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発展的生成の道をたどった見神録

2005-12-23 23:07:21 | モルモン教関連
ジョセフ・スミスの見神--- その発展的生成

今年はジョセフ・スミス生誕200周年に当たる。
今秋出版されたR.L.ブッシュマンによる伝記「ジ
ョセフ・スミス、転がる荒石」の受け止め方を紹
介する。

 1820年にジョセフ・スミスは「最初の示現」の
顕現を受けたと伝えられている。そして12年後1832
年にその示現を初めて「わたしは主のみ姿にまみ
えた。主は、汝の罪は赦されたと語られた」と記
録している。

 「罪が赦された」ことを告白する当時の数多く
の信仰復興者の声と同じように、スミスは「この
時わたしの罪は赦され、心は愛に満たされ幾日も
大いなる喜びを覚えた。主が共にいてくださった」
と別のところで1830年に振り返っている。(DCJessee
編、「ジョセフ・スミス文書」、’89-92)。

 ジョセフ・スミスは初め彼が見た示現について
話すことに気が進まなかった。初期の頃見たある
示現の後、スミスは両親に「主のみ使いはこれら
のことを話さないよう注意しなければならない、
と言われた」と語っている。多分初期の改宗者は
ほとんど1820年の示現について聞かなかったと思
われる。(Bushman 05)。1832年に最初の示現を
記述した時、彼は自分の経験を略述したのであっ
た、とブッシュマンやアレンは書いている。(Bushman
‘97-98, Allen ‘80)。

 後にジョセフ・スミスが自信を深めるにつれて、
詳細な記述が伴うようになった (Bushman ’05
p. 40)。 1835年の説明では暗黒の力に捕らわれ、
舌に異常を覚えて物が言えなくなったこと、迫る
物音が聞こえて、祈ろうとしても祈れず、自分が
滅んでしまうのではないか、と恐れたと述べてい
る。

神格者の顕現
 最初彼が語ったところでは、光に包まれた主に
まみえたとだけ言い、赦しを述べる主の言葉を聞
いた、となっている。1835年ジョセフ・スミスは
初め一人の方が現れ、次にもうひとかたが現れた、
と言い、1838年には、初めの方がもうひとかたを
指し、「こはわが愛する子、彼に聞け」と言われ
たと言っている。(ジョセフ・スミス 日誌、JS
文書)。

他の見神録内容の変遷
 1835年,1838年の記述では「個人的な罪の赦し」
と「諸教会の背教」が入れ替わり、「JS自身の救
い」は後退し「新しい時代の始まり」の記述が登
場する。1838年の版にはどの宗派にも加わらない
ように告げられた、と記される。

(Richard Lyman Bushman, “Joseph Smith - -
Rough Stone Rolling” Knopf 2005, pp. 39, 40)

以上がブッシュマン近著からの要約である。ブ
ッシュマンは教会の内外から信頼と尊敬を得てい
るモルモニズム(歴史)研究者(教会員)である
が、「後にジョセフ・スミスが自信を深めるにつ
れて、詳細な記述が伴うようになった」という受
け止め方に私は注目した。



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4 コメント

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Unknown (nanashi)
2005-12-24 13:17:42
なるほど、初めは、語らないように言われてたのね、そして、自信が...おそらくは、使徒や神権指導者とか信仰試された会員が増えてから、より詳しく語るようなったと...今朝、200年記念衛星放送聞けました、印象深いところが少々ありました、ジョセフについて証や霊的なものを求め祈って出席したんですから、ま、あの祈りの通訳があんまりかも、開閉会の祈りで英語がちょっともれましたが、残念ながら、ちゃんと通訳してないみたい。
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Unknown (nanashi)
2005-12-24 13:43:59
82年7月、教会歴史バスツアー参加、日本人私だけ、ガイドはSLCでのインスティテュト先生で奥さん、学生の息子さんと、他はユタ、カリフォルニアの年配夫婦。あの時、バスツアーガイド何度か目だったが、初めて運転手さん誕生地にたどりつけたと言ってた…あのオベリスクの印象あります、その背景について今朝の話にあったようなことを聞いていたのかも、でも今より昔、英語もっと聞き取れませんでしたから。

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コメントありがとうございます (NJWindow)
2005-12-25 22:14:47
JS生誕200周年記念衛星放送をご覧になった印象と昔教会歴史ツアーに参加されたお話をありがとうございます。



わたしはいずれも経験していません。今年度催された行事や学会の模様を追ってみる必要を感じています。
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ボーゲルの見方 (NJWindow)
2005-12-30 01:33:09
昨年批判的立場からジョセフ・スミスについて研究成果を著した、ボーゲルがその中でJSの見神についてどう言っているか、興味を覚えて調べてみた。



ボーゲルはJSの見神が1820-21年に遡り得ることを確認し、その後の変更はJSの「変遷する神理解(evolving theology)」を反映している、と書いている。言い換えると1838年の記述に神(天父)が姿を顕されたことが加わっているのは、初めJSの神理解が三位一体的であった(BofMに痕跡)のが、三位が別個の存在であるという概念に変っていく過程と一致する、と見ている。これは大変興味深い指摘であると思う。



Dan Vogel, “Joseph Smith – The Making of a Prophet” Signature Books, 2004, pp. 30-32



なお、私の姿勢は教会を代表する擁護派というより(そのような見方は教会が迷惑するかもしれない)、一観察者の見方であり、観察される共通点(パウロの示現、共観福音書の異同とJSの場合など)から伝統的キリスト教会もlds教会とそれほど異なるものではないと観るに至っている。宗教学者(聖書の高等批評研究者を含む)もそう考えることであろう。

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