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NJWindow(J)



[Neilson 著、この記事は彼の本を参考にしている]

末日聖徒耶蘇基督教会は大正13年(1924年)伝道開始後約四半世紀たって、伝道部を閉鎖し宣教師を撤退させている。その理由について、従来から「日本における対米感情悪化」が原因と説明され、今回札幌神殿の文化祭でも演劇の中でそう語られた。

確かに、アメリカにおいて日本人排斥運動が起こり(1910年前後)、日本人の移民禁止法案が提出され(1923年末)、1924年に法案が通過するなどして反日感情が生じ、それを受けて日本で反米感情が生じていた。

ただ、日本伝道部の閉鎖については、いくつかの要因が重なっていて、どれか一つだけが撤退を余儀なくしたわけではなかった。しかし、リード・L・ニールソンによれば伝道部閉鎖の主要な原因は、23年間にわたる伝道の成果が他国における伝道状況と比較しても、格段に(あるいは目を覆うほどに)低いことであった、という。それを大管長会の記録や元伝道部長の書簡、日記、統計などから提議している。

1924年6月大管長会の声明:「日本の現状とかの国における1901年伝道開始後ほとんど無視できるほどの伝道成果しかあげられていない事実に鑑みて、伝道部の一時閉鎖と宣教師の撤退を大管長会及び十二使徒評議会はこれまで長らく考慮してきた。最近[6月5日]開催された会合において、このことはこれ以上遅延することなく実施すべきであると決定された。」(Heber J. Grant が大管長)

1924年になって宣教師たちは、冷たい視線や国際情勢について嫌がらせを受けることもあり、ヴァイナル・G・マウスは東京で電車に乗っていた時、過激な分子が難癖をつけて迫ってきたことがあった、と報告している。しかし、そのようなケースは散発的なものにすぎず、それが常態であったというわけではなかった。マウスは後に普通日本人は友好的で親切であったと述べているし、ヒルトン・A・ロバートソンも不穏な経験が一部あったとしても問題視していない。日本人では柳田聡子姉妹が、日本が1930年代以降軍国主義に傾斜していく前のことで問題なかったようなのに、宣教師たちが引き揚げたのを不思議に思った、と語っている。

「米人排斥」というビラが伝道本部に貼られたことが、反米感情の顕著な現れとして記憶される。それは1924年6月28日のことであった。大管長会が伝道部閉鎖を決定した3週間後のことであった。それでニールソンはこういった事情は閉鎖の直接的な引き金ではなかった、グラント大管長は伝道部の報告と統計を見て現実的な観点から決定にいたったと見ている。なお、1924年の会員数164人、宣教師14人、バプテスマ8件が記録されている。

そして全般的な時代背景として、この1901年-1924年の期間は日本が産業革命のただ中にあって経済の急激な変化を遂げていた。国際主義の時代でもあり、都市のホワイトカラー層がプロテスタントの布教活動によい反応を見せていた。そして後半大正デモクラシーの時代に入る。この時期プロテスタントもカトリックも急速に伸びていたことを覚えなければならない。

参考
・古谷安雄「日本伝道論」教文館、1995年
・マーク・R・マリンズ、高崎恵訳「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」トランスビュー、2005年
・Reid L. Neilson, "Early Mormon Missionary Activities in Japan, 1901-1924." University of Utah Press, 2010
・沼野治郎「モルモン教をどう見るか:第三の視点をさぐる」せせらぎ出版、2013年
・ウイリアム・マッキンタイヤ、高木信二「日本末日聖徒史1850-1980年」ビーハイブ出版、1996年
・柳田聡子(インタビュー)「高木富五郎について - - 柳田聡子姉妹に聞く」モルモンフォーラム6号(1991年春季)

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コメント
 
 
 
体質に変化なし ()
2016-09-06 17:06:13
>1924年6月大管長会の声明:「日本の現状とかの国における1901年伝道開始後ほとんど無視できるほどの伝道成果しかあげられていない事実に鑑みて、伝道部の一時閉鎖と宣教師の撤退を大管長会及び十二使徒評議会はこれまで長らく考慮してきた。最近[6月5日]開催された会合において、このことはこれ以上遅延することなく実施すべきであると決定された。」(Heber J. Grant が大管長)


成果主義って体質は当時から変わってないんですね。

今でも「バプテスマの少ないユニットからは宣教師を引き上げる」と言う脅し文句が伝道部の方から聞こえてきます。

個人的には、別に宣教師が居なくても不自由しないんですけど(笑)

ま、宣教師に頼り切ってるユニットの伝道も問題ですけどね。

いっそ、日本からすべての伝道部が引き上げてくれた方がやり易いかもね。
 
 
 
伝道創成期 (オムナイ)
2016-09-06 17:38:02
>伝道部閉鎖の主要な原因は、23年間にわたる伝道の成果が他国における伝道状況と比較しても、格段に(あるいは目を覆うほどに)低いことであった、という。

そう立たんですね。貴重な資料感謝します。

>大正デモクラシーの時代に入る。この時期プロテスタントもカトリックも急速に伸びていたことを覚えなければならない。

プロテスタントもカトリックも日本人クリスチャンが主導できたのがモルモンとの違いかなと思いました。

世紀を超えてに戦前の反省を踏まえて日本人の思想を踏まえた伝道をしたことが伺えます。
これからの日本の伝道にも通じるのではないでしょうか。


http://www.ldschurch.jp/bc/content/Japan/gospel-library/manuals/japan-history-guide/history_chapter4.pdf

アメリカを筆頭とした各国から、日本の侵略行為であるとの批判が高まっていた。
しかし、ソルトレーク・シティーの総大会で元伝道部長のロイド・O・アイビーは次のように話している。

それは日本での伝道を振り返り、日本に対する正しい理解を求めるものであった。
「私は日本の人々に伝道する機会を与えられました。

アメリカでは政治的な理由および他の理由から、日本が偏見をもって見られていることを認識しています。
しかし宣教師として私が接した人々は善い人々でしたので、かの地の人々を愛し、尊敬することを学ばさせられた次第です。

私が心から感じ考えたことは、日本人は価値ある人々だということです。
私たちの伝道は、日本人にとっては末日聖徒イエス・キリスト教会を通し、まことのキリストの福音に接した最初の機会であります。
私たちも、非常に異なった宗教であり哲学である仏教に初めて接しました。
この経験から、日本における伝道について新しい発想と方法を考えるべきであること、私たち宣教師の信仰の強さが伝道に最も必要な原動力であることを感じました。

聖書と聖句をただ並べ立てて説教したり、これが正しいとかあれが正しいとか、日本人に対して言ってはいけないことを知りました。

私は、いかなることがあっても証を基として『自分は末日聖徒である』と言うべきだと信じています。

これこそが我々の基本であり、この教会が問題を正しく完全に解決し、日本の人々の信じる仏教に対して伝道することができる唯一の方法であると心の中に強く感じました。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-09-07 03:17:30
>伝道部閉鎖の主要な原因は、23年間にわたる伝道の成果が他国における伝道状況と比較しても、格段に(あるいは目を覆うほどに)低いことであった

なぜ日本においてそうなったのかについては理由は明白です。

①プロテスタントやカトリック信者たちによって、新聞メディアを使用した反モルモンのロビーイスト活動でダメージを受けた。

②そもそも聖書が少しも読まれてない文化(聖書の記述とキリスト教の解釈との微妙なずれを感じたことのない人々)に、キリスト教圏と同様にモルモン書やジョセフスミスの証ばかりを強調しすぎた。(そんな証を何回されても、日本人は、熱心さは分かるけども何が言いたいの?という結果となるのです。)

③日本人(特に一般庶民)は最近までは、ビールくらい飲んでからでないと本当に腹を割って語り合ってもらえない文化であった。 したがって酒を断ると社会的に相手にされなくなる。(そうはなりたくないので入会を避けられるのはある意味当然の結果でした。) 

①クリスチャン連合との情報戦の敗北
②改宗プロセスの違いを見くびっていた。
③教義上、酒は仕方がなかったにせよ、タブーに緑茶まで加えてより門戸を狭めてしまった。

この三つが複合して、目を覆うほど惨憺たる結果になって現れたのですよ。
 
 
 
あわない (落伍者)
2016-09-07 08:34:18
 結果的にモルモンの福音は日本の風土に合わないということでしょうね。
 
でも妥協せずに貫徹する姿勢を崩すわけにいかないでしょうから、現状を打破することは困難だと感じます。

 アイビー伝道部長の観点には良い点と同時に難点もあると感じます。

 しかたないことですが、教会側の姿勢にも問題があるのかもしれません。

日本人にとって隠れキリシタンの凄惨な末路も影響しているのかな?
 
他の教会も含め、キリスト教の教えは日本人には純粋すぎるのでしょうか?

 キリスト教の説く良心や忠誠は武士道を凌駕することができなかったのかもしれません。


 
 
 
 
この話題は・・・ (ジョン・ドゥ)
2016-09-07 13:15:04
以前にもありましたね。
 ↓
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/1b1b52a3d9bb59c3c4d7ac7a69143dd1/?st=1

私は豚さんと一緒で、日本から宣教師がいなくなってもちっとも困りません。バプテスマの少ない所からは宣教師を引き上げさせるぞ、なんておっしゃるのなら、どーぞ、どーぞお帰り下さい、みたいな感じです。

今、インターネットの普及で教会はどんどん情報発信しています。それらは『公式な情報』なんでしょう、きっと。反モルモン活動も一時よりは下火になったと感じるというご意見も目にいたします。

なのになぜ改宗者は少ないんでしょうねぇ・・・
 
 
 
選民だから ()
2016-09-07 14:38:48
>なのになぜ改宗者は少ないんでしょうねぇ・・・

それはね、モルモンが「選民」だから当然の事です。

選民と言うのは、少数であるから故に意味が有るわけです。選民は大多数だったら、選民の価値が下がるんです。

現実のモルモンを見ても、多くの人々を受け入れようとはしていない。伝道も「選民を探す」のが目的です。
決して、普通の人に福音を教えてキリストの弟子として改宗するのを助けるのではありません。

モルモンの伝道の目的は、「準備された人を探す」事に有ります。

現実のモルモン教会を見れば、それが事実であることがよく分かります。

モルモン教会には「教会員」しかいないのです。
「一般の人達」と「教会員」の中間層が存在しません。

教会に興味を持ち、足を向けた人は、まず入り口で宣教師に教会の教義の概略と、戒めについて教えられその後すぐに「会員になりますか?なりませんか?」と選別されます。

そして、ほとんど何もわからないままに「会員に成ってもいいかな?」って思った人がバプテスマを受けます。

そして、数カ月教会に通って、大半が来なくなります。
教会の戒めを守れて、そこそこのことが出来る人か、教会以外に居場所が無い人が残ります。


まず入り口で振るい落とすんですから、改宗者なんて増えるはずがないんです。

日の栄に行けるごく少数の人しかお呼びじゃないんです。
 
 
 
Unknown (Y.M)
2016-09-07 16:46:08
??.米国移民法が可決したが、もともとはもう何年前から米国に移った日本人移民は差別されていた。米国で大地震が発生したのときに、日本政府は義援金や医療船などした。
しかしそのことは、マスコミは取り上げなくて、日本人移民に対する差別的行為が今までと同様に酷かった。
ただそれは、米国人は日本人に仕事を取られてしまうというのが大きかったとも言われている。
日本は、人種差別の撤廃派だった。
日本における伝道がこの対米感情だけで撤廃した理由にはならないのではないだろうか。


??.1923年9月1日大正関東大震災では、当時の大統領の命令で日本に対して義援金や支援を多くした。彼は前大統領が死去したために、副大統領から大統領となった。
もしも前大統領が大統領のままだったら、険悪な関係だから、義援金などはあまりやらなかっただろうとも言われている。
また、この大正関東大震災では、流布による朝鮮人労働者の虐殺が発生し、中には中国人や日本人もいたが、これらの影響も移民法に影響があったのではないかとも言われているようです。


??.カトリックやプロテスタントが伸びたのは学校や病院を作ったなど社会事業の影響があったとも言われているようです。
末日聖徒はただ伝道のために、そして教会の組織としては会員が教会の責任をするスタンスをとっていたから、お酒、お茶などの戒めも難しかったら、バプテスマの数が多くなかったのかもしれません。
なかなか受け入れ難かったのではないでしょうか。


*その後、奄美カトリック事件などもありましたので、軍事が強くなったときにカトリックもプロテスタントも迫害はあったのかもしれませんね。弘前へ移ったプロテスタントの牧師さんなんかもいたようですから。その辺は勉強不足ですのでわかりませんが。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-09-08 08:34:55
■基本的に教会は全ての者を招くのが本来の使命です。 ある意味本当の神の教会は節操がない伝道やバプテスマをするといえるかもしれません。


ルカによる福音書14章

イエスが言われた、「ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた。

ところが、みんな一様に断りはじめた。(中略)

僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧乏人、不具者、盲人、足なえなどを、ここへ連れてきなさい』。僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』。主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。

あなたがたに言って置くが、(最初に)招かれた人で、わたしの晩餐にあずかる者はひとりもないであろう』」。

■節操なく捕まえておいて、後になって良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるとされています。 



マタイによる福音書13章

また天国(教会のこと)は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。
それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。
世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、
そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
 
 
 
宣教師として福音を伝えるといった (たまWEB)
2016-09-08 08:51:53
まぁ、一般会員の純粋な信仰の面のほかに、欧米ユダヤフリーメイソン・イルミナティ世界支配のもと、世界の警察・軍隊のアメリカの対外的膨張帝国主義のもと、特に指導層においてのキリスト教徒(メイソン化)には純粋な伝道もあったかもですが、尖兵、偵察、要所を築く(戦後の支配)といった使命を帯びていたんでしょうね。モルモンの場合、上層部は来るべき太平洋戦争を見越し(そのプランを聞かされたか、パーリー・P・プラットの予言みたいなのもありましたか、日本が憲法が変わって自由が広まるみたいな??)早々に引き上げたんでは・・・薩英、下関戦争が薩長を英国メーソンに連ねたようにユタ戦争で上層部とアメリカ帝国エリートとのメーソン連携ができるようになったんでしょう。・・・アジアに関しては例えばフィリピンでは米比戦争で20万以上殺害、隷従政策、独立は1946年(戦後平和時は、独立といっても、他国もそうでしょうが、当事国支配層にいわば傀儡的なのを据え置けるようになると)、義和団の乱派兵・1900、シベリア派兵・1919とかって。そんな中での日本への施策は何だったのかぁぁ??

第一次大戦後から第2次開戦までは、いろいろ準備があったんでしょう。山本五十六は米国駐在大使館付武官となって1925.12-28、その時むこうで、フリーメイソンの上のほうになったんでしょうね・・・戦後の日本における在日系・背乗りを通じての支配とかってプラン通りなんでは・・・帝銀・下山・三鷹・松川・三億円等々もベースに米CIA謀略ありきでしょう・・・

あの関東大震災も人工だったとしたら、うぅぅんん・・・

 
 
 
米比戦争について (たまWEB)
2016-09-08 09:16:01
”植民地化を開始したアメリカ軍では、1898年から1902年の間にフィリピンで戦闘を指揮した将軍30人のうち26人は、インディアン戦争においてジェノサイドに手を染めた者であった。

1898年に米西戦争が始まったとき、
アメリカはフィリピン人の独立革命家のアギナルドやリカルテに対し、
スペイン撃退後のフィリピン独立を約束し、その協力を取り付けた。

アギナルドらは独立を助けてくれるものと信じて
アメリカ軍に大いに協力した。

ところがアメリカは地元の革命軍の協力でスペインに勝つと、
フィリピン独立の約束を反故にし、フィリピン併合を宣言した。

騙されたと知った革命家は、日本に援助を求めながら、
アメリカに抵抗し戦争となったが、結局はアメリカに鎮圧された。

この戦争でアメリカはフィリピン侵略のために残虐の限りを尽くし、
反抗するフィリピン人60万人を虐殺した。

フィリピンの独立戦争を押さえつけ、
初代軍政長官に就任したのが陸軍少将のアーサー・マッカーサーで、
その副官が息子のダグラス・マッカーサーだった。

フィリピンが独立を宣言できるのは大東亜戦争中の1943年のことである。


 太平洋戦争中に、日本が形式的であれ独立を与えたのは、ビルマとフィリピンの二カ国だけです。インドネシアには独立を与えていません。独立させてもらっていないインドネシアに「解放の手助け論」が存在するのに対し、実際に独立させてもらったフィリピンに「解放の手助け論」が存在しないのは興味深い事実だといえるでしょう。

 じつはフィリピン人は、自分たちの独立運動の力によって、宗主国である米国に対し将来の独立を約束させていました。1935年にはフィリピン人のマヌエル・ケソンを大統領とする「コモンウェルス政府(独立準備政府)」を発足させていたのです。この独立準備政府は、1946年に正式にフィリピン共和国として独立するはずでした。日本軍の力など借りずとも、独自の力で独立は達成されるはずだったのです。

 ところが1941年12月、真珠湾攻撃と同時に日本軍がフィリピンに侵攻します。フィリピン独立準備政府は、マッカーサー率いる米国極東軍(ユサッフェ)とともに抗戦しますが、日本に破れます。ケソン大統領はマッカーサーとともに敗走し、ワシントンにフィリピン亡命政権を樹立しました。

 日本軍は過酷な軍政を2年近く続けた後、1943年11月にフィリピンを「独立」させます。大統領はホセ・P・ラウレルでした。ワシントンに亡命政権もありましたから、この時点でフィリピンには二つの政府が存在することになりました。日本軍の駐留下で独立した「フィリピン共和国」は、「第二共和制政府」と呼ばれています。(ちなみに「フィリピン第一共和制」とは、1899年にスペインからの独立戦争を経て誕生したアジアで最初の共和国政府のことです。この共和国は、米国の侵略を受けて壊滅しました)
 
 さて、1942年からの2年ちかくの過酷な日本軍政の中で、フィリピン全土で抗日ゲリラ活動が活発化していました。反米感情から当初は日本に協力した住民も多かったのですが、日本軍の横暴によって民心は次第に日本から離れていき、アメリカ時代を懐かしむようになっていました。第二共和制政府の独立にも関わらず、多くのフィリピン人は、ワシントンの亡命政権がフィリピンの正統な政権であると考え、米軍が日本軍を追い出してくれることを待望するようになっていました。

 こうした中で、逆説的なのですが、第二共和制政府と、その大統領のホセ・P・ラウレルは、フィリピン史の中でそれなりに評価されています。その理由は、「ラウレル大統領が決して日本の傀儡にならなかった」という理由なのです。
 
 私がフィリピンに留学していた頃、まだあまりフィリピン史の知識のなかった当時、学校に飾ってあったフィリピンの歴代大統領の肖像画を見て驚いたことがありました。第3代大統領としてラウレルの肖像画が掲げられていたからです。
 私はそこに居合わせた友人に、「あれー、ラウレルって日本の傀儡じゃないの。フィリピン人はラウレルを正統な大統領として認めるの?」と聞きました。
 その友人は笑いながらこう答えました。「そんなことを言うなら、戦後の歴代大統領なんてみんなアメリカの傀儡さ。ラウレルが日本の傀儡だったとしても、アメリカの傀儡じゃなかったのは彼だけじゃないか”

 
 
 
あ、検索後、複数からコピペでした。 (たまWEB)
2016-09-08 09:20:03
米比戦争 フィリピン

http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E7%B1%B3%E6%AF%94%E6%88%A6%E4%BA%89%20%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3

 
 
 
あ、検索後、複数からコピペでした。 (たまWEB)
2016-09-08 09:20:16
米比戦争 フィリピン

http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E7%B1%B3%E6%AF%94%E6%88%A6%E4%BA%89%20%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3

 
 
 
もしも太平洋戦争がなかったら。 (オムナイ)
2016-09-08 12:50:45
歴史に「もしも」はないと言いますが。

太平洋戦争がなかったら。
モルモンは日本で伝道を続け現在以上の成果を上げたのではないでしょうか。

戦前日本は国連の常任理事国であったし、G7(先進7ヶ国)で唯一のアジアの国です。

様々な方策を試し成功の道を探ったことでしょう。

太平洋戦争なければ成果が上げっていないからといって日本撤退することはなかったと思います。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-09-11 00:39:02
たまWEBさんが、大正12年9月の関東大震災に言及されているようですが、地震直後に東京や横浜でメディアの誤報で中国人・韓国人・朝鮮人が放火をしているというデマが拡散して、横浜が多かったようですが4000の自警団が組織されて、200~数百名の中国人・韓国人・朝鮮人が集団リンチされて死亡したそうです。 アメリカ人は対象外だったようです。

しかし日本の新聞メディアによる情報戦で敗北したせいで心ない脅迫・いたずらの類・被差別の類を受け続けていたであろうモルモンは日本人たちの虐殺事件を知って、ジョセフスミス時代の暗殺事件を思い出し、身の危険感じて敏感になるのは当然。 

伝道部の悪い結果も要因だったのでしょうけれども、宣教師を預かる側のリスクの大きさ(対感情の悪化)も要因で構わないと思いますよ。

 
 
 
うぅぅんん、たまWEB的には (たまWEB)
2016-09-11 17:16:07
やっぱ日米間の政治的緊張、戦争を意識したものが、教会指導層にとって真面目に受け止めていての、撤退方向へ舵取りだったんではと・・・・オレンジ計画とかってしっかりあったわけで・・・・

白船事件(1908年)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1901-10/1908_shirofune_jiken.html

戦争計画構想 オレンジ計画
「日清戦争のわずか2年後である1897年に、アメリカは日本を仮想敵国として、対日戦略プログラム 「 オレンジ計画 」 を策定し、日本はまさしくこのシナリオ通りに開戦に追い詰められ、大敗を帰しました。
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/700.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E8%A8%88%E7%94%BB

 
 
 
オレンジ計画 (たまWEB)
2016-09-11 17:18:30
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%20%20%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E8%A8%88%E7%94%BB

 
 
 
その2 (たまWEB)
2016-09-11 17:31:18
「1907年、日本人移民問題について、イギリス海軍クラーク大佐に、「私は日本人移民を排除すべきと考えます。日本人移民を認めるくらいなら、私は明日にでも『日本との戦争』を選びます。しかし、その場合、『日英同盟』があるので、アメリカは貴国イギリスと敵対関係になります。『日英同盟』は、英米アングロ・サクソンの協調にとって有害です」と書簡を送っていた。

「1923年版オレンジ計画」は、「1911年版オレンジ計画」で定めた「対日戦争行程表」の「第三段階作戦」を具体化し、 「アメリカ海軍は、太平洋の日本領諸島を残らず攻略して日本を孤立させ、日本を取り囲む全海域を制圧し、 日本を『海上封鎖』する。アメリカ艦隊は、迅速に進撃して日本艦隊を東シナ海から追い払い、日本と台湾を結ぶ通商路を断ち、 日本とインド洋・マレーシアなど資源地帯を結ぶ『大動脈=シーレーン』を破断する。

フィリピンの日本陸軍は、地上戦で一掃し、台湾は海軍力と空軍力で制圧する。『沖縄』では、勝敗を決する水陸両用作戦を展開し、 激しい抵抗を抑えて『沖縄を占領』する。追い詰められた日本は、温存していた主力艦の出撃を余儀なくされるが、 日本とフィリピンの間で行なわれる大海戦で、アメリカ艦隊は、日本艦隊を壊滅させる。最後に、『日本本土に空襲』を行い、 圧力を加える。

日米戦争の終盤では日本の激しい抵抗が予想され、長期戦となり、アメリカ軍将兵の死傷者は、うなぎ登り増えるが、 日本が完全に疲弊して講和を求めてくるまで、『仮借なき包囲』を続ける!」と定めた。 こうして「オレンジ計画」は、細部の詰めを残して、1923年、ほぼ完成した。 」

http://www.kanda-zatsugaku.com/130628/0628.html

 
 
 
その3 (たまWEB)
2016-09-11 17:59:05
「「日本オレンジ計画」は日の丸は赤だが、色あせるとオレンジ色になる。つまり日本を色あせさせ、骨抜きにする計画だ。「日本人獣化対策」という怖ろしい計画があった。」http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-3dcd.html

うぅぅんん・・・慰安ふ・・・・http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-5c03.html

 
 
 
たまWEBさんへ (教会員R)
2016-09-12 17:38:15
同じ日本人として獣化wされてしまうのは勘弁してもらいたいところです。

そのような計画があったことは由々しい問題ですし、獣化作戦を推進するメンバーにフリーメーソンがいることも否定しません。

だけれどもそれがフリーメーソン全体のオペレーションであるかどうかは別問題ではないでしょうか。

たまWEBさんはLDSが秘密結社のフリーメーソンの手に落ちたみたいなことを言われるのが気になります。

日本人獣化作戦がフリーメーソン全員のオペレーションであって(当然何人かの大官長を含むLDSの幹部たちも含まれる)従ってLDSも危険団体であるから日本人は注意せよみたいな陰謀論は一種の論理の飛躍ではないでしょうか。
 
 
 
あっ、そうだんすな、 (たまWEB)
2016-09-12 22:34:01
そのへん、たまWEBの思うところ、もうちょい丁寧・詳しく、ブログ記事で述べてみたいと思います。近日中、こうご期待っす・・・・
 
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