2009年11月11日exmormon.orgというサイトに、1980年当時東京南伝道部や他の伝道部で伝道したアメリカ人帰還宣教師の経験談が数多く投稿された。日本人側には分かりにくい状況が記されているのでここに要約して紹介することにした。(やや長文)。
投稿は当時東京南で伝道した4~7人(3人は明確に記さず)、直後に赴任した2人、他の伝道部で伝道した5人の話で、投稿件数は延べ39にのぼる。( )は投稿者のニックネームである。
1 拙速伝道の実態
非情なまでの数字至上主義で伝道の対象は若者に集中していた。家族に教えるには時間がかかりすぎるので、早くバプテスマができる若い人だけ教えるように指示された。6回のレッスンプランは1時間に圧縮された(Laotzu, 以下L)。
実績を上げるために具体的な伝道の対象は、十代の中高生で話しかければ簡単に応じてくる(needy)タイプの的(mark)を見つけ、英会話など何でも思いつく話を上手に持ちかけて、近くに設けた伝道所へ連れていく。そして6つに別れた5-10分間のレッスンをするのである。これが当時核となる伝道の実態であった。
ここで投稿者flattopSF(以下F)は、私が今まで気づかなかった重要な点を指摘している。それは、「面と向かって反対する、またはNoと言うことを躊躇する日本人の文化的習性」に乗じた方法であった。確かにまだ年若い中高生にはこの習性が強いので、この時期の拙速伝道でこの特性が最大限利用されたことが容易に想像できる。
出会って最初のレッスンで6回分の内容は一度に教えてしまうように指導され、ミニレッスンが終わると直ちにバプテスマを勧めるよう指示されていた。相手がはいと言えばすぐ駆けつけてくるゾーンリーダーに連絡し、面接が行なわれた、そして用意された白い衣服を貸して簡易バプテスマフォントでバプテスマが施された。出会ってから確認の儀式までおよそ1時間半という簡素化であった。
このような中高生や若者が帰宅して親にその日あったことを告げると、おそらくこっぴどく叱られたことと思われる。当時誰も気づかず、認めなかったことであるが、膨大な数にのぼる「改宗」は十代の日本の女の子たちであった。(F)。
宣教師の中にも個性が強く、強引になれる人と静かな人がいて、当時の様々な逸脱したバプテスマの中には強引な宣教師が考え出したものも多くあった。厳しいプレッシャーのもとで出たのであった。(L)。英会話に出席するための条件にしたり、月末に目標の数字合わせに申請用紙に必要な情報を記入して架空のバプテスマをでっち上げたりすることもあった。(Tempeute、以下T)。.
2 傷ついた多くの宣教師
このような状況下では、良心に従いたい気持ちと伝道部(教会)の要求の板ばさみに遭い容易なことではなかった。ある宣教師は応じることを拒んだが、それは伝道本部と衝突することを意味し、時に厳しい処罰を受けることになった。(Mumeisha)。バプテスマの目標数に達しないとひどく見下げられた。(T)。
ある宣教師は友人に苦しい気持ちをしたためていた。神戸伝道部にいた宣教師はひどい拷問を受けているようだと伝え、伝道の最中か後で自殺をするのではないか、と思われた。(手紙を受け取った alscai)。また伝道前自信にあふれ、将来を嘱望され、人々に好かれていたある宣教師は、1980年に日本に向かったが、寄こした手紙は極度に取り乱した様子で、9ヶ月で帰った後は落ち込んで、すっかり別人に見え、ほとんど廃人のようであった。28年たった今も母親は悲しげに彼のことを話している。何という気の毒な話だろうか。(2thdoc)。
「主の真実の教会の代表者であるはずなのに、私たちは日本の人たちの家に土足で踏み込み、無礼なことをしてしまったのだ。伝道に出る前はとても栄えある働きに思われたのに、今自分があんなひどい詐欺のような活動にかかわっていたのだと思うと本当にばつが悪く、恥ずかしい。」(ZelphRules)。
投稿の中で最も心を痛めたのは、次の話であった。カンサス州で1978年に改宗したばかりのTokyoJoe(以下TJ)は1980年暮に東京南伝道部に着任した。1月に入って街頭伝道に励んでいたが、2月半ばにグローバーグ伝道部長に呼び出され「新しい宣教師の中で君はコンタクトもレッスンも一番成績が悪い。2週間内に目に見える改善が見られないと、多分ここにおれないだろう」と言われた。彼は耳を疑った。彼はワード部で改宗者が人々の改宗のために出かける、とヒーローのように送り出されたばかりだった。それが日本でグローバーグ部長の目にはできの悪い宣教師であった。1981年3月再び呼び出され、月末までにXつのバプテスマがないと国に送り返すと宣告された。幸運にも例の即席儀式を一つすることができて、グローバーグの怒りを免れることができた。
具体的な詳細に立ち入らないが、このスレッドに出たことは皆本当である。フォントにキャンディをほり込んで子供たちが飛び込んだら、祈りを言ってバプテスマに数えることができるといった冗談がささやかれる始末であった、と言う。
幸い、グローバーグ伝道部長は彼の任期半ばで日本を去り、井上竜一部長が伝道部長に召された。この人がいなかったら私は日本で自殺していたか、この世で最も冷酷な人物に送り返されていただろう、と彼は振り返る。
その後、彼は伝道部記録係りを務め、伝道所を撤収して通常のワードに移行する作業に携わった。何百何千もの会員記録が見つからなかった。これほど多くの若者たちが、また長老や姉妹宣教師がひどくあしらわれ、虐待されたことを知って心が痛み、困惑するばかりであった。
グローバーグ後井上部長が直面したとてつもない後始末はほとんど耐えられないほどのものであった。最初のひと月で5,6名の宣教師が送還され破門された。主たる理由は日本の女性会員と性的関係を持ったことであった。(TJ)。
3 TVで嘲笑のタネに
この時期の拙速伝道ぶりは、有名なコメディアンビートたけしの深夜番組で「バプテスマを受けなさい」という常套句が繰り返し使われることになった。(L)。別の投稿者は「神を信じますか」という街頭伝道で語りかける様子をコメディアンがまねをして、ひどい拙速の後遺症が残った、と書いている。(Labrat)。全国テレビで流されて、グローバーグはその後長年にわたってモルモニズムを文字通り笑いのタネにしてしまった、とMはみる。
この件について私は当時地方(山口県)に住んでいて見たことがなく、初めて聞く事柄であった。
4 アメリカでの反応 -- 教会幹部と教会一般の雰囲気 - -
宣教師の中には帰還後家族に話し、使徒に実情を訴えた人がいた。それで教会本部はこの問題が深刻であることを把握していたと思われる。しかし、傷ついた帰還宣教師を助けようとせず、棚上げにして放置した。(L)。1981年には拙速伝道の恐ろしい話が宣教師の家族に伝わり、BYUなどで広まっていた。一部の親は何が起こっているのか、どんなに宣教師にとって有害であるかを使徒に会って伝えていた。もし指導者が本当に霊感を受けているのなら、状況を調査し、宣教師がひどい目に遭っているのをやめさせたであろう。しかし、バプテスマの急増が当面のスローガンを裏づけるものではなく、むしろ告発するものであるというのは上長の指導者にとって不快なニュースである。それでモルモン教会の指導者はその報を更に伝えるのを躊躇した。(M)。
拙速伝道の時期、デービッド・B・ヘイト長老が日本を訪れた。宣教師たちは鉄槌が下るのを予期したが、逆に今行なわれていることを是認するものであった。(KJA)。後に別の宣教師が帰還後ヘイト長老と面談して実情を伝えたところ、「確かに大変逸脱するのをゆるしてしまった」と.回答したが、何ら責任があると認める風がなかった。(M)。
もうひとつ注目しなければならないのは、アメリカの教会一般の雰囲気である。伝道に出ることは若者の義務であり、伝道は栄えある素晴らしい奉仕である。特にキンボール時代はそのことが至上命題であり、強調された。それで帰還宣教師が拙速伝道のことを語ろうとしても家族や友人たちは理解してくれず、そのような話を聞きたくない会員から遠ざけられ、指導者からは傷ついたとしても自分たちが悪いのだと責められた。主の教会でそのようなことが起ころうはずがなく、指導者に誤りを認めるように求めることは傲慢ととられるだけでできることではなかった。(L)。教会には、伝道で悪い経験をすることなどあり得ないと信じる、固い画一的な雰囲気があり、それを破ると村八分にされるのであった。組織としての教会の評判を考え、教会幹部を護ることの方が会員個人の幸福より重んじられるのである。(M)。
5 終わりに
Mは、指導者は負のニュースを受け入れるのを好まず、過ちを認め、正そうとしない傾向がある、言い換えると今回矯正のために何もなされなかった。過ちを認めない姿勢はグローバーグのやり方が繰り返されることを意味すると言う。実際考えてみれば、日本の拙速伝道の後、イギリスで1990年代半ばに、また南米、フィリピンで日本を遥かに上回る拙速伝道が行なわれた。ただ、アメリカの社会では多分起こらないと同様、日本でも今後起こることはないと思われる。地元の教会が成熟してそのようなことを許さないからである。
ともあれ、このような残念な話は過去のこととしたい。しかし、実情の確認は確実に行なっておきたいと思って紹介した。また、日本側からの報告を英文で活字にしておかなければならないと考え、記事をモルモン歴史学会の紀要(Journal of Mormon History)に投稿している。編集の過程を終えて今秋刊行の予定である。
Source: http://www.exmormon.org/mormon/mormon555.htm
参考:
当ブログ 2008/3/25 チリの予期せぬ伝道事情
2009/6/4 チリの超拙速伝道について寄せられた酷評
沼野の英文ブログ NJ's Window Rough-&-Ready Baptism Period in Japan
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1989年~1991年に東京南で伝道しました。(NJさんのお嬢さんと同時期)
伝道本部のある吉祥寺の商店街の方から「10年前宣教師たちは、泣きながら駅に帰っていたが、あなたたちは嬉しそうな顔をしている」と言われました。
拙速伝道の実態を垣間見たようで当時の宣教師たちが気の毒でした。
私の思いは、日本の伝道は、現時点でも、まだ改善されなければならないと思います。20代の宣教師が、教えれるほど一般日本人は罪深い人間ではないと思います。
最後のところ、遠藤周作の「留学」に出てくる言葉に通じるものを感じます。登場人物は「日本にもっとキリスト教の光が当たるように祈ろう」とフランス人に言われて、「あなたたちは日本について何も知らぬ。そう簡単にいってなるものか。・・あんたたちが考えているような生やさしい国ではないのだ」と心中思います。
(それにしても私を筆頭に、日本の一般会員は伝道面の自立ができていない。泣き所だと思います。)
私が伝道に出るころは、まともになりかけていましたが、改宗当時は、菊池氏とグローバーグ博士のやり方に岡山伝道部の宣教師も首をかしげながらも、数字に重きを置いていました。(置かざるを得ない状況でした)
グローバーグ博士は、辣腕ビジネスマンではあっても聖職に携わることは無理な方だと思います。
彼は別の世界で生きる方だと感じます。
解任後、コヴィーの元や大企業で働いたと聞きましたが、その世界で活躍されたらよいと思います。
福音の本質が何であるかまったく理解していない指導者でも、神によって召されたと受け入れ、支持しなくてはならないとすれば、それは本当に悲しいことです。
末日には教会の指導者にもサタンが入ると聞かされていましたから、このようなことが該当するのでしょう。
彼にも熱意はあったのでしょうが、まったく理解しがたいひとりよがりの熱意としか思えません。
当時の宣教師は本当に気の毒です。
何も知らずに改宗した方より、偽りの使徒とならざるを得なかった"良心を持つ宣教師”がかわいそうでなりません。
一番の被害者は、教会に裏切られた宣教師たちだと
感じます。
伝道ゲームを楽しんだ不埒な輩もいるのかも知れませんが、ほとんどの宣教師が心の傷を負っていることでしょう。
このような事象は戦争でも同じです。
今後も、カリスマ的な指導者が指揮を執った場合、従わざるを得ない可能性が無いとはいえません。
もちろん当時を知っている指導者が同じ轍を踏まないようにブレーキを掛けると思いますが、教会の管理システムが大きく変わらない限り、同様の事象は再発するでしょう。
NJ氏が記述されたように90年代に入っても他国で同様の拙速伝道が繰り返されているということは、SLCによる制御システムが機能していないということの表れだと思います。ある意味驚きであります。
まったく、残念な時期でしたね。
この汚点を払拭することは無理です。
事実は永遠に事実として残ってしまいます。
せめて指導者や教会員が“仕方なかった”というのではなく、“間違いだった”と認識し、宣言することが禊であると思います。
発展途上の地域では、また繰り返される問題でしょう。
拙速伝道というかどうかは知りませんけど
何も変わってません
抵抗する方が間違っている
と思ったほうが無難ですね
レッスンプランそのものに大きな変動が見られず、イエスキリストの福音に重点が置かれていないような気がします。
非キリスト教国では、ジョセフスミスよりイエスキリストについてもっと教えないと単なるカルトと思われても仕方ないと思います。
謙遜な人だけを見つけようとして、結局、心身障害者(軽度障害を含む)をバプテスマするのでは、教会は発展しないと思うのです。伝道部長を含めこの現実にどの程度の指導者が気がついているのだろうか?
彼らはそれしかやることがないので究極的にはそうなってしまうでしょうね
それ以外にもっと奉仕や人に仕えることや学ぶべきことはたくさんありそうな気はしますけど
拙速バプテスマでもそこから
拙速神殿参入、拙速神殿結婚、即席宣教師
即席指導者、即席中央幹部、即席大管長と
教会全体として筋が通っているなら問題はないかと
ズ(家族は永遠、多様性というキーワード)、宗教以外に対するニーズ(英会話、
異文化への憧れ)を分析、これらを絡めて最大効率を挙げる手法を確立するの
は過去も現在もそしておそらく未来も変わりませんよね。
教会歴史を学んだ者ならグローバーグ、菊地の両氏が頭に思い描いただろう事
が容易に想像できるのではないかと思うんですが・・・。
それはブリガム・ヤングのイギリスでの大成功、そして強力なリーダーシップ
だったはずです。
そもそもブリガム・ヤングの英国での大成功、大量の貧困層信者の支持がなけ
ればユタのモルモン教は存在しなかったのでは?。
菊地氏のスピーチを聞いていると彼が「恵みが雨のように降り注ぐ」という思
想に憑かれた人物であることが分かります。
が、これはモルモン信者にはありがちなパターンだと思うんですがね。
ブリガム・ヤングの勧誘手法は英会話でも食事会でもなくアメリカへの移住を
求めて港にたむろする貧民に対して移住の便宜を図った上、新天地アメリカで
の信者コミュニティへの参加権を保証するというものでした。
これは宗教以外に対するニーズを満たす対価として入信を要求する手法です。
私には貴方がグローバーグや現代の拙速勧誘主導者を悪者に仕立てようとする
考えが理解できません。
モルモン教はその歴史の最初から拙速勧誘だったではないですか。
ブリガム・ヤングの大成功に思いを馳せ、彼が採った手法を研究した者なら、
そしてそれを義ある行為だったと見做すならグローバーグ氏のような人物が出
てきても何ら不思議はないのではないですか?。
結果多数の被害者を出した、コメディのネタになった、結果が悲惨だったから
「あれは恥ずべきことだった」と臭いものにフタをしただけにしか思えないん
ですけどね。
安直なものに飛びつくという意味ではグローバーグ氏も貴方も大差ないと私に
は思えるんですがね。
それから、90年代仙台伝道部の新山伝道部長の件に言及しないのは何か意趣
あってのことなのでしょうか?。
もうひとつ。
貴方は以前「反モルモン活動は沈静化する」と予想されましたが、その意見は変わりませんか?。
「悪者に仕立てようとする」と見えるのは仕方のない面があります。あまりにもひどいと批判し、指摘するとそう見えるのも無理からぬことです。ただ、私は一旦発表できれば引きずらないでもう済みとしたい気持ちでいます。
「くさいものにはふた」?違うのではないですか。不都合な情報が漏れないようにするのが、くさいものにふたではないですか。英文でも発表しようとしているのですから。今後生じるのを防ごうという意図でしています。
安直なものに飛びつく?この件は重く、しんどい事柄でした。(まだ終わっていませんが。)安直というのは当たらないと思います。今秋記事が出れば見てください。
新山仙台伝道部長の場合に言及しなかったのは、同様の拙速伝道と認識していないためです。同様の例としてあげるべきであるという資料をお持ちでしたら、小生に提供していただきたいと思います。mail address は j_numano@hotmail.com です。
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