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ハワード・W・ハンター、 優しく親しみのこもった人柄

2016-01-05 22:42:40 | モルモン教関連
 [fr slideshare.net]

私はハンター十二使徒が来日し、関西で特別な大会が開かれた時、集会後少し言葉を交わす機会を得た。確か1979年のことであった。ダイアログ(モルモン思想誌、1978年冬季号)にハンター長老の言葉として、T・エドガー・ライオンが次のような文を引用していたので、ちょっと話しかけてみたかったのである。

 「本当のノーブーの物語は、われわれが作り上げてきた通説(myth)よりはるかに刺激に富んだものだ。私はそう感じている。教会の本当の物語は生活のあらゆる局面を包含しなければならないと思う。生身の人々がかかえる問題を切り離して、抽出された事項にのみ関心を寄せるのではなく、人々に焦点を当てたものでなければならない。」(p. 22)

私はこう書かれていますが、そうですか、と尋ねた。長老は、そう考えていると答え、ダイアログ誌のその号を自分も入手したいと答えられた。気さくににこやかに答えてくださったのが印象的であった。

[BYUエルサレムセンター、同ホームページより]

ハンター長老は、エルサレムにブリガムヤングエルサレムセンターを設立するに際し、尽力し、イスラエル国家とエルサレム市側と困難な交渉に当たり、1989年に同センターを奉献している。また、センター近くの丘陵にオーソン・ハイド記念公園を設立するのも管理された。この公園造営のため資金を集めていたので、BYUの留学生であった私はごく少額ではあったが協力できたのが楽しい思い出である。また、後に私は公園にもセンターにも訪問できたので、間接的ながらハンター長老に親しみを覚える次第である。

ハンター大管長は在位期間が1年未満(9カ月)と短かかったが、没後もハワード・W・ハンター基金が活用されてクレアモント大学院大学のモルモン学にハワード・W・ハンター講座が設けられるに至っている(2008年4月)。

アイダホ州ボイシに生れ、カリフォルニア州で弁護士として活躍した彼は、大管長としてはやや異色の背景を持ち(父は初め非会員であって、本人もバプテスマを12歳まで受けられず)、柔軟な思考ができる、優しく、人々に親しまれた指導者であった。


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2 コメント

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Unknown (教会員R)
2016-01-07 15:53:05
ハワード・W・ハンターは、少年のころはかわいそうな猫をたびたび拾っては家で飼っていたというエピソードがあって、人に優しかっただけでなく、動物たちにも優しかった大管長として、日本人の私には親しみが持てる大管長の一人です。

「ささやかな奉仕と犠牲の行いを何千回も積み重ねること、つまり人のため、主のために命を差し出し,命を失うことから生まれる。」の説教をきいて、長年疑問符がついていた聖書の聖句

「わたしがあながたを愛したように、互いに愛しあいなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」

が解けた気がしました。
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最後の一葉 (NJ)
2016-01-07 16:21:09
猫のエピソード、知りませんでした。補足に感謝します。

友のために自分の命を捨てる、ということは普通にはあり得ないと?がつきますね。私もそう思っていました。O・ヘンリーの「最後のひと葉」がヒントになることに最近気づきました。

https://theirvodka.wordpress.com/2015/11/03/short-story-the-last-leaf-by-o-henry/

ある病人が葉が次々落ちていくのを見て、最後の葉が落ちるまでは生きて見届けたいというのを聞いて、友人の画家が病をおして一晩かけて前の壁面に自然の葉と見間違うほどの作品を残します。病人は回復しますが、画家は命を落とすという物語です。(正確には原作をご覧ください。)

命を落とすまでいかなくても、縮めること、睡眠時間など犠牲をはらって、人のために働くことも入ると思い至りました。
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