記憶しています。

後に別冊でるか抜粋が載せられていました。

https://www.lds.org/ensign/1975/05/the-symbol-of-christ?lang=eng

エンサインにはNJさん紹介の趣旨のヒンクレー長老の説教が出ています。
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Unknown (教会員)
2015-07-18 14:28:07
ブリガムヤングの時代とは違うという経緯が良く分かりました。

結局のところ、ヒンクレー使徒の説教は考え方として教会員として支持していますが、末日聖徒が十字架を身に着けたり、アーメンと唱えるときに十字を切ったり、あるいは墓を十字架にしないことは、コーラを避けているのと同様に、身に着けたり使ってはならぬ・避けよという主の戒めがあるというわけではなく、そのようなアイデンティティー・風潮・文化の尊重のあらわれであるという理解で良いのですよね。



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