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ネット上の名前「ワサッチ」さんのブログに是非転載させてもら
いたいと思った書き込みがあったので、了解を得てここに掲載さ
せていただくことにした。モルモン書の史実性に疑念を持ち、リ
ベラルな教徒として留まる道を選んだ彼の声は、まだ過渡的な部
分を残すが多くの知的な教会員の参考になるのではないかと思う。
問答の形を取っているのは、ワサッチさんが投げかけられた問い
に答えてこのような形になったものである。以下転載。

1 「リベラルなモルモンという選択」(8/13/09)

「私に他人の信仰を覆す権利があるのか」

私はモルモン書が創作だと思っていてもモルモンが教会として発
展していって欲しいと望んでいる。だから誰かの信仰をバラバラ
にするような不用意なことは避けたいと考えているし、親しくし
ていた家族や友人がモルモンを去っていったが、去らないで留ま
って欲しかった。しかし、それも彼らの人生であり彼らの決断で
あるので、私は彼らの幸福を望んで見送るしかない。

教会が真に発展するためには、モルモン書が創作であることを知
らなければならない。モルモン書が創作だと気付いても信仰がバ
ラバラになる必要もない。しかしリベラルなモルモンという選択
の価値を、もちろん、相対的な価値でしかないけれど、自分はま
だ提示できないでいる。

「モルモン書が創作ならジョセフ・スミスは詐欺師なのか」

モルモン書はジョセフが聞いた「神の言葉」だと考えています。
ジョセフが物語という形式で表現した彼が見た「真実」です。た
だし「神の言葉」そのままではないし「真実」そのものでもない。
だからジョセフ(人間)という媒介を批判的に読む必要がありま
す。

「モルモン書が創作ならモルモンと神は無関係なのか」

私は神が「多くの声をもつ神」だと考えています。モルモンも神
の「多くの声」の一つです。


2 「教会が真に発展するために」 (8.24.09)

「どうして、モルモン書が創作であることを教会が知ったら、教
会が発展するということになるのか。その根拠は何か?」

難しい質問ですね・・・。(汗)というのも教会が日本で伸び悩
んでいる、という現実に対して「もっと頑張れ、もっと頑張れ」
の掛け声の中で「頑張り方がそもそも間違っているのかも」とい
う疑問が生じたのです。

行き詰ったら基本に返る。でモルモン書は聖書を前提に書かれて
いる。じゃあ聖書に帰ってみよう。と勉強を始めました。(日本
語で入手できるモルモン書に関する資料が殆どないこともあって)

以前から感じていた疑問から調べてみよう、教会のテキストには
十分な情報が載ってないから自分で調べてみようと。すると聖書
を読み間違えていた程度の問題でない、もっと教義の根幹を揺さ
ぶるような事実に直面したのです。

教会は学者(知識人)に対して否定的ですが、聖書だってその学
者たちが文字通り命がけで研究し翻訳してくれたから、いま私た
ちが手にとって読むことができるわけです。

聖書の一言一句の本来の意味を命がけで探求し、その事実(たい
てい既存の宗教権力にとって不都合)に誠実であったから宗教改
革もあったわけです。

私はモルモンで「真実」を愛するように、そして「真実」に誠実
であるように育てられました。「不都合な真実」から目をそらし、
都合の良いことばかり学んでいる教会に将来があるのでしょうか?

私の子供たちは教会が大好きです。でも彼らも何時かその「不都
合な真実」に気付くでしょう。彼らが抱くであろう疑問に対して
親として誠実に答えられるようになっていたい。教会の可能性、
素晴らしさを説明できるようになっていたい。

B・H・ロバーツ長老は教会が将来これらの困難な問題から逃げら
れなくなることを予見していました。問題の先送りは問題を大き
くするだけです。


コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
顔から火 (ワサッチ)
2009-09-08 19:57:10
>まだ過渡的な部分を残す

はい。
色々なところから切り張りで掻き集めているような状態です。
断言していても、そうあって欲しいという、願望を多く含んでいます。
 
 
 
どの人も皆 (NJ(御同様))
2009-09-08 20:49:53
転載のご了解をありがとうございました。

人はみんな言わば過渡期にあって歩み続けているのだと思います。
 
 
 
Unknown (みかん)
2011-05-23 07:03:48
質問が重複するかもしれませんが

仮にモルモン書が創作なら
その創作を元に成り立っている教会に
発展を望む意味はあるんでしょうか?

 
 
 
現代における宗教の意義 (NJ)
2011-05-23 08:53:05
モルモン教が19世紀にできた宗教で、経典も同じですから問題が際立って見えますが、本質はキリスト教にもユダヤ教、イスラム教にも言えることです。

本ブログのプライス関連の記事、偽典についての記事を参照してください。(本ブログ左下のブログ内検索で探せます)。聖書の多くの書に偽典性、創作の要素があること、先行する書の解釈が動機となったものなどがあります。モルモン書もその意味で同列に属すると見ることができます。

ある宗教が現代に存続する意義は、いかに現代の必要や問題に対処できるか、人々に希望を与え救済の役割を果たせるかにあると思います。
 
 
 
Unknown (みかん)
2011-05-23 21:35:14
確かにジョセフ・スミスは欽定訳聖書には精通していたと思われますので翻訳作業にその影響は少なからずあったのではないかとわたしも思います
しかし出典の経緯からモルモン書を他の聖典と同列に考えるのは少々乱暴じゃないでしょうか?

仮に教会が創作だったと認めたとしたら例えばどのように人々に希望や救済を与えられるというのでしょうか?
そもそも人々に希望や救済を与えているのはキリストに対する信仰なのでは?
教会の教えは最終的にすべてそこへ落ち着くはずなんですが教義に熱中するあまりそれが見えなくなっている人がたくさんいるように見受けられる気がしてます
 
 
 
鳥瞰図では (NJ)
2011-05-24 22:55:41
モルモン書を他宗の経典と同列におくことについてはもちろん異論、違和感があることは知っています。しかし、宗教学者や研究者の手にかかれば本質において大同小異となります。

教会が創作だったと認めたとすれば・・は、キリスト教会でも同じです。教会はそのようなことを説教壇から言わないでしょう。その教会の文化圏に属する学者は別です。最近のホーキングの発言などがそうです。・・一つの例外?は復元教会でしょうか。モルモン書を二次的ないし除外に近い扱いにしました。

最後のldsのキリストに対する信仰について時に外部からそう指摘されることと、そのような傾向があることは承知しています。しかし、全般的に見ればやはりイエスを救い主と信じ、イエスをキリストとしている信徒の群れに変わりないと思います。

 
 
 
Unknown (みかん)
2011-05-26 17:24:45
そのキリストを証する聖書を創作だと定義するならキリストへの信仰を語るには矛盾が生じると思うのですが…

>教会はそのようなことを説教壇から言わないでしょう

このことを指摘した以前のコメントが削除された理由もよくわかりません
ご自身を反モルモン、反キリストだと思われることを恐れているようにも伺えますが…
 
 
 
この辺で (NJ)
2011-05-27 00:46:41
残念ながら人間の営みには様々な矛盾が伴っています。宗教信仰もその一つだと思います。そもそも宗教の経典は科学の書ではなく、人々の信仰を育むために生まれたものと理解しています。

以前貴殿のコメントを削除したのは、前項に対して的を射ていなかったことと事実誤認が多かったためだと記憶しています。私自身の外部からの評価云々ではありません。

これ以上の問答は平行線をたどるか、生産的に思えないため打ち止めとさせていただきます。
 
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