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ユージン・イングランドの文章*に触発されて、最近聖餐式の間、短い時間であるが、私なりに瞑想を試みている。(* 2016.05.10 記事)。
それは当然、聖餐の祈りにそってイエスの犠牲と贖罪を記念し、信仰の日々を送るように思いを新たにすることである。そのことは聖餐の祝福(祈り)を聞く時に心を集中することに始まる。
私が努めているのは、聖餐が配布されている間、自分を振り返って次のように思うように心がけていることである。1)長い時間的尺度(スパン)で考える、2)第三者の位置から眺める、3)自分の理想とすることを想い起こす。
少し言葉を変えて言えば、「与えられた人生を生かすこと、最善の自分を引き出す」ように思念する。そのために最も重要なことは何か、またするべき事柄の優先順位はどうかを確認する。もし、怠慢や弱さからするべきことを後回しにしていれば、反省しそれを修正しようと考える。
そして、最後に(これが先になってしまいがち)、卑近なことに降りてくるが、今第一にすべきことを確認し自らに言い聞かせる。
本来瞑想はこのようにいろいろ考えるのではなく、雑念を除き日頃の煩い事を離れて、落ち着きと平安を得る時間でなければならない。ここに矛盾があるが、ただ空白のままでも意味がないのではないかと思っている。
(補、新約聖書に「心に決める」KJV meditateがルカ21:14にあり、lds では2015年10月 ponderize [熟慮する]という言葉が話題になった。)
https://www.lds.org/music/library/hymns/america-the-beautiful?lang=eng
人間、例え数秒でも何も考えないことが難しいと知りました。
でも最近、聖餐会では何も考えない状態に入れるようになりました。
睡眠ですね・・・。
何を言いたいのかはっきりしない様な、何を言ってるのか聞き取れない様な、そんな話ばかりの聖餐会は実によく眠れます。
日曜日は、安息の日ですね。
こちらが興味深かったです。
>これまでの研究から、瞑想を習慣とする人は、そうでない人より共感や思いやりの気持ちが強いことがわかっているようです。
>さらに瞑想には、加齢による灰白質への影響を和らげ、認知機能の低下を抑える効果があることも明らかになっています。
オムナイさんは技術者だって思ってるので突っ込まさせてもらいますが。
こういう研究結果と言うのは、どうも信用できません。
物事を比較する場合、一番重要なのは、その事柄以外の部分をいかに排除するかって事です。
瞑想をする人としない人の比較をする場合、瞑想以外の要因を排除することは不可能です。
全く同じサンプルを100人づつ集めて、片方のグループには瞑想をさせ、他方のグループには瞑想をさせない。と言う様にして、その結果を比較すべきですが。
そんなサンプルを集めるのは不可能です。
科学的なデーターを取るのには、こんな事は常識なんですが、どうも心理学分野では、この科学的な常識を無視していることが多い。
昔こういう話が有りました。
東大卒の人に、はがきでアンケートを取ったら、回答者の多くが、高収入だった。
でも、その後よく調べてみたら、低収入の人は回答を送らない人が多かった。
オムナイさんにモルモン書(釈迦に説法)だとは思いますが。
最近の世論調査でも、同じようなアンケートでも、新聞社や放送局によって結果が違う。
これって、質問の仕方が微妙に違うんですよね。
まぁ。そうなんでしょうね。
治験でも偽薬を与えてプラセボ効果を排除します。
瞑想のプラセボ効果に身をまかせるのも一興というかw;
オツムにも体にも適度な休息が必要ということでしょうか。
NJさん記事の
>ここに矛盾があるが、ただ空白のままでも意味がないのではないかと思っている。
いや。空(くう)こそ意味があるのかも?
という戯言です。