末日聖徒イエス・キリスト教会はこの度2018年4月の総大会で、ミニスタリングという制度(信仰実践)を始めると発表した。これは、従来の神権者によるホームティーチングと扶助協会による家庭訪問を融合して、会員が相互に見守り、奉仕し、また教え導くという制度である。
また、LDS教会に新しい用語「ミニスタリング」が増えることになりそうである。そこで聖書の原語にさかのぼってその意味を確認し、考えられる訳語を模索してみることにした。
旧約聖書(英語)で minister (動詞) がどのような原語からきているかと言うと、「神聖な事柄を執り行う」( כָּהַן カーハン。元は単に「行なう、務めを果たす」)という動詞に端を発し、「祭司」(כֹּהֵן コーヘン)という語に派生している。例、出エジプト28:1 「仕える」口語訳、新共同訳。
新約では動詞 διακονέω, [diakoneo] が該当し、やはり「仕える」という意味である。名詞形 διάκονος, [diakonos] は「執事」と訳される。例、マタイ4:11、ヨハネ12:26「仕える」、ガラテア5:13 「互いに仕える」、マタイ25:44 「世話をする」。
どんな日本語に訳せるか、紙に書き出してみた。試訳例、「相互見守り(制度)」、「個別教導」、「戸別扶助」、すでにあった「訪問教師」など。残念ながらいずれもしっくりこない。ミニスタリングて何か?と聞かれたら、「仕える、奉仕すること、時に教え導くこと」ということになるだろうか。
[あなたの知人は皆、あなたの配慮によって何らかの形で祝福される。主はあなたが人々に手を差し伸べることを期待している]
なお、英語 minister (動詞)は、ラテン語 ministrare = to serve に遡る。それは上記聖書の該当する語から訳されたものである。
普通牧師さんになるには、神学校を卒業して試験に合格して、牧師のアシスタントを経験してから名乗るものであって、一般信徒がそういう伝統を無視してミニスターを名乗ったらまずいんですよね。
歴史的にカトリックを飛び出して、プロテスタントは伝統的な権威筋の聖任なしに勝手に教会を持って、神父さんの役割を果す人を牧師というわけで、思想的には万人祭司論が根底になっているようです。
末日聖徒は、今回そういうプロテスタントのミニスターになるプロセスの伝統さえすっ飛ばして、あえて奉仕者の活動をミニストリングと称するその思想の根底には、万人牧師論のニュアンスが感じられます。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=%E7%9B%A3%E8%A6%96%20%E5%AF%86%E5%91%8A
まぁ109:60にあるよう基本、アメリカンは異邦人だよね・・・
「10:42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
10:43 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
10:44 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。
10:45 人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。
」マルコ
政治用語ではミニスターは大臣、プライムがついて総理、首相に・・・
豚の辞書にはもう一つ「監視する」って言葉も見られます。
要は、そこに帰属するように互いに監視・・じゃなくて、見守るんですよね・・。
「見守る」と」「監視」はほとんど同じ意味ですよね。