「バーガーはますます多様化する近代社会においては、
個々人は自分の宗教を自分で選ぶ、すなわち異端になる
ことが不可避的になっている、つまり異端の不可避性に
ついて述べている。」
古屋安雄「宗教の神学」'86
Peter Berger, "The Heretical Imperative" '79
「人は自分で選ばなければならない、ということはピーター・
バーガーが異端の不可避性と呼んでいるものに向かっている
ことを意味している。・・それは人が、多数が受け入れない
ことを信じる道を選ぶということである。」
エドウィン・ファーメッジ、Jr.
「歴史的批判神学とモルモン書:個人的超克」
サンストーン誌 93年7月号
(ファーメッジはヒュー・B・ブラウン副管長の息子、ユタ
大法学教授)
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上に引用された箇所の原文
"For premodern man, heresy is a possibility -- usually a rather remote one; for modern man, heresy typically becomes a necessity. Or again, modernity creates a new situation in which picking and choosing becomes an imperative." Peter Berger, "The Heretical Imperative." Anchor Press/ Doubleday,1979, p. 28.
個々人は自分の宗教を自分で選ぶ、すなわち異端になる
ことが不可避的になっている、つまり異端の不可避性に
ついて述べている。」
古屋安雄「宗教の神学」'86
Peter Berger, "The Heretical Imperative" '79
「人は自分で選ばなければならない、ということはピーター・
バーガーが異端の不可避性と呼んでいるものに向かっている
ことを意味している。・・それは人が、多数が受け入れない
ことを信じる道を選ぶということである。」
エドウィン・ファーメッジ、Jr.
「歴史的批判神学とモルモン書:個人的超克」
サンストーン誌 93年7月号
(ファーメッジはヒュー・B・ブラウン副管長の息子、ユタ
大法学教授)
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上に引用された箇所の原文
"For premodern man, heresy is a possibility -- usually a rather remote one; for modern man, heresy typically becomes a necessity. Or again, modernity creates a new situation in which picking and choosing becomes an imperative." Peter Berger, "The Heretical Imperative." Anchor Press/ Doubleday,1979, p. 28.
「読書の歴史―あるいは読者の歴史」 (叢書Laurus) (単行本(ソフトカバー))
アルベルト マングェル (著), Alberto Manguel (原著), 原田 範行 (翻訳)
黙読する人々:文字は最初音読するもの、つまり、音の記号と考えられていたはずで、黙読の歴史はずっと後から始まる。音読が黙読にとってかわられると、読書が個人的な意味合いをおび、聖書を黙読する事から異端がはじまった。
引用終り
勉強させていただきます。
ありがとうございます。
1 今津晃「独立革命とその後のアメリカ」
岩波講座 世界歴史18 1970
2 大西直樹
「ニューイングランドの宗教と社会」
彩流社 1997
(以上「アメリカ研究案内」東京大学出版会より)
しかし、魔術や宝探しについてはむしろ
1 D.Michael Quinn, "Early Mormonism and the Magic World View" Signature Books, '87
2 Ronald W. Walker, "The Persisting Idea of American Treasure Hunting," BYUStudies 24 (Fall '84)
3 Alan Taylor, "The Early Republic's Supernatural Economy: Treasure Seeking in the American Northeast, 1780-1830," American Quarterly 38 (Spring 1986) 6-34
の方が読み応えがあると思われます。
そうですね。読んでみたいひとつの重要な分野であると
思います。少し調べてみたいと思います。
(現在、アメリカに対して心が冷め切ってしまった状態
ですが。)
「内情を知っている」という意味では私は日本のモルモン教会しか知りません。しかもかなり前の、ですが。
狭い見識ゆえお許しいただきたいのですが日本の教会員を見ると「葉隠武者」を連想させます。忍耐力には富むが変化に弱い。
事の是非は議論しませんが80年代の伝道方針の大転換で多くの指導者が教会を去ったのがその例かと。
教会歴史についての意見交換はささやかながら互いにメリットが見出せるのでは?。
> モルモン教の歴史からアメリカを見ていくという手法もあり、なのではないか
昔、モルモン教というキリスト教を介して西洋世界を見
ていくこともできる、という思いが心の片隅にあって改
宗した少年を知っています。
教会歴史の授業では細部の説明を避ける部分があり、知識の穴を埋める意味では興味深かったです。
(前後の脈略がありませんが)モルモンを去ったのはそれが真実ではないから、という理由付けをしていたのですが本音のところは「合わない」というところにありました。モルモンに真実の8割、あるいは9割(便宜的な表現です)あったとして、私が求めていきたい真実が残り1割あってどうも教会員である限りそれは求められそうにない思いがありました。
まあ、その欲しかった真実というのは単に仏教書を読み耽りたいとか総じてささやかなところにあったのですが「じゃ戻れば」と自問をするとその気はさらさらないのですが。
モルモン教会が設立された時期というのは面白いなと思うんです。魔術に凝ったジョセフが宝探しを商売にして、それに大真面目にお金を払って雇う人がいたりしましたし教会が財政難に陥った時(財政難に陥るプロセス自体もアメリカ史と密接に関係があるのですが)噂を聞いて宝探しに出かけたり。もしこの宝探し旅行がジョセフ1人で行ったのならそれで終わりなのですが、元専任説教師のシドニー・リグドンまで付いて行くでしょう。こうなるとやっぱりその時代の特殊な匂いを感じざる得ないんです。それからいろんな教会の伝道師が「やり逃げ」というんでしょうか。散々説教して信仰心を煽るだけ煽って頂点に達したかと思うとそのまんま次の任地に転勤したり、それは伝道者の数に対して「畑」が広すぎたからそうせざる得ない事情もあったんですが信仰に渇いていた。だからジョセフもそうなんですが、例えば専門的な知識のない女性が突然啓示を語り始めてそれにゾロゾロ人がついてったり。現代人から見れば珍風景ですが当人たちは真剣そのものでしょう。これはどうも「大草原の小さな家」は現代人のノスタルジーの結晶に過ぎないかもと思ってしまうのです。
アメリカを知るにはいろんな切り口がありインディアン史という切り口や移民史という切り口、人種差別撤廃に向けた動き、それら全てが複雑に絡みあってあるのが現代アメリカなのですが、モルモン教の歴史からアメリカを見ていくという手法もありなのではないかと。私がプロテスタント信者なら別の切り口もあるのですがやはり馴染みがありますから。
高橋先生の本はモルモン教初期の歴史が300ページほどにまとめられた良書だと思っています。ただ私は同時代史の知識が皆無に近いですからその辺りも鑑みながら勉強していければなと思っています。
他にも興味を持っている点はあるのですが、まだまだ手をつけられそうにありません。現在興味がある点をつらつらだらだら書きました。
読者の方もあまり拘泥されないよう希望します。
被害者がいるじゃんか。
なあ!沼野君!
だから、信じてないんだろう?
教会の本質より、人間組織の弱さだと思いますよ。あの素晴らしいキンボール大管長でさえミスを犯したのです。あの当時、もうすこし下の意見を取り入れていれば、ああいうかたを召すような失態はなかったでしょう。裃つけた付き合いで、どこまでそのひとのひととなりが分かるでしょうか?
又聞きの又聞きですが、最初のBYUフットボール日本遠征のチケットの件で不正があったようですね。幹部に召されたばかりなのでさすがに解任はできなかったようですが。
その後、彼は様々なゴシップネタには欠きませんでしたね。
前回の地域会長会の日系の幹部によると彼は監視されているようですよ。
そうとう上層部も悩まされているらしい徴候です。
23年前に幹部に召されたのにいまだに平幹部です。最近召された幹部がとっく70人会長会に入っているというのに。完全に窓際状態です。アジア人最初の使徒になると目されたと自負しているようですが。
(ただ、伝統的キリスト教の仲間を装う姑息な伝道方法はやめるべき。)
問題である点は、不透明な組織の運営・手
法、自浄作用のないシステム、神への信仰と組織への忠誠心が同一化、都合の悪い事実の隠蔽・虚飾、神の裁きへの恐怖を巧みに利用した会員教育、信者の多様性を認めない排他性など、多様な会員の幸福より宗教組織の維持・拡張を優先している点ではないでしょうか?
指導者の中にはそうした点を憂慮し、改善するように努力している方もいらっしゃいますが、教会の本質が変わらない限り糠に釘のようです。1980年前後の狂乱のバプテスマの責任者が未だ権力者でいること自体それを表しているように思えます。
最新の trackback は歓迎できるものでした。若い僧侶さんからのリンクです。訪れますと1日百件のヒットがあったの書いておられます。
ところで小生のところは昨日136件の閲覧数となっていました。今後はもうないことと思います。
学習させていただきます。
私は中部地区の会員ですが、物見の塔の信者がよく回ってきますよ。彼らのなかにはldsを激しく攻撃するかたもいます。おだやかなひともいますので、そういうかたとは共通点で合致し「お互いがんばりましょうよ」と言って分かれます。
プロテスタントのパンフレットには「モルモン、物見の塔、統一教会とは関係ありません」と書かれてあったので、その牧師に抗議したことがありますが、ldsの欠点を正確に提起できないうちに電話を切られてしまいました。ldsが世間に迷惑をかけていますか?の問いにはお茶を濁されましたね。
私は思いますよ。私の宗教モルモン教会は異端
なのだと胸を張って言いましょう。
しかし、それが問題なのではありません。
たとえ正統派と言われるキリスト教会であっても
その中に教義や組織により苦しむ会員がいて改善
がなされないなら、それは「カルト」なのです。
正統派、異端と言う観点は、カルト宗教問題とは
別物です。正統派教会の中でもカルト問題は発生
しうるのです。しかしカルト宗教の幹部は自分達
への注意をそらさせる目的で、「異端」と
「カルト問題」を同一視させます。
こうした企ては、カルト宗教内部の信者で特に
思慮が浅く感情的になりやすい人たちを中心に
成功を収めます。彼らはどのような理論的な指摘
にも耳を貸さなくなり、ますます頑なになり、
カルト宗教の幹部に精神を支配されていきます。