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[and one is ... <写真はldsliving.com> ]
cumorah.com によれば、日本の末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)は2000年から2014年の間に、ワード、支部数(ユニット数)が50も減り、減少数の多い6つの国で2位を占めている。その6か国は次の通りである。
1. チリ(-276)
2. 日本(-50)
3. 韓国(-44)
4. パナマ(-39)
5. グアテマラ(-30)
6. 英国(-30)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/51/5f/804c01c25319e9b816e7fc4757a5b3ad_s.jpg)
この情報はブルース・フェイ(准教授)がネットに載せた記事の一部である。チリが突出している理由は確かなことは分からないが、15年以上前に極端な拙速伝道が続いてその反動ではないかと思われる。(当ブログ記事2008.3.25, 2009.6.4参照)。日本は現在ユニット数が267(2014年)であるから、15年間に50減少したと言うのは、残念な下降線である。また、面積、人口の点で日本よりずっと小さい韓国で44減ったということも深刻な現実である。先進国では英国の30減少も文化、歴史が大きく異なるが、同じ趨勢(世俗化、現代化のため宗教が後退)なのではないかと思われる。
http://brucefey.blogspot.jp/2015/12/are-boyd-k-packers-three-threats-really.html
紳士的な態度と書き方でお願いいたします。LDS教会に対する偏見が感じられるもの、管理者を含めて、読者を不快に感じさせるものは削除の対象とさせてもらいます。
つまり、中規模、大規模なユニットに統廃合した結果で活発会員数は逆に微弱のような気がします。
まず、会員の高齢化、これが今後も急速に進み、ワードの運営が出来なくなる。
会員の子供の成人後の定着率が低い。
新規改宗者が少ない。
どれをとっても、減少傾向は否めません。
最近の聖餐会の時間変更など、地元の事情を配慮しない方針のトップダウンでは、指揮も上がらない。
現実を見ると、今、家族をもって、活発モルモンを続けられるのは、公務員か、年金受給者、生活保護受給者ぐらいしかいない。
衰退を望んではいませんが、その傾向は止まらないのではないでしょうかね?
15年前までは東京や大阪などで分割が多かったはずですね。それで責任が幾つも持つようになって、責任疲れで休む人が出てしまったと言われていました。
地方での統合は会員の減少が要因とも言われています。
ヒンクレー大管長時代に「宣教師のレベルを上げる」と言うことで宣教師の数が数千人減った。これも要因の1つかも知れません。地方では、2つの支部を一組の長老宣教師が受け持っていた所がありました。また支部会長として責任した宣教師もいましたから。
ある所では、ステークと地方部の合併に伴い、ワード同士の合併や支部を2つ統合してワードになったケースもあります。それは都市部に近いので会員数は多かったはず。そこでは私の知るかぎり3つ減少している。
ステークセンターの新しい標準で初めて建てられたワードは、建てられる前は会員数が少なかったですが、現在は子どもを合わせて250人くらいと聞いています。このステークセンターは最大3つのワードが入れるようになっていると聞きました。多くは子育て世代で改宗された方もそうですが、2世3世の方も多いそうです。
調べたところ支部からグループになったところも ありますね。
上記のステーク内のワードの会員は高速道路を使って教会に行っている家族がいます。一般道で行くと2時間以上は掛かると聞いています。しかし年配のご夫婦会員はその家族から少し離れたところから一般道を使って通っているそうです。
今後は、支部としてできない場合は臨機応変にグループとしてユニットが組まれるかも知れません。
合併、統合した理由で、責任が幾つもあることで疲れて休んでしまうケースがあると話ましたが、幹部の方の話ではこれ以外に、
▽質の高いホームティチングや訪問教師をしてもらうこと
▽家族の時間を持つこと、また教えること
▽ビショップの責任負担軽減をするために、評議会メンバーの責任を明確にして、助けの必要な人をそれぞれの担当会員が行うようにしたり、別の会員が支援し行うため。
またリアホナ07年6月号のクリステンセン兄弟の話を参考にすると理解ができるかと思います。
東京では独身会員グループができましたが、そこは以前2つのワードがあって統合しました。ここはステークセンターですね。
微増の間違いです。
まぁモルモンはアメリカの体質のようで試してダメなら、どんどん方針転換してきます。しょっちゅう戸惑いますね。
2世、3世の結婚による出産の自然会員増が微増の原因かなと思います。
チリのユニット減は伝道の拙速は影響ありそうですね。
逆にブラジルとかメキシコは相当成長しているということでしょうか。
アジアはやや重点地域から外された感があります。
まぁ逆に日本流を開発する良いチャンスかもしれません。
結果的に県内で一つユニットが無くなったわけですが、合併により効率化も
図られ、教会堂を得ることも出来ました。
二つのユニットは共に雑居ビルでしたので、世間の信用も得られにくかったように感じます。(サラ金の上階でしたので・・・・)
今は国道沿いの一等地に大きな敷地を有し、地元での認知度も高くなっているように感じます。マクドナルドの横ですのでかなり目立ちます。
もちろん高齢化、改宗数の減少という先進国特有の問題はあるのですが、支部の内容は濃くなった感があります。
日本の産業では市場の縮小に伴い、シナジー効果を得るため鉄鋼・石油・造船等、重厚長大産業の生き残りをかけて合併が求められてきましたが、教会も同様であると感じます。
コンパクトにして効率を求め、底力が付いてきた時に再度分割するということでリセットの時期であると思います。
もちろん地方の会員が都会に出ていくことや、改宗そのものが少ないという問題は解消されていないでしょうが、ユニットの減少は時代に即した良い面も持っていると感じます。
身軽にすることによって効率的になり、ある面では会員の負担が軽減されることにも繋がり、飛躍の基礎を固めることにもなる場合もあります。
先日、教会の兄弟から、沖縄にあった歴史のあるワードが姿を消すと聞きました。
高齢化も理由のひとつだったと思います。
現状を見ると合併・閉鎖は苦肉の策であるとも感じます。
次世代はそれなりに育っているように感じるのですが、やはり改宗者がいないと勢いというものは生まれず、横ばいというところが精いっぱいなのかもしれません。
やはり教えには魅力が無くてはなりません。
犠牲を求めるだけの宗教に世の中は背を向けるのかなと感じます。
もちろん教えを通して歓びを得られる人も多いと思うのですが、かつての日本で改宗しても残らなかった理由を考えてみると、運営や方針にいろんな無理があり、弱い人が耐えられる環境ではなかったということもあるのではないでしょうか?
外国での衰退理由は判りませんが、モルモンの実像というものが、日本人がキリスト教会に抱くイメージと離れていることも問題点のひとつかなと思います。
改宗者の心の中まで充分に理解できませんが、俗に云うところの<教会らしさ>が無いと感じるのかもしれません。
世間の人は宗教の必要性を感じなくなっていると思うのですが、せっかく宣教師と知り合って、キリストの教えに触れるわけですから、すぐに来なくなるのはあまりにももったいない。
やはり<来たい!>と感じさせる<教会ならではのもの>[安らぎ・癒し・平安・隣人愛など]に毎週触れることができないと改宗後の継続はないのでしょう。
上から与えられたプログラムを消化するだけで人がイエスに求めているものを与えることが出来ているか、客観的に判断する必要があります。
人々が宗教に関わりを持とうとしない時代になってきたことが一番の理由なのでしょうが、教会になんらかの魅力があれば、改宗した人もある程度は残っていくと思います。
少なくともマイペースで細く長くできるような形態にする必要があるのではないでしょうか?
善き会員ですね。なかなか理解していない会員もいるのに、落伍者さんが指導者となられたら、教会員は強くなれますね。
教会員の地方減少は末日聖徒だけの問題ではありません。他の宗教団体もそうであります。宗教離れと言うよりも特定の宗教団体への入信が減っている所もあるようです。
田舎になると神社では氏子、お寺では檀家の数が減っている所が多くなっており、幾つもの神社を担当している宮司さんもいます。幾つかのお寺を兼任している住職さんもいます。神社もお寺も常駐していない宮司さんや住職さんが多くなって来ているのが現状らしいです。
しかし、神社仏閣巡り、四国霊場など順礼する方々は多くいます。
落伍者さんの「やはり」以降の話はそのとおりであり、重要だなと思います。
教会に来なくなる理由のうち、高齢で来なくなるケースは少しずつ増えていくと思われます。
また、宣教師から教会員へのバトンタッチが悪いと教会に来なくなるケースは多いようです。「福音の原則」を学ぶことをきちんと伝えておかないとなりません。
さらにあまり理解しないでバプテスマを受けて来なくなるケースもあります。
責任疲れ以外では、教会内の人間関係やストレスで強く疲れてしまって来なくなる会員も多数います。
また家庭の問題で行かなくなる会員もいます。介護とかいろいろと。
ここが大事なのは、隣人愛とは何かです。それは来なくなったら、そのままにしないで、ほうれんそうは定期的にしておくことですね。
教会堂を幹線道路沿いに建てることと、最寄り駅から1㎞くらい以内に建てるのは、とても大切ですね。もちろん玄関は幹線道路側で。
もう十数年前になりますが、「少し狭い道を入った教会堂は分かりにくい場所にあるので、これからはできるだけ幹線道路沿いに造るといいでしょう。また最寄り駅から近い場所に建てるといいでしょう」と話したことがあります。
成田ワードは国道沿いにありますが、友人とその道に通った時に、「これ行っている教会だよね」って指を指してくれました。他にも松戸ステークセンターや牛久ワード、山手ワードの建物のことを話してくれた友人知人もいます。
非教会員の方が分かりやすい場所に建てるということは、地域の方々が教会を知ってもらうためにもとても良いことなのです。
私のユニットは駅から歩いて40分くらいで、近くにバス停はあるのですが少々分かりにくい場所にあります。
一般の日本人がキリスト教会に求めるイメージは恵まれない子供たちに何かしてあげるとか、高齢者施設でボランティアとか、動物愛護活動とか、そういう類のことであり、求める教えは博愛精神的なことですよね。
一方末日聖徒の場合は、そういうことをしていないわけではないが、もっぱら組織責任上の召しであり、ホームティーチングによるボランティアだったりです。 教会の教えのほうも、博愛も説くけれども、キリストの福音の原則中心ですよね(隣人愛も含まれていますけどいまひとつ、具体性が感じられない)。
新人はクリスチャンとしてフィールドに出て行ってガンガンボランティアをしたかったはずなのに、日曜は聖餐会、福音のお勉強、ホームティーチングや家庭訪問(これもれっきとしたボランティアですが、自分が本当に必要とされているのか実感が沸きにくいものである。少なくとも福祉施設に行くよりは地味すぎる)
アメリカ流の教会から提供されるものが非常に優れている知恵だったにせよ、日本人全体のイエスキリストに求める潜在的なニーズと根本的にずれており、バプテスマの時のキラキラしたイメージが宣教師が去って段々鉄色になってきたときに、教会から提供されるものが確かに優れているという自分なりの納得感を得ていなければ、残るのは2割とか頑張って3割になってしまうのでしょう。
欧米は最初からクリスチャンの国だから、最初から教会に日本人ほど期待していないってのはあると思います。