広島ステークはこの9月、「ステーク設立三十五周年記念誌 (1981-2016年) ~平和の旗頭となる~」を刊行した。全208頁。編集・発行は広島ステーク歴史編纂委員会で桐林慶(けい)が代表である。私は1980年から29年間広島ステークの境界内(山口県徳山、広島市光の教会)にいたので、信仰生活の軌跡を共にしていて内容が大変懐かしく、この度の出版を心から喜んでいる。(何年か前、一度記念誌発行の動きがあったが、実現しなかったのでなおさらよかったと思っている)。
冒頭にG.B.ヒンクレー(当時十二使徒)の、広島は世界の人々に平和を想い起こさせる都市です、世界の人々の前に「平和の旗頭」になってほしい、という言葉を掲げている。この引用は秀逸であると思う。また、本文の中に被爆者中村良子姉妹の証が掲載され、原爆記念日のファイヤ・サイドが8月に行われている記録が見られるなど、広島の特徴が出ている。ただ、この点はもう少し強調してもよかったのではないかと思われる。(被爆者である会員の数にどこかで触れるなど)。
日本で20番目のステーキ部(当時の呼び方)として誕生した前後の動きや出来事が記されていて貴重な記録となっている。内容は各ワードや支部の歴史記録、年表、ステークから召された宣教師、ステーク関連のリアホナ記事からなっている。この記念誌の特徴の一つは、ワード/支部の記録が箇条書き風で網羅的に見える、言い換えると教会の発展や変遷の足跡を概説する目が欲しかった、と感じたことである。
リアホナの再録多用(記念誌全体の26%を占める)は、ステーク外の記事も紛れ込んでしまうことがあり、時に安易に見えるが、それだけローカル頁の価値が会員にとって高いということを再確認する機会となった。
いずれにしても、日本の教会史に貴重な資料が加わったことはこの上ない喜びであり、編集に携わった編集員の方々と代表者桐林慶兄弟の労をねぎらいたいと思う。
[付記]
なお、この度、沖縄が11年前に記念誌を出していることをインターネットで知った。2005年9月、「守礼の民: 沖縄伝道50周年記念誌: 沖縄における末日聖徒イエス・キリスト教会」末日聖徒イエス・キリスト教会沖縄伝道50周年記念誌編集委員会編・発行。沖縄の二つの大学図書館が所蔵している。
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これって、ステークの予算で作ったんですかね?
モルモン教会としての公式の刊行物なのでしょうか?
ま、うちのワードも、ワード予算で、そんなに意味が有るとも思えない、ワード機関紙を毎月凝りもせず出してますね。もう20年以上にはあると思うけど・・・。
企業の〇周年記念の創業からの歴史みたいな本もそうですが、結局悪い事は書かないんですよね。
無いとは思いますが、当時のステーキ部長が本部に無断で福祉事業をやりだしたとか、やたらバプテスマが増えたけど、ほとんど定着しなかったとか・・。支部長が献金を使い込んだとか・・・。支部の予算が足りなくなって支部長が身銭を切っていたとか・・・。
いや、そんな事はモルモン教会では決して起きないとは思いますが、仮に起きていても、こんな本には書かないんでしょうね。
>支部の予算が足りなくなって支部長が身銭を切っていたとか・・・。
頭割り制度の弊害で支部は慢性的に予算が不足になりやすくて、支部長どころか活発な会員は多かれ少なかれ身銭を切ってますよね。
そう言う事が有ったって話じゃないですからね。
念のため
そこに至るまでに多くのご苦労があったと思いますが、このような形で記録に残せることは素晴らしいと思います。
生き証人が少なくなると当時のことがわからなくなりますので、 このような記録を残すことは価値のあることです。
本当は1981年以前の歴史があればなおいいのでしょうが、ステーキ部発足からとのことで、これも一つのよい区切りかと思います。
各ステークでこのようなことができればいいんじゃないでしょうか?
所属した支部に行くと私の記録は消去されていて、自分が望んだこととはいえ、歴史にでてこないことに寂しさを感じました。
歴史には教会を去って行った人が払った労苦が書かれていませんが、日本の教会が幼かった頃、寝食を忘れて働いた、名を残さなかった会員のことを思わずにいられません。
教会はそのような人々の思いも考慮していく必要があると感じました。
彼らの犠牲の上に今の繁栄があることを活発会員は感謝すべきでありましょう。
今も昔も奉仕という点では同じですが、昔は昔の困難さがあったと思います。
歴史は忘れてはならないもので、正しく継承する必要があるものですね。
広島に宣教師が初めて遣わされたのは1950年です。広島ステークの歴史記録に続いて、地方部の歴史記録も編纂される予定であると聞いています。
戦後1950年前後に設立された支部の開拓者は現在80~90歳になっています。当時の貴重なエピソードや写真、信仰の証を残していくのは今しかないと思っています。日本全国で、このような動きが出てくることを切に望んでいます。
いずれにしましても、信仰とエネルギーが必要な仕事です。編集長の桐林兄弟をはじめ携わってくださった皆様の働きに心から感謝しています。
私は日本の教会(lds)について日本人が記録を残すのは、きわめて自然でまた当然の姿だと思っています。外国の記者や研究者が書いて、自らが書けないとすれば残念なことではないでしょうか。
M.R.マリンズが著書「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」の中で、日本の教団の多くが独自に雑誌や新聞を発行していて、資料が豊富で驚いたと言っています。われわれも自分の意志で記念誌を発行するのは自立心の現れだと思っています。
(記念誌など教団が出す刊行物には目的やある種性格のようなものがあるのは仕方のないことです。遠慮のない批判や厳しい指摘、分析は学術誌、研究組織の果たす役割だと思います。名古屋の記念誌は拙速伝道について言及していました。これは例外的で、客観的な記述を心がけた姿勢がうかがえました。)